Please call my name
「―――『ついた異名は数知れず…………。
一度現れれば、その場にいるもの全てを沈黙させるまで止まらない。
絶対の破壊者にしてこの世の理からは外れたとしか思えない、いわば『破戒者』。
数十年ぶりに生まれた緋月の最高傑作。』…これが、ねぇ?」
ひらり、男の手から白い紙が舞い落ちる。それは間を置かずに赤く黒く血の色に染まる。聞いているのか、いないのか。それは客観的に不明だが、地に伏した少年は微かに呻いた。
真昼の漆黒の中で。
夜闇の白光の中で。
死の匂いだけに寄り添い歩いてきた。
「本気で、ガキだな…」
男は感情の篭らない声で呟く。
目の前の標的はウルサイ。―――少年は感じた。黙らせてしまいたいが、身体の熱が邪魔をする。
感じるのは血の流れていく感覚。頬を濡らすのは傷つけられた目から流れる血だと気づく。それだけでなく、足にも、腕にも、腹部にも。刻まれた浅くない切り傷は生々し断面を覗かせ、そこからとどまることなく血は流れていく。
それでも動けないわけではなかった。たかが斬られた程度で。それがもげてしまったわけでもあるまいし。しかし、動くことは。ひどく面倒だった。
真昼の光を求めれば、目はただただ痛みを訴えた。
夜闇の暗さに身を寄せたなら消えてしまいそうな気がした。
身をやく熱を、痛みを。全身に感じながら、ふと少年は穏やかな気分となった。
自分が愛しいと呼べるのは身を滅ばす痛みだけ。
がりっ、と床と靴のこすれる音が、狭い部屋に木霊する。
男は無造作な動作で散らばった金髪を掴み、自分を殺そうとした者の顔を覗き込む。
二人の眸と眸が出逢う。
人と眸を合わせるのはイヤだ。
―――嫌な目だ。人殺しの目だ。
それは少年がずっと言われ続けた言葉。彼の子守唄。
―――厭な目だ。
男も、そう呟く。手を放し、再び俯けになりそうな身体を蹴り起こす。少年は半強制的に仰向けとなり、己から流れる血で染まった顔を無気力にさらす。
「ハン、気に喰わねぇ。
…なぁ、オイ、ガキ。まだ死んでねぇだろ?―――選べ」
鋭い声が縛ってくる。
少年はなぜか確信した。
もうどこにも―――逃げ道すら残っていない。と。
訊ねる黒衣の男が構える刀の切っ先は幼い胸に向いている。
その黒い刃を愛しむような、ひどく物欲しそうな少年の目線は黙殺して、答えを強制する。男の無表情な顔の中で、唇だけが、皮肉げに微笑む。
「てめぇは、ここで、終るのか?」
少年は、
驚いたように、あるいは見通したように、もがくように、悟ったように、ひどく緩慢な動作で、それでいて強い意志を覗かせ、その首をふった。
命じられるままに堕ちていく日々。
あの頃はそれ以外、なにも知らなかった。
それでも。
自分は、
オレは、
悔やむことすら赦されない。
オレには、それすらも最悪の罪悪なんだ。
『フロッピー一個にそんな仰々しく動くのも嫌なんだけどさ。
ハッキングして地図とってきても絞りこめたのが四箇所…、あとは実際行ってみないと分からない。
つーことでよろしく。頑張ってね♪』
そんな一言の元、今日も今日とて『BLACK・MIST』の若者達は仕事に勤しみまくっていた。
「一個目…はずれたわね…」
「見つかっちまったし外れ損だな…」
「わけ分からない言葉を作ってねーで走れ。
見張りに見つかっちまったんだから!」
緊張感皆無な同僚たちに吼える竜臣。
その叫び声と混じって、耳に届く、微かにヒュウと空を裂く音。とっさにそれぞれ身を引き、それぞれかわす。
「引き離されたわね」
ぽつりと呟くその言葉通り、一枚の壁が生まれていた。
本来は火事の時にでも使用されるはずだったのだろうその壁を打ち破っている暇はない。
「…なんでこういう時俺は雅と離れ離れなんだろうね」
「そういう運命なんじゃないの?」
ちっ、と舌打ちする流に、冷ややかに希羅。
「……そんなこと言ってる場合じゃねぇだろーが……」
静かな火花が散る二人に挟まれた竜臣はいつも通り己の不幸をかみ締めながら、向こう側の雅と慶に告げる。
「雅! 慶!
そっちはそっちから近い場所が一個あるから向かってくれ!
俺達は残り二つを当たって…後で合流しよう」
それぞれ返事をした雅と慶が駆け出すより早く、
「慶。雅になにかあったら…言わなくても分かってくれるよね?」
「ゴメンナサイ」
凍えるような言葉に殆ど条件反射の謝罪を口にする慶。
2人のやり取りに雅は心底鬱陶しそうなため息をつく。
微かな足音ともに二人は歩む。
幸いなことに人はいない。
否、崩れ落ちた警備員なら、数人いた。
「誰か先客がいるんだな…」
「だろうな」
低い呟きに答える雅。
彼女は角を曲がろうとして、立ち止まる。
その死角となった位置から首に突きつけられる、刃。
「ちっ…」
「雅!」
「ここの警備員、ではないな? 命が惜しいならひけ」
とっさに踏み込みかけ、足をとめる慶。
そのやや特徴的な装飾が施された、使い込まれた黒い刃に、ついでにその声に慶は見覚えがあった。
「……
その感覚に誘われるまま小さく呟く。
ぴくん、と男の眉がはね上がる。
「……お前……」
ほんの少しだけ、凍てついた空気がゆるむ。
「…慶…か?」
無造作に伸ばしたままの黒髪、蒼い瞳。端整な顔立ちといってもいいのだが、やや荒っぽい印象のある男が、静かに身を乗り出す。
「…うん……、な、んで、アンタ、ここに?」
「…骨と皮と筋肉で出来たチビガキだったくせに随分成長したじゃねぇーか」
「アレからなんか身長伸びまくったんだよ、って違う!
アンタなんでここにいるんだよ!?」
「…仕事だ、仕事。前と変わらず、盗みの請負。じゃなきゃこんな辛気臭せぇとこに来ねぇ」
ひらひらと刀を握っていないほうの手をふって笑う。
未だ刀を突きつけられたままの雅は問う。
「話し込んでるところ悪いけど…誰?」
「……うー……そいつは…驫木真ってゆー…」
―――えーと…改めて誰って訊かれると困るよなぁ…
しばし、悩んで慶は答える。
「……オレが昔世話?になってやつ」
「へぇ。…そうか」
「んー。そういえばお前らもアレか? 警備員ではねーけど、ここにあるフロッピー狙ってたクチ?」
「………ああ」
「へぇー…そっか…。お前、この姉ちゃんとつるんでんの?」
「……そうだ、って言ってもそいつから離れてくれないんだろうなぁ、アンタは」
諦めたように呟いて、すっ、と構えを取る慶。
「あ? や、放してやるよ」
「え?」
心底驚いたような顔をした。
「んで、コレもやる。」
解放した雅に向けて、ぽんと軽くフロッピーを放る。
慌てて受け取った雅は怪訝そうに呟く。
「これ…」
「オレが苦労してとってきた皆さんお目当てのフロッピー。
洒落た言い方するなら少し遅れた就職祝い?」
「少しどころか年単位だけどそんなことはいいとして……。ぜってぇ違え。アンタいつからそんな気前よくなったんだよ。
…これをもってると呪われたりするのか」
「ん、だめだなぁ、慶。人を信じられなくなったらおしまいだぜ? って言いたいととだが。ま、確かに嘘だな。
とってきたはいいがとても不幸になりそうな予感がして嫌だから押しつけようかと思って」
「…厄介払い?」
「だってオレの仕事ってとってくるだけだしー。
こんな後始末までしたくねぇ」
「…『こんな後始末』?」
「ん? あー、目ざといな姉ちゃん。いや、耳ざといってか?
今オレ追われてるんだよな。
嫌だねー。最近の若者は人の話を聞くより先に発砲してきて…」
そして、爽やかな微笑を浮かべる。
「あとは頼んだぞ! 慶。ダイジョーブ、お前は丈夫に出来てるし!」
「てめぇ…そう言っていつも昔から…そうだ、昔芋虫食わせただろ! 普通食用じゃねぇって最近つっこまれたぞ 食ったら背が伸びるぞ☆って騙しただろ!?」
食べたんだ。
雅は不憫そうな目を向ける。
「…あんなの信じてたのか。不憫な頭だな…」
「てめっ! 自分で騙してんな台詞をッ!」
「はははっ。こんな無駄話していいのか? ここら辺に元いた奴らは片付けたけどさー、追っ手がいるんだー。たくさんいるぜー。もうすぐ来るぜー」
「…アンタ本ッ当変わらねぇなっムカつくほどに 」
額に青筋を浮かべ、叫ぶ慶。
その声を欠片も気にしないかのように、真は走り去る。
「…なんだ、アレ…」
見事の逃げ足を披露してくれた男を呆然と見つめながら、問う雅。
「…自称、破壊神。らしいけど」
「……わけわからねぇな」
その微妙すぎる答えに弛緩する空気。
それでも、彼の言葉通り追っ手が近づく足音に、二人は無理やり気を取り直した。
―――ところで、さっさと身を隠した真は…案外拍子抜けするほど近くにいたりした。
追っ手を蹴散らす二人を…いや、慶をじっと見つめ、ため息をつく。
「……案外元気にやってるもんだなァ…」
少しだけ、嬉しそうな声。しかし、その分だけ頭が痛い。
「……オレは本来面倒なことが嫌いなんだよぁ……なんでだろうなぁ……。……アイツ拾っただけでもありえねぇのに」
彼は昔、ほんの気まぐれで…一種の同族嫌悪で…敵対した殺し屋を―――慶を拾った。
そして、共に暮らしたのは、半年と少し。事情ができて彼を置いていった時は特に後悔などしなかった。それしか選択肢はなかった。
しかし、彼との生活をそれなりに楽しんでいたことも確かで、その後も気にならなかったといえば嘘になる。
「…ったく…タイミング悪いにも程がある。なんて間の悪ぃ奴だ……本気でアイツ呪われてんじゃね? 昔殺した人間とかそーゆーのに…」
冷たく吐き捨ててがしがしと長い髪をかきむしる。
「…ほんとに出来の悪いガキだ…」
それでも。
捨てた時はもしかしたら死ぬのかもしれないな、などと考えた少年は、ずいぶんとたくましく成長していた。予想外だ。
予想外だ。あちらに戻るとは思ってなかったが……フリーではなく誰かとつるんで……再び組織に属すようなまねをしているとも思っていなかった。
しかも、それなりに上手くやっているときた。真にとっては予想外要素のオンパレードだった。だから、
―――もし、再会の日がこんな状況でなければ。もう少し素直に喜べたのだが。
小さく毒づいて、ぶつぶつと呟く。
「…因果だなァ、慶。お前もオレも所詮未だにあそこにいるんだよ…一生な…
…あの姉ちゃんは違うね…別にあそこで黙ってる必要はねぇよなぁ…甘ったりぃガキ……
あー…でもならなおさらそっとしといてやりてぇよなぁ…。
最善は慶がとっとと帰るとか、アレが同族って気づかねぇことだが…無理だな…。あいつの人生にそんな都合のいいことがあるものか。
ならオレが居合わせたのも必然ってやつかねぇ…うわォ。陳腐な響きだね」
クスクスと笑いながら刀の輝きを確かめる。
「……あー…メンドくせェな、後味悪ぃ」
―――後味が悪い。
けれど慶と再会する前からそれは決めていたことだし……昔彼を捨てた罪滅ぼしというやつをしてみよう。
―――あちらが慶に気づく前に…きっちりと殺しとくか……。
胸の内で呟き、腰掛けていた場所からすとんと飛び降りる真。
その目は熱のない、冷たくもない、なにかをやり遂げるためだけの無機質な目だった。
追っ手を軽く蹴散らした慶と雅は会話しながら階段を下りる。
「ま、コレが本当ならいいよな、それで」
手にしたフロッピーを見ながら言う雅。
「真がその手の嘘をつくとは思わねーからたぶん大丈夫だと、思うけど」
「信用できる人間なのか?」
「…そこそこな」
アンタ達を信用しているくらいには、そう言おうとした。
しかし、その言葉は咽喉で凍りつく。
それは針のような殺気を感じたゆえ。
階段を降りきったその一階フロアには、黒装束に身を包んだ人間が一人。先ほど別れた三人でもなければ、真でもない。
顔の半ばを覆った黒い布。
それでも除く目はこげ茶色。恐らく、髪も同色だ。
華奢というよりは折れそうに細い体躯。だが、それは貧弱と言うよりただしなやか。
す…と黒装束の目が細められ、鋭く光る。
たっ
と、こちらに向かってくる黒装束。
先ほど散らした警備員など比にならない、凄まじい動き。
その影の向かう先は、雅。
「速ッ!」
閃いた白刃は髪が一房奪う。
「のっ…」
きんっ。 刀とナイフがかち合い結果ナイフがはじきとばされる。
かすかに、本当に微かな動揺の気配。しかしそれは一瞬。
刀にナイフは不利だと認めたのか、黒装束は大きく後ろに下がって手を翳す。
その拳に生まれたのは…赤く燃える炎。
それは空を舐め、雅に迫る。
「…この
仕方なく間合いをあけ、苦々しげに呟く雅。
慶はただその様を見つめている。
―――助けないと………
思うのに足が動かない。声にならない悲鳴じみたなにかだけが漏れ出す。
「…あ…ぁ……」
それは、正しく血の冷える感覚。
あるいは―――血の沸騰するような。
まるで―――共鳴するかのような―――
「…なにぼさっとしてんだ! 慶!」
その声に、意識がさえる。
俯いていた顔を上げれば、黒装束と目が合った。
そうして、その目に驚愕の気配が現れる。
「…赤い目…」
「…ッ」
―――ヤメロ。それ以上、言わないでくれ。
「……貴様……」
小さく抑えられた声。
それでも強く強く動揺の滲んだ声。
「…緋月…?」
「……」
慶は答えない。答えられない。
案外高いその声に、こいつ女かもな、などとどうでもいいことを思う。
「慶?」
怪訝な顔で呼びかける雅。
「………」
慶は黙ったままだった。
その態度に微かな動揺を浮かべたまま、彼に向かおうとする黒装束の進行を阻むように雅は刀を構える。
「なんだか知らないがお前はおかしいぜ。俺に任せて速く合流しろ」
気遣ってくれるその声が、ひどく、遠い。
途方もなく遠い声だったが…僅かに意識を覚醒させる。
「雅…」
ぽつり、と呟く。そして、
「…どけ」
慶は気がつくと走りだしていた。
同時に拳に熱気が集まり、火球を生み出す。
「……やはり、緋月!」
それは、紛れもない歓喜を伴った叫び。
雅はますます不可解とでもいいたげな顔をするが、慶にそれに気づく余裕はない。
―――コイツは…
「雅…ひっこめ。そいつは目的のためなら人だって殺す気なんだよ」
平静さを取り戻した慶が、手を広げて雅を制す。
その言葉に、黒装束は不思議そうな声で言う。
「可笑しなことを…
人を殺さぬ殺し屋がどこにいる?」
すばやく接近され、軽く額が斬られる。
その痛みより、続く言葉が慶を焦らせる。
「……貴様も同じではないのか……」
―――黙れ。黙れ黙れ黙れ黙れ分かっているんだ、だから黙れ黙れ黙れ。お願いだから。
心が凍えていくのが分かる。
「緋月は殺し屋の家系だ」
―――言うな。
思いに反し、口が勝手に動く。
「ああ―――、そうだ」
小さく呟き、肯定する慶。
後ろは見ない。
絶え間なく襲うナイフに邪魔をされて…ではなく。
後ろには、雅がいるから。
どんな顔をしているのか…知りたくないから。
不意に、黒装束はぎりと歯を鳴らした。そして、大きく後ろに下がる。
「気が散っているようだな、同類」
「……」
慶は答えない。
「……その女の持つソレには開けるのにパスワードがいる。
私は知っている。私に勝てば、教えてやる。
だから貴様一人で来い」
黒装束はその目に慶だけを映して、階段を登っていく。
それを見た慶は当然のようにそこを上ろうとして―――後ろから肩をつかまれた。
「待てって! 慶!
別にお前が行かなくとも、パスワードくらい……」
「…雅」
呟いて足をとめる。恐る恐る、向かい合う。
―――なんで…
慶は呟こうとした言葉を飲み込み、用意した台詞を吐き出す。
「…ああ、確かに、遥霞あたりならいつか解くかもな。というかオレ達はコレ持ってくるだけでいいんだから依頼は終っている」
「…じゃあなんで行こうとするんだ」
―――なんでこいつ、いつも通りなんだ。
「…あれ野放しにしちゃ駄目かな、なんて、思って」
「……お前、なんかおかしいぞ」
雅の表情は本当にいつも通りだ。いつも通り…ぶっきらぼうな言葉の裏には暖かな心遣いがある。
―――駄目だ。
自分には、そんなものを向けてもらう権利がない。
「あんな明らかにヤバイのに付き合うことないだろう?」
肩に置かれた手を振り払う。
ばしりと音を立てた手に、雅は少し驚いたような顔をした。
「…――――――――――…」
お前になにが分かる。
呟いた声は音にならない。
「慶…」
言い募ろうすれば、腕に痛み。
雅は慶を無言で睨みつける。
「なぁ、雅」
受け止める慶の目は冷たかった。
感情の漂白された顔の中で、目だけがひどく冷たい。
「オレさぁ……」
ひどく、疲れたような声で、憑かれたように慶は口を開く。
「さっきのアレが言ったとおり、昔は殺し屋ってヤツだったんだ」
―――なにを言っているのだろう。
慶は嗤う。
こいつが人殺しを嫌っているのは知っているのに、自分は、なにを。
「オレは十歳の時に一つ、組織をつぶした。一人で」
冷めた独自は続き、その顔は泣き出す寸前のように歪む。
じりじりと少女の肩を押さえつける手に力が篭った。
「『初めて人を殺した時』は、覚えてもいねぇ。それぐらい、身近にあったんだ。当たり前のこと、だったんだ」
物心ついた頃には既に組織の飼い犬だった。
だからこそ、
「なにもしらねぇような子供を『このままでは将来一財産相続するから』と殺した。抵抗も出来ないような老人を『用済みだから』と殺した。どっかの男を『遺産目当て』で殺した。どっかの女を『知りすぎたから口封じ』と殺した。
『見せしめのために』と親に縋る子供を、子を抱く親を殺した。
そいつがプロであろうと無力であろうと、非があろうがなかろうが。組織に命じられれば関係なく殺してきた」
語る声にも感情の揺らぎは一切ない。
痛みに、気づかないように。
自分の心すら殺してしまったように。
「……だから、オレは、化けモンなんだよ。さっきのアイツと同じくらい、…や、あんなガキとは比べられねぇくらいの…人殺しだ」
薄い唇が持ち上がり、クスと冷笑を零す。
「―――だから。あんた達とは違うんだ」
言い放った声に、いつものお気楽能天気な彼の面影はない。
「言いたいことは、それだけか?」
けれど雅は問う。
怒りすら孕んだ声で、
「んだよ…」
けれどその怒りの分だけ、眼差しが真摯な分だけ、慶は冷えていく。
「じゃあ今のお前はなんだよ!? 足洗ったんじゃないのか!?
ならなおさら…」
なおさら…の次に来る言葉が分かってしまった。
―――ああ、本当にアンタは。どこまで、
泣きたいような気分を抑えてす…と手を動かす。
「喋るな。動くな。死ぬぞ
オレを動かしても危ない。手がズレないとは限らないから」
針を首にめり込ませる手を緩めず、慶は無表情に宣言する。
それでも、雅は眼差しで以って訴えてくる。
行くなと。
「……ホントにアンタは……」
―――お人よしで、たまに押しに弱くて、頭いいくせにオレよりどっか馬鹿で、肝心な所で天然で、変な意味で純真で、色恋ごとに死ぬほど鈍くて―――、真っ直ぐで。見てられない。
こんな眩しいもの、見ていられない。
「…雅、は…」
―――どうして、そんなにも。
自問しながら、ふと、以前も同じようなことを思い、似たような状況に陥ったことを思い出す。
以前―――慶は訊ねたことがあった。
自分の力が疎ましくて、煩わしくて、1人悩んでいたら、雅が来たから。
『雅と流はさ、どうしてそんなの幸せそうなんだ? 普通の人にはない力を持っていても』
なぜ訊いたのかは、覚えていない。
それでも、雅の答えは覚えている。
『俺 、流とは小さいころから一緒にいたから、家族も同然かなって。確かに俺と流は普通じゃないけど、この力は自分の為でもなく、人を殺す為でもない。誰かを助ける為の力なんだって流と約束した。だから人は殺さないし殺そうとも思わない。この力で誰か救えたのならうれしいし、幸せな気持ちになれる。それが俺の…俺達の決めた道だから。』
オレは、そう答えた少女が憎らしいのかもしれない。
生まれながらに異端を背負って、でも誰かに愛された彼女が、本当は、大嫌いなのかもしれない。
それこそ、殺してやりたいと思うほどに。
否。あの時感じた想いは…もっと醜い。
どっちか殺しても同じこといえるのか?
壊してみたい。
それが―――今なら容易い。
ほんの少し指に手をこめて。ほんの少しだけこの針をずらしてしまえば。
慶にとって、人を殺すことは、嫌になるくらい簡単なことだ。
「……………」
それでも、しなかった。
ゆっくりと針を抜き取り―――、そのまま間髪いれず腹に膝を入れる。
意識を失わせる。それ以外のことを頭から消えさせて、容赦なく続け……やがて力の抜けた身体をそっと横たえる。
どうでも、いい。
どうせ、最初から違う。
例え、異端を背負っていても…こいつは望まれて生まれた人間だと思い出す。
どうせ、自分とは、違う。なにもかもが、最初から。
違う。だから………
「…………」
ふぅ、とため息をつく。
そして辺りを見回す。どうせ、あの男はまだこの辺りにいるはずだろう。
自分は馬鹿で、彼とすごした時間は長くない。
けれど、なんとなくそう確信できた。
「真、出てこいよ」
答えは返ってこない。
「…真」
繰り返す。返事はやはりない。
「……出てこないならここら一帯燃やすけど……?」
空気が震えたのが分かった。
しゅった、と人影が降りてくる。
恐らく、天井の辺りから。
恐らく、ずっと盗みをしていた。
―――慶は特に今の上司の性格が特別悪いとは思わない。
いいとなど欠片も思ってはいないが、前の上司に人間扱いされたことがなかったし…その後に暮らした同居人もなにかと悪趣味な人間だったから。
「こんな美人袖にするなんてもったいねぇことすんなぁ、お前」
「ソデってなんだ? つーか相変わらず現金だな、アンタ」
「褒め言葉として受け取ろう」
ニヤニヤと笑う真に、慶は軽くため息をついて…精一杯真剣な表情を作る。
「…こんなこと頼める義理じゃねぇのは、分かるんだけどさぁ…」
歯切れの悪い口調で、それでもしっかりと。
「もし追っ手つーか…ここの警備員みたいなの来たら…こいつ、守ってくんねぇ?」
「確かにお前が言う台詞じゃないよな。見てたぜ? この姉ちゃん沈めたのお前だろ」
真は冷たく言い放ち続ける。
「それに、オレにメリットは?」
「……ないけど。人助け?」
「オレにゃ似合わなすぎる言葉だぜ?」
「知ってる。……あんたに人情の期待なんてしてねぇよ」
「だろうな」
「……でもともかく、…お願いだ。や…お願いします」
「…最初からそう素直に頼めよな」
ふ、と軽く息をつき大袈裟に肩をすくめる。
「いーぜ、承知した。守ってやるよ。
でもさ…あのガキ、殺すの?
アレお前の同族…二重の意味で同族だけど?」
―――緋月で、殺し屋…か。
「……」
それを認めて、慶はただ頷く。
「…そいつについてこられると止められる…だから……、お願いします」
「…はん…。
…相変わらずくだらねぇことに拘るガキだ」
「そうだな」
「しょうがねぇから付きやってやるよ」
「ありがと」
ふわりと笑ったその顔の儚さに微かに真は顔をしかめる。
その表情を見ることなく、慶は駆け出した。
意識を失った雅の傍らに、真は火をつけた煙草を咥え腰を下ろす。
「ほんと…馬鹿なガキだねぇ」
呟きは、吐き出した紫煙にまぎれた。