いくつも朝を繰り返したね。いくつも夜を超えてきたね。
 愛しい半身。かけがえのない片羽。
 それでも君に恋することだけは、未来永劫ないのでしょう。

変わらぬ日々にさよならを

 一通り思い出話を終えて、かなたは笑う。
「―――君は、本当、私の傍で笑ってくれたね…」
「笑ってばっか、ってわけでもなかったけど、な」
 穏やかな顔で困ったように笑う主人に、渋面で答える光龍。
 彼とすごしたたくさんの過去を思い、かなたは笑う。
 楽しいこともそうでないことも数えきれなくあって、泣いたり笑ったり忙しかったと思う。
 それでも、この光龍は最後には笑っていてくれていたのだと知っている。
 だからこそ、甘えた。寄りかかって、縛った。
「―――ごめんね」
「なにが?」
 お前に謝られることは多すぎて分からないんだが。
 じとりと目を坐らせる愛龍に、かなたは笑みを消す。
 このまま。
 このまま、失礼だねとでも呟いて、いつものようにじゃれあうことは、とても簡単だ。
 それでも、そんなことはもうできなかった。
「ずっと前に気づいてた。
 君は、あんな軽口を本気で守ってくれてたんだね」
 苦しげな息をつくかなたに、メーは淡く笑う。
 普段の彼なら決して浮かべない、淡く儚い微笑み。
 その顔に落ちる影は、明るくて暗い。
「…軽口の割には、お前もよく覚えてたよな」
「…そうだね」
 喉の奥で笑い続けるかなた。
「気づいたのは、君がその姿をとった頃だ。認めたくなかったけど…認めてたよ。そうして、気づかないふりをしてたよ」
 初めて彼が人の姿を借りたとき、感じたのはなにかの変わってしまうような切なさ。慣れ親しんだ姿が変わることが少しだけ怖かった。
 数日経って、その姿に慣れてから覚えたのは疑問。彼とほぼ同時期に出逢った炎龍より妙に幼く映る彼に疑問を抱いた。なぜか、気になった。
 龍の人の姿を纏う際の年齢は、精神の状況をある種ダイレクトに反映する。
 15歳そこそこの、幼さの残る少年。それは、
「別に気にするなよ。俺が望んだことだ。それに―――お前の嘘は誰も傷つけてないよ」
「傷つけたよ」
 それは、性別の差はあれど、彼と出会った自分と同じだ。同じなのだと気づいて、その理由を探して。思い出し心当たりを感じた会話に心が凍った。
 だってそうだとしたら、なんて浅ましい。なんて身勝手を押し付けているのか。
 自意識過剰だと笑い飛ばしてしまえば良かった。知らないふりをして、ずっと笑ってしまえば良かった。今までそうしてきたように。
 変わることなど嫌いだから、このままに。
 甘ったるい呟きに心溶かされながらも、彼女はもう決めた。
「私も君と同罪だ」
 苦しげに顔を歪める、と頬を思い切り引っ張られた。
「…なにすんのさ(にゃにすりゅんのしゃ)
「お前が暗い顔する必要はないんだよ。むしろ笑え」
 眉間に皺を寄せるかなたに、メーはニッと笑いかけた。
「お前の所為なんて言うなよ。それは譲れねえな。もうあれから延々考えてたけど…それだけは、譲れない」
「でも」
「譲りたくない、って言えばいいか?」
 妙に晴れやかな笑顔を絶やさぬメーの手をはらって、かなたは言う。叩きつけるように。
「…なんで。だって、私も、知らない顔をしてずっと―――」
「うん、それはお互い悪かったよな。
 けどな、あれは俺のせいでいいんだ」
「………」
 不意に言葉が途切れる。
 変わらない笑みに、なにかを悟ったように、かなたの表情から焦燥の影が消える。
「…そっか」
 呟く声は寂しげ。泣きだしそうな顔をしながら、クスと笑う。
「もう、ちゃんと決めたんだね…」
 彼が主人への感情から慰めの言葉を口にしていたのなら、正さなければいけない。
 それでも、今は違う。
 誰かの心を背負うためではなく、向き合うために、彼は笑う。
 かなたにはそのことが痛いほど分かった。
「分かってくれて良かった」
「…だてに慣れ合ってたわけじゃねーからね」
「そりゃ良かった。うん、良かったんだよな。
 ぶん殴られたり嘲笑われたり―――それよりキツイもん見ちまうしで大変だったけどな」
「あはは…愛されてるねえ、メー君」
「どこがだよ」
 苦笑するかなたに、メーは晴れやかな微笑を崩す。
 拗ねたような顔もまた、彼の素だ。嘘でも演技でもない。
 そのことに安堵しながら続ける。
「どうでもいい存在に怒らないさ」
 寝ころんでいた体を起こす。
 そうして、傍らの彼の瞳を一瞥して笑う。
「私ね、世界にはかけがえのない存在なんていないっていうのは嘘だと思うよ。
 だれかが死んでも変わりはいる。なにが欠けても世界は回る。
 でもね」
「…でも、なんだ?」
「世界には2種類あるっていう学問があるの。世界全体一つの塊として、大きな目線でみる世界。
 そして、それぞれの集団を主体としてみる、小さい世界。
 私は思うよ。大きい世界ではいろんなことが替えがきくけど。小さな世界では信じられないような小さなことが欠けただけで駄目になってしまう。代わりなんかないのかもしれないね。…かけがえのないものが、そこにはあるんだよ、きっと」
「…お前の話って無駄にテツガク的なようで、馬鹿らしいよな」
「うるさい。」
 同じように身を起し、うんざりとした顔をするメー。かなたはその頭をビシリと軽くはたいた。
 そうして、大きく声を立てて笑う。
 すべての想いをこめて笑った後、真剣な顔をした。
「大好きだよ…愛してる。私の片羽」
 囁くような言葉は甘い睦言にも似ている。
 けれど、その声に籠るのは恋情と呼ばれるものとは遠くかけ離れた、ただ静かな響き。
「君がいたから、私は頑張れた。
 君がいたから―――もう、寂しくないよ」
 首の動きだけで傍らの彼と目を合わせる。
 ―――ほら、もう大丈夫。よく似た背丈の彼だから、簡単だ。
 だれかと目を合わせることだって大嫌いだったけど。もう平気なんだ。
 黙って彼女の言葉に耳を傾けていたメーは呟く。
「……かなた」
 ぽつり、と零れたその声が例えどれだけ寂しげでも、自分の声が震えていても。もう、平気なのだ。
「行っておいで。自由になりな。
 ちゃんと分かってるから、君だってここにいるんだよ」
 かなたは笑う。つい先ほどの彼とよく似た表情で。
 それを見て、メーは顔をしかめる。その表情もまた、先ほどの彼女とよく似ている。
 互いに思い出すのは、幼い誓いを交わした日々。

 寂しげで、自信なさげな頼りない主。
 悲しげで、なにかに怯えてたどうしよもない人間。

 それでも、俺を必要だと言って。そうして、外に連れ出してくれた、光。

 だから、今度は俺が連れて行かなければと思った。
 光ある場所へ、この少女へを。

「ねえ、メー。君は私を置いていくわけじゃないんだよ? そんなことじゃないんだ」
 言葉がこぼれる度に胸がしめつけられる。
 この痛みが愛情や恋ならきっと永久を誓って共にいた。

 主従愛?―――違う。
 道化?―――否、本心だ。
 愛情?―――抱けるわけがない。
 
 強いて言うなら、きっと愛着。
 互いが互いに心地よすぎた。
 気に入った布きれを離せない赤子のように、近くにいすぎた。

 近くにいすぎて。
 違うのに似すぎてて。
 君のことはなにも見えない。

 けれど決して愛にはなりえない。
 鏡の向こうの己を愛することなどありえない。
 けれど失うことは考えられない。

 それを自己愛と呼ぶのは少しだけ違う。
 だって僕らは自分を愛せずに自分を否定して、世界を敵視して、だから。
 だから互いが大切だった。

「……今まで私と同じものを見てくれて、ありがとう……」
 言葉は続く、震えながらも穏やかに。
 切なる願いを込めた祈りとなって。
「でも、同じものだけ見る必要なんてないだろう?」

 そんなこと、とっくに分かってた。

 それでもメーは鎖を巻いた。
 無意識に意図的に己を止めた。
 いつからか置いていかれるのは自分だと思っていたから。
 いつかこの主人が自分以外の大切を見つけて、遠く消えていくと思った。
 けれど気付いていた。
 例えば優しい炎龍と出会った頃。例えば騒がしい彼女と出逢った頃。気の長い炎龍に出逢った頃。我の強い風竜に出逢ったころ。

 そう―――置いていくのは自分の方だ。
 彼はきっとずっと昔に気付いてた。

「かなた」
 鎖をはずすことを躊躇おうとは思えない。それでも、一分の罪悪感。
 あの時の言葉は嘘ではない。けれど、生き物は変わるから。
 どれだけそれを厭うても、生ある限り変わるから。
 わだかまる想いを見透かすように彼女は苦笑する。
「君はもう十分私にくれたんだよ。大事なものを、たくさんくれた」
「かなた…」
「たくさんくれた。これ以上貰ったとしたら、それは君から奪い取ったものだ。
 そんなのは嫌なんだよ」
 だから、いいんだ。
 言い切る彼女は、いつかのように泣くことも、最初のように黙り込むこともなく。
 真っ直ぐに彼を見つめてくる。
 だから、続けようとしていた言葉を止める。
 一番に伝えたいのはそれじゃない。
「…俺は、お前の傍にいるのが好きだよ」
 ぽつりと呟いて、否と首を振る。
「お前のことが好きだよ。
 大好きだけど、俺は、お前のためには死ねないよ」

 例えば彼が龍ではなくて。
 例えば彼女が人ではなくて。
 お互い同じ種族であったとしても。
 きっと同じ答えにたどり着く。

 愛しい半身。大切な相棒。
 それでも、それ以上には。
 それ以上になどなりえない。

「うん、知ってるよ」
「なら…、いいんだ」
 呟いて、瞳を閉じる。
 ズキリと体のどこかが痛んだ。
 なにも見えないけれど、彼女が笑っていることは分かる。だから、言いようのない痛みに耐えながら笑い返す。

 耳の奥で、澄み切った金属音を聞いた気がした。


「じゃ、帰ろうか」
 草原に直接降ろしていたズボンの辺りをポンポンとはたきながら立ち上がるかなた。
「そうだな。帰ろう」
 答えてメーも立ち上がる。
 そして。
「なあ、かなた。頼みがある」
「…なんなりと」
 傍らの龍を見上げて(・・・・)かなたは笑う。
 いつもより少し低くなった声が、そっと願いを紡ぐ。
「…なるほど。それは素敵な案かもしれないね。うん、メー君にもそういうこと気にする繊細さがあったの」
「笑うな! そりゃ俺だって少しは…、違う! 驚かそうと思って! それだけだ!」
「そだね、確かに、きっと驚いてくれるもんね」
 クス、と笑うその声に憂いはない。
 心から、楽しげな笑声。
 だから、彼は告げる。

「この先なにがあっても、お前は大事な相棒だ」
 その言葉に、かなたは一瞬驚いたような顔をした。
 けれど、すぐに不敵な笑みを作る。
「ああ。
 この先なにがあろうとも、君は大事な相棒だ」

 きっと最初に愛した人。
 だから一緒に生きていた。
 寄りかかってもたれかかってふざけあって。
 それが心地よい間はそれでいいけど。
 それでも、もう、それだけじゃないから。

「お前に会えて良かった」 
「あら、勿体ないお言葉で…こちらこそ、だね」

 きっと、お互いもがいていたから。お互いでなくとも良かった。
 それでも、君で良かった。

 だから少しだけ離れてみよう。
 もたれかかって倒れ込む前に。
 少しだけ、枷は外そう。
 それでもきっと、傍にいられる。

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