「では、行ってきます」
「夕飯はいるか?」
「分かりません。もしいらなくなっても、明日の朝片付けるので用意してもらえると嬉しいです」
「分かった」
「え? 外泊しないのー?」
「なんか色々飛躍しすぎです貴女は。なんですかその変な期待に満ちた目は!」
「風矢君。ムキになって否定すると、却って怪しいんだよー? 知らないの?」
好奇心丸だしと言うかむき出しの磨智に、風矢は何かを言いかえそうとするように口を開く。けど。
「いいのか。こんなことしてて。遅れるぞ」
「それはいけないね。女の子待たせるなんて最低だよ」
「だ…、いえ、そうですね。ともかく、いってきます」
「誰のせいです、誰の」とでも言いたげな顔をして、風矢は家を後にした。
隣の磨智が得物を逃したような悔しげな顔をしていることは、あえて無視しておこう。
変質の余波
「しかし、風矢君がねぇ」
朝食の片付けをしながらかなたが呟いた。
私はテーブルを拭いていた手を止める。
「風矢がなんだ?」
「春らしきものが来たのかなあって」
感慨深げに呟いて、そっと目元を抑えるかなた。
…春(らしきもの)って。色恋的なあれか?
あいつは確かに今日出かける。昨日電話が来て、誘われていた。一緒にでかける相手は68番地の羽堂さんちの光龍。性別は女。だそうだけど―――
「…単に友達なんだろう?」
今ここにはいない磨智は、デートだのなんだのものすっごく楽しそうに問い詰めていたが、彼は「単に友人です」の一言。
なら、友人なのだろう。私はそう思っているのだが。
だが、彼女もどちらかと言えば磨智の意見を支持するらしい。
「そーだけど。…うん、あんまり騒ぐと風矢は怒りそうだね、なにも言わないでおくよ」
頷きつつも歯切れが悪い。ま、かという私も―――
「意外だとは、多少思うけどな」
どちらかと言えば女友達より男友達の方が付きやすいと思っているのかと思っていた。
「意外というか…意外だけど…うん、意外なんだね…」
あはは、と笑う主人。その笑みは、どこか曖昧だ。
曖昧だと思った瞬間、ぽろりと言葉が漏れてきた。
「やはりお前としてはナーズとそういう仲になって欲しかったのか?」
「ナーズって、なんで…、あ。いや、ブルーホワイトか」
かなたの表情はまぐるましく変わった。まずきょとんとして、次に顔をしかめて、最後には苦笑する。
「確かにそういう打算なしに生きてるわけじゃないけどねえ
…今更だけど、緋那は私が磨智連れてきた時言ったこと、すっごく怒ってるんだね」
「別に。契約を結んだ龍だからな。そういう形の一生だって運命だ。
けどな、あれで磨智が落ち込んだことを思うと、一度恨み事くらい言いたくなる」
「優しいね。でもそれならあの時怒ってくれたら良かったのに」
「…それは、メーが散々したかと思ってたから」
「そっか」
だから気を遣ってくれたの? 嬉しそうに笑うかなたに、小さく頭をふる。気を遣ったつもりはない。遠慮はしていたかもしれないけれど。そのくらい、あの時の彼女は意気消沈したから。
「でも、たとえばさあ」
やけに気だるげな声が、意識を現在へと引き戻す。
かなたは洗い物の手を休めてこちらを見つめていた。
「リュコルドとかブルーホワイトがいたらそれは嬉しいけど。
君達が納得できない結婚して作ったかと思うと気持ち悪くて可愛がれない」
「気持ち悪いって…」
あんまりな言い様に、なにかを言うべき言葉を一瞬忘れる。
けれど、すぐに我に返った。
「感情の伴わない交配が、か」
言いきると、彼女は首を傾げて笑う。
「…そうとも言えるけど。それだとなんだか違うかな」
「…どっちだ」
「別に私が命じたわけじゃなきゃ構わないって話。私は、責任を感じたくないだけだよ。
自分の人生だけでも責任が生じて嫌になる。その上他人の死に方を決めれるほど立派でも図太くもない」
言ってから、かなたが笑う。そして、笑みのまま続けていく。
「だから、私は口出ししない。…口出しできるほどそういう方面に秀でてるわけでもないし」
「…そうか」
静かに頷き、テーブルを拭く作業へ戻る。
そうすれば、彼女も洗い物を再開すると思っていたのだが…小さな声でぼそりと呟かれた。
「…っていうか、君こそいいの」
「は?」
「『風矢にまで先越された』とか言って泣いてたよ、ベム」
いや、まだ先を越されると決まっていないだろう。
そもそも単に友達だと言っていたじゃないか。ならそれで信じておけよ。
浮かんだ言葉は数知れず。けれど、きっと彼女が言いたいのはそんなことじゃない。
「…私には、関係ない…とは、言わないが」
私は振り向いて、再度目を合わせる。視線が絡む。
「お前には関係ないこと、なのだろう?」
「…そうだね。
言ってすぐこれじゃ説得力に欠けるよね、ごめんごめん」
手を合わせて謝罪するかなた。
謝るならそろそろ皿洗いを再開して欲しい。そんな風に話す気満々でいられると、無視するに無視できない。
「ねえ、緋那」
「なんだ」
「私、ちゃんと家事くらいできるよ?」
「ちゃんと?」
唐突な言葉に戸惑うより先に、我ながら冷たい声が漏れた。
どこがちゃんとだ、ちゃんと。続けるより早く、彼女が言った。
「君が家に張り付いていなくてもいい程度には」
それは、静かな、けれど妙に厳しい言葉。
「だから、あんまり頑張らなくてもいいよ」
否、厳しく聞こえるのは、きっと疾しいことがあるせいだ。
「……分かってる」
呟く声に、かぶさるように水音が響く。
背中を向けた主人から、安堵の息をつくのが聞こえた気がした。
テーブルを拭き終え、掃き掃除へ移る。
あんなこと言われた後でもこういうことをやっているから、彼女も心配するんだろうなと思ったりはしたけれど。これは本当に単なる趣味なので放っておいてもらおう。
―――別に、言われなくても自覚はあったけど。
あいつのことも、他の奴らも、世話を焼く必要なんてそれほどなかった。誰かに必要とされていると認識されたかったから、そうしていた。
そうして。
そうして―――
「分かってるけどな…」
そうして、あいつから目を逸らしていたことは分かっている。
それは、あの光龍が主人に忠実にあることでほかのモノから目を逸らしていたことと、とても似ている。
だからあいつじゃ駄目だった。似ているから駄目なんだ。私ではあいつにとって主人と天秤をかける存在ではない。お互い、たまたま隣にいた隣人同士だ。
風矢はよく分からない。彼は距離の取り方がうまかったから。困らせられることも呆れることも多かったけど、ただ居心地の良いの相手だ。
けど、ベムは、最初があまりに違いすぎて、どうしたらいいのか分からない。分からないことしか、分からない。
「…馬鹿だな」
自嘲の笑みを浮かべようとする。
うまくでくなくて、それが少し笑えた。