はじめて出逢ったあの時に。
 僕らはよく似た寂しさを抱えてたから。
 居心地がよすぎて大切すぎて、きっとなにかが見えなくなった。

伸ばされた腕、からんだ絆

 あれはいつのことだったのか。
 覚えているのはただ、君と出逢って間もなくだってこと。


 光龍はぼうっと皿を洗う主人に問いかけた。
「アンタさ、なんでひきこもってるの?」
「……は?」
 青い髪の少女は光龍に向い振り返る。
 心底怪訝そうな顔で首をかしげた。
「私のどこが引きこもってるの?
 ちゃんと探索行ったりしてるじゃない」
「…お前、戦闘系なんだろ?」
「うん、冒険者だよ」
「の、わりに探索以外にであるかねーし。
 たまにここに来る人相手にするだけじゃん」
「ん…そう、かな?」
 じとりと目を座らせる光龍に、少女は曖昧に笑う。
 なにかを誤魔化すように、あいまいに。
「……気に入らねえ」
「え?」
 声を荒げる光龍に、少女はあっけにとられたような声を出した。
 そのぼんやりとした様子が一層彼の怒りを煽る。
「気に入らねえって言ってるんだよ! いつもぼーとぼけーとすごしやがって!」
「…いつも、ってか、君と会ってからまだ5日しか経ってないんだけどね。メー君」
「それも!」
 メーと呼ばれた光龍はびしっと少女を指さす。
 憤りのこもった声と共に彼女を睨む。
「どれ?」
「そのセンスの欠片も感じられないアホウな名前もどうにかしろよ!」
「…可愛くない?」
「可愛くない! 可愛くても嬉しくねえ!」
 言い切ると、少女は悩むような顔をした。
 どうやら真剣に可愛いとは思っていたらしい。
 彼は、その様子に湧き上がる怒鳴りつけたい衝動のまま口を開き―――舌うちをして背を向ける。
「どっか行くの?」
「…気晴らし」
 ぼそり、と答えた光龍に、もの言いたげな視線が刺さる。
「…言いたいことあるなら、言えよ」
 そのことに一層苛立ちながら吐き捨てても、少女はのんびりとした調子を崩さない。
「…んーん。別に。いってらしゃい」
 言って椅子に腰かける主人を言葉もなく再度睨んでから、光龍は家を出た。


「…なんなんだ、あいつは」
 しばし当てもなく町を散策し、目についた木の上に腰を下ろしたメーは呟く。
「やる気が微塵も感じられねえ…」
 初めて会った時。龍屋から買われた時は。
 その時は、こいつでもいいかと思った。
 見るからに新入りでひ弱そうだったが、だからこそこれから鍛えていくつもりなのだろうと思った。
 龍を買い求めたということは、当然、ドラゴン育成にも力を入れる気だと思っていたのに。
「日がな一日ぼけーとしやがって…」
 苛々するにもほどがあると彼は落胆した。
 契約を結んでからまだ一度もドラゴンテンペストに出されていないあたり、なんのために契約を結んだのかが分からない。
 龍屋の中で、ずっと待っていた『主』。ずっと、長い間待ち続けやっと現れた『主』。
 それがあれではあんまりじゃないだろうか。

 ―――龍屋は耐えがたいほど居心地の悪い場所ではなかった。
 だが、退屈で無意味で。彼は脳が溶けていく錯覚を覚えた。けれど商品にすぎない自分はなにをすることもできずにただ周囲を睨んでいた。
『君、私のとこ来ない?一緒に強くなってこうぜ』
 声をかけられたあの時、途方もない退屈を打ち破ってくれると思った。
 だから、嬉しかったのに。
 自分など必要とされないと思っていた。
 光龍種レベル1・メイベルドー。
 能力が高いわけでも特技を持っているわけでもない自分が買い求められるときは、もしかしたらどこぞやのリュコスと一緒に、希少種の元となることだけが求められるかもしれないと思っていた。―――そうやって、斜に構えてた。
 だって、初めて出会った主はそうだったから。次もきっとそうなのだろうと、思っていたから。
 だから、思いがけなくかけられた、一緒に強くなるというあの言葉は嬉しかったのに。

「…っけ」
 小さく毒づいてメーは木から飛び降りる。
 いつの間にか夜になっていることに気づき、帰ることにしたのだ。
 あんな主のことなど気にせず、このまま帰らないでいようかとも、思う。
 けれど一度結んだ契約だ。軽々しく破棄するわけにもいかない。
 翼を動かして126番地に帰る。
 明かりがついていないことを怪訝に思ったが、カギはかかっていない。
 もしかしたら寝てるのか、あいつ。
 新たな苛立ちを胸に無言で開け放った玄関の奥、リビングから―――押し殺した嗚咽が聞こえた。


 バタン!
 乱暴に開け閉めされた玄関の扉を、少女はなんとなく見つめる。
 ―――どうやら、あの光龍には私の態度が気に食わないらしい。
「そんなこと言われてもね…」
 ぼんやりと呟く少女は、ハァ、と深く溜息をついた。
 気を取り直すように呟く。
「今日はどうしようかなあ」
 とりあえず探索行こうかな。本当はレベルを上げようとしなきゃいけない気がするけど。
 一人小さくごちて、居間の片隅にある鞄を手に取る。
 ついさっき光龍の飛び出して行った扉に手をかけ―――切なげに眼ふせた。

 一通り体力のつきるまで辺りをうろついた少女は、戦利品を前に顔を曇らせた。
 不思議な効果を持つ草が数種。パンが一個。小銭も拾えた。そして、その中で燦然と輝くのは、鎌。彼女が今使っている木製ではなく、本物の刃のついた鎌。できることなら装備したいが、悲しいかなロウクラスの彼女にそれは扱えないようだ。
 かといって、このまま木製の剣を振り回しているわけにもいかないのは彼女とて承知の上。
 それなら装備できる―――鍛冶品の武器を買い求めればいいとは、分かっているのだが…
「…そうなると…依頼、かあ…まだ既製品買うお金はないからそうなるよね…自分で、持ってかなきゃいけないだね…」
 憂鬱に呟く少女。
 挑まれた戦闘は受けるし、歩きまわってもいる。
 それでも、彼女は、自分から人に話しかけるのが少々―――かなり苦手だ。
 嫌な顔をされたら? 迷惑だったら? 邪魔をしてしまったら?
 考えても栓無きことだと分かっている。それでも、少女は怖いのだ。
「……これじゃ、怒られても当たり前、だよね」
 自嘲の笑みを浮かべて少女は歩き出す。
 裁けるものは質屋に流して、あとは家に帰ろう。
 誰が来るともしれない草むらの脇で泣きだすわけにはいかない。
 それだけを胸に、少女はのろのろと足を動かした。
 家に帰っても誰もいない。そのことに今は安堵しながらも―――どうしよもなく悲しかった。

 龍屋で見つけた、銀色の龍。
 龍という生き物になじみのない彼女は、彼の表情など分からない―――どころか、性別すら分からなかったりしたのだが。
 それでも、その龍の琥珀のような瞳は、とても強い心を持っているように見えた。
 そのくせ、嫌にさびしげに見えたのだ。
 だから、彼を引き取った。どうにも上手く人に絡んでいけない彼女にとって、人恋しさを埋める意味もあった。
 それなのに、彼とは喧嘩ばかりだ。  最初に名づけた名前が気に障ったのか、それとも自分の態度が悪いのか。どちらも何度となく怒鳴られる種になったから、両方なのだろうと思う。
 だというのに、彼は少女の傍にいてくれる。
 それは、彼らがどうやら一度交わした契約を重んじる種族だから、らしい。
 ―――たったそれだけの理由で。
 たったそれだけの理由で、自分は彼を縛りつけているのか。
 けれどその糸を外してあげることはできない。
 見捨てられてしまったら、きっと自分は立ち直れない。
「情けないなあ……」
 彼女が家に辿りつくのと、涙腺が崩壊するのはほぼ同時。
 こんな人間のところには戻ってこないかもしれない。彼女はそう思った。


 光龍は途方にくれながらも明かりをつける。
 そして、そこに浮かび上げる姿に目を向いた。
「…マスター?」
 彼は自分の顔がひきつるのが分かった。
 帰ってくるなり、明かりも灯さず膝抱えてグスグスと泣く主がいれば驚く。そしてそれを無視できないお人よしさが彼の中にはあった。
「おい、あんた、どうして泣いてんだ。食い物腹にあったたか? こけたのか?」
 とりあえず適当に思いついたことを並べて、膝を抱えた主に近づく。
 ゆるり、と顔を上げた。
 ひどくばつの悪そうな顔をして、涙を止めようと努力している、らしいのだが、あいにく止めようとすればするほどひどくなっている。
「……、て、こな、い、かと、思って」
「は?」
「君が、帰ってこない、かと、思って……」
 途切れ途切れに吐き出された言葉は、おかしいほど震えていた。
「………俺は、そんなこと」
 しない、と気を落ち着けさせようとそう言おうとした。
 だが、それより早く腕を引かれる。
 そのことに驚いて、どこかで納得する。
 こいつはこういうやつなのか、と。
 そうすると、奇妙に気分が凪いだ。
「一人に、しないで……………」
 震える言葉の後に、落ちる沈黙。
 弱々しい腕をふりはらうことくらい、龍である彼には容易だった。
 馬鹿を言うなと怒鳴りつけてやることも、彼にはできた。
 それでも。
「しょうがねーマスターだな」
 それでも、彼はその手を離さぬまま視線を合わせる。
 ぽん、と主人の頭に手を置いて続ける。
「しかたねー。従ってやるからありがたく思え!」
 いつからだろう。
 すべてを敵視した彼は、もしかしたら自分を必要とする存在など現れないのではないかと思っていた。
 このまま独り時に置いていかれるのかと、思っていた。
 けれど今、自分を必要としてくれるものがここにいる。
 ならば応えようと彼は思った。全力で、この身が続く限り、応えようと思った。

 それから。
 それから、彼と彼女は共にいる。

「お前、人の目が怖いとかほざいてないっけ?」
 うきうきとした足取りで戦闘巡回に向かう主に、メーは問いかける。
「ん? でもいつまでもむやみに怖がってても勿体ないし、失礼かなと前向きに考えられるようになりました」
 答えるかなたの顔は、いつかの泣き顔が嘘のように穏やかな顔だった。
「へえ。成長したじゃん」
「なにがあってもメー君がいるからねー。少々嫌われようが平気さぁー」
「…それって、なんかトラブル起きた時、俺に任せて逃げる!って言ってるように聞こえるんだが」
「気の所為気の所為。まったく、疑い深い子になっちゃったのねー、メー君ったら」
「いや笑ってごまかすな。実際とこどうなんだ」
 真剣な様子でそう訊ねてくる愛龍に、かなたはわざとらしい溜息を落とす。
「…君は野暮だねえ、もうっ。私のマスターレベルも2になったし、そろろろ新しい仲間を加えようかなと模索してたけど。これじゃあ教育は任せられないねー」
「野暮?」
「あれ? 意味分からないの? …まあ、モテない男の別名みたいな?」
「誰がモテ…!」
 ははん、と笑うかなたに声を低くするメー。
 彼の文句が終わるより早く、彼女は笑った。
「―――てのは冗談で。
 私は、君がいれば大丈夫なんだよ。なにがあっても」
「…そっか」
「そう」
「…なら、そばにいるよ。しかたねえなあ、本当」
「ありがと。嬉しいな」

 笑いあいながら光龍は思う。
 これから、なにがあっても。
 俺はこいつの傍にいよう。
 なにがあっても、変わらずに。
 こいつが泣かなくても、済むように。

 いつまでも“変わらずに”
 彼女が笑っていられるように“傍に”

 この日の彼の淡い誓いは。
 いつしか強く身を縛る鎖となった。

 いつからだろう、変化を嫌った。
 ずっとこのままでいれたらと思った。
 いつからだろう、どちらからだろう。
 それは、問うても無駄なこと。

 同じ痛みを抱えていたね。同じ願いを望んでいたね。
 叶わないことも、知っていたんだ。


「……ねえ、メー君」
「なんだ?」
「本当……馬鹿なこと考えてたよね、お互い」
「…まあな」

 草原に寝転がった少女は自嘲の笑みを浮かべて、
 傍らの光龍は苦笑した。

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