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 『緋月』は忌み名。
 いうなれば殺し屋一族。
 慶自身は生きている一族の人間に会ったことはない。
 死んで、得体の知れない実験に使われているのなら、何人―――否、何体か見た。
 こうなりたくないのなら、逆らうなと。
 ―――オレは…
 恐かったのか? それが? 
 そんな正常な感覚を持ち合わせていた自信がない。
 ―――もしかしたら、オレは…。いや…
 本当は仮定なんて、無意味なくらい……好んで殺戮を繰り返していたのではないのだろうか。
 緋の目に、月と歌われる金色の髪もまた忌まれる者の証。人殺しの血の濃い証。また、発火能力が顕著な証拠らしい。
 はっきり言って真実かは分からないが―――その認識だけで十分だ。
 だから人に恐れられた。
 その色ゆえに母に売られたのだとも教えられた。
 それが真実かどうかなど知らないが母も父も知らぬことは確か。
 化け物、人形、その言葉だけを子守唄に生きてきた。
 ああ、これでは。
 人間であるかすら分からない。

 ずっと、そう、思っていたんだ。


 属に言う屋上に、少女は佇んでいた。
 かつん、と靴音を響かせ歩む慶に、黒い少女は微笑む。
「…尻尾を巻いて逃げたのかと思った」
「まさか」
 慶が苦笑すると、少女はこげ茶色の目を細め嗤う。
「あの女、置いてきたのか?」
「そういう要求だっただろう」
 静かに答える慶を少女は鼻で笑った。
「巻き込みたくない、か?」
「……ああ」
 しばし躊躇い、正直な言葉を吐き出す。
 すると、彼女の嗤いはいっそう高らかに響いた。
「これが…、お前のような存在が…」
 ついた異名は数知れず。
 一度現れれば、その場にいるもの全てを沈黙させるまで止まらない。
 絶対の破壊者にしてこの世の理からは外れたとしか思えない、いわば『破戒者』。
 数十年ぶりに生まれた緋月の最高傑作にして、自らの名すら持たない大量殺戮者。
 そして……赤いその目に魅入られたものは、誰一人生きてはいないと……
「そう、謳われた最強だったハズだがな…」
「…そうだったなァ」
 思い出すまでもなく、覚えている。忘れたことなんて、一度もない。
「それが………仲間ごっこで罪滅ぼしとは笑わせる」
「―――ハッ」
 侮蔑の声に慶は笑う。
 思い切り、笑い飛ばす。
「そんなケナゲなこと考えてねーつーの。
 生き残ったら死にたくなくなっちまった。でも、飯のネタに困った。んで、拾われた。それだけ。…あの頃と変わっちゃいねぇよ。
 あの頃となにも変わっていないからこそ、てめぇの前にいるんだろーが」
 温度のない目と言葉は続く。
「…今も、腕は落ちていない」
 むしろリーチや体力なら今の方がよほど優れている。
「…で、それをふまえて。やっぱオレと戦りてぇわけ?
 オレに勝てるとでも、思うか?」
 少女はこくり、と頷く。
 いつかの慶と、同じように。
「殺りたい。」
 恐らくは年不相応の、温度がない声は告げる。
「貴様は…そう思わないと? それならなぜ私の提案に乗った?」
 心底不思議そうなその声。
 慶は少女を見つめる。
 黒の合間からのぞく艶のない白い肌。白すぎる…日の光を知らないのであろう、肌。
 そしてその瞳。
 焦点など合ってはいない、自我など欠片も存在しない、どこか血走った瞳。
 ひどく哀しくなって唇をかむ。
 ―――やっぱり、こいつ………
 それでも問いかけは続く。
「…先ほどの連れに家業を知られるのはそんなにも怖いと?」
 考えたのは一瞬。答えはすぐに出た。
「…怖いよなァ」
 知られて嫌われるのが怖い。
 知られて、許されてしまうのも怖い。
 どうあがいても、知られるのは怖い。
「…でもさーそれじゃねぇよ」
 どろどろと。どろどろと。胸をやく感情の名前は、たぶん殺意なのだろう。
 それを認めて、慶は言う。
 相手を喜ばせるような言葉を、あえて唇にのせる。
「…殺したくなったら困るじゃねぇか」
 人殺しが嫌いだ。
 だって、ホラ。
 戻りたくなるから。
「あー…オレは小難しい話会いには向かないし…てめぇを諭しにきたわけでもないわけだ。だから…とっとと来やがれ…」
 がりがりと頬をかきつつ、ため息混じりに呟く。
 なにかを誘うように腕を広げ、
「命の取り合いに応じよう、同類」
 告げた声は数多の命を奪ったあの頃の声音。
「それでこそ―――だ」
 ―――こいつは、どの名でオレを呼んだのだろう。
 そんなことを思いながら、少年は地を蹴った。


 勝負は、短かったわけではない。
 けれど、ひどく呆気なかった。
「なぜ」
 信じられないのだろう。
 今自分が捉えられているという事実が。
 少女には自信があったはずだ。彼女の反応速度は、つい数分前に対峙したその時より格段に上がっていた。
 その理由を慶は知っていた。
「なぜ、か……それは……ドーピングで速くなっても技量がないなら意味がない。
 それに………」
 身体がついていけないんだ、壊れてしまうんだ、そんな無茶したら。
 こみ上げてくる胸苦しさに邪魔され、続きを呟けたのは胸のうちのみ。
 と、少女が抗う気配を察し、拘束していた両の手の骨を折る。
 それでも彼女は少年から逃れて…壊れた両手のをぶら下げて、向かってくる。
「……フフフ」
 少女は笑う。
 心から、楽しそうな笑み。
「私は殺されるまでとまらない」
「……」
「殺さなければ、とまらない。
 それが私達だ」
 言いながらも、苦しげに喘ぐ。
 苦痛からか、それ以外か。
 血が混じった唾液を垂らしながら、それでも向かってくる。
 あまりに頼りない小さなナイフを口に咥え、前かがみに、突っ込んでくる。狙いは的の大きい腹だろう。
 ―――慶は避けなかった。
 ナイフが刺さる。
 否、刺さったと言うよりは、受け止められたかのような体勢。
 少年は膝を折り、ナイフごと抱きしめるように引き寄せる。
 そうして、少女との距離はゼロになったその時。獣のように唸りを上げる咽喉にゆっくりと手を這わす。
 少女が、静かに笑った気がした。
 無言のまま力を込めれば、間もなくがくり、と少女の身体から力が抜ける。
「………………」
 久方ぶりに感じる、咽喉を握りつぶす感覚は、いつまでもいつまでも、手に残る気がした。
 腹に刺さった刺さったナイフを無造作に引き抜けば、血がこぼれる。かすり傷のようなものだと確かめると、気が抜けた。
 ひどい疲労の命ずるまま、抱えた少女の身体の重さに負けたように、冷たいコンクリートの地べたに転がる。
 けれど、
「…この程度でオレは死ねねぇよ…」
「んだ、死ぬつもりだったわけ?」
 その声は、唐突に背後から響いた。
「…………し…ん」
「よぉ」
 ニヤリ、と笑った真はかつかつと慶の倒れた場所に歩みよる。
「…いつから見てたんだよ」
「着いたのはついさっきだ。約束は守ったよ。
 それより、探してたぜ? いやぁ。睨まれちまってさぁ。怖い怖い。」
 誰が、と言わずともわかる。
 自分を探す者などそうそういない。
 けれど―――
「……もどれねぇよ」
「…知られたから?」
「…元から遥霞、って言ってもわかんねぇよな…上司と……たぶん流とか竜臣辺り…同僚
 とか知ってると思うから…そこまで、気にしてはねぇな……」
 ああ、でも智華は知っているだろうな。希羅はしらねぇだろうなー、アイツ、暗殺とか縁なさげだし。
 呟くとなんとなしに笑えた。その掠れた笑みのまま、
「そうじゃねぇんだ……………雅のこと、……傷つけちまった」
 ほんの一瞬でも。
 確実に、殺そうとしていた。
「…雅ってあの姉ちゃんだよな…やけに気にするじゃん。
 なんだ、お前惚れてたのか?」
「……これから縁を切るとしても好きだとでも言おうものなら冗談でも命に関わるんだ。やめて。マジでお願いだから。」
 殆ど条件反射で体温が凍えた。
 けれど―――
『雅…俺の瞳が怖くない?』
『は? 怖いって……全然。キレーな目じゃん。ルビーみたいで』
 ―――アレは、嬉しかったな……
「…惚れてないけど、惚れてた、かも、な。人間としては」
 ―――綺麗なのはそんなことを平気で言えるあいつなのだと思って、やっぱり眩しかったんだ。
「ん、そっか」
 あっさりと相槌を打って、目線を動かす。
 その先には少女の骸。
「…これ結局殺したのか?」
「………進歩ねぇよな、オレ」
 真は皮肉げに口の端を吊り上げる。
「…進歩した、自分で考えた結果だろ? …なんて言うと思ってねぇよな」
 どかっ、と倒れたままの慶の横に腰を下ろす。
 見下される形から、見詰め合う形へと変わる。
「…俺もてめぇも。救える人間なんていねぇ。殺しすぎた」
「……知っている。
 救われる価値なんて、ないことは」
 でも、と少年は呟く。
「それでもオレはせめて、最後くらいは、誰かに罪を被せたかった。生きることも怖かったけど…そのまま死ぬことは怖かった…そのくせ…いや、たぶん、だから…殺されたかった」
 怖かった。あるいは、それすら面倒になるほど、疲れ果てていた。
 本当は真と会ったあの時、殺されても構わないと感じた。
 やっと終るのか、と。
 安堵した。
「甘ったれんじゃねぇよ。」
 その心を見透かしたように、冷ややかに言う真。
「オレは…お前を見て、死んだような目したガキだと厭になった。
 だからお前は生かしたんだよ。死人は殺せないからな?」
 くっ、と喉を鳴らす。もしかしたらふざけているつもりかもしれなかった。
 少年は、黙り込む。あの頃のように、黙り込む。
 それを眺める薄い蒼の目には冷徹な感情が宿る。
「自覚しろ、緋月。地獄なんて何処にもない。死んで詫びるなんて思い上がるな。思い知れ。楽になろうなんて思うな。オレ達には裁かれる権利もねぇ。
 最後の最後までもがいてなお、みじめに死んでも…なお足りない」
「…知ってるよ。アンタが叩き込んだんだろ?」
「…まぁな」
 くくっと笑う。それは冷たさと自嘲を同量に含んだ、ひどく寂しげな微笑。
 コートのポケットから取り出した煙草を咥え、ライターを探す途中で、身を取り出した慶が手を翳す。
「どーも」
 小さく火の灯った煙草に満足そうに笑うと、今気づいたとばかりに、慶の止血を始める。
「なぁ、礼はいいから、オレにもタバコ一本」
「あ? すいたきゃ自分の吸えよ」
「周りの奴ら口うるせぇんだよ、自分の前で吸うなって。どいつもこいつも禁煙者でなぁ…だからあんま持ちあるいてはいねぇの。仕事の時はたまに持ってくるけど…今日は忘れた」
「ふぅん? そりゃまたずいぶん…、睨むなよ。…しかたねぇな。ありがたくいただけ」
「アリガト」
 しばし、満ちる沈黙と紫煙。
「なぁ、慶」
 気のない様子で、そう呼びかける真。
 慶は答えないが、それを気にするわけでもなく続ける。
「それが、あのガキとの殺し合いに応じた…いや、わざわざてめぇの手であのガキを殺した理由か」
 静かに、それでもあきれ果てたような声で、確認する。
「お前さぁ…あのガキの中毒が取り返しのつかねぇレベルなの、戦る前から分かってただろ?」
 確かに、気づいていた。最初に対峙した時間近で嗅いだ汗に混じる異臭、あるいは直感、焦点の合わない目、とどめは…屋上での吐血。
 あの身体はもう既にぼろぼろで、壊れていた。
「たぶん、もって、あと半日…。オレだって気づいたんだ。だから元から殺す気だった―――で、だ。九九も足し引きもロクにできねぇくせにその手の知識だきゃあ叩き込まれた上に獣並みの第六感だけがとりえのてめぇが、気づかねぇわきゃねぇんだよなぁ。
 同調した―――それが、てめぇをお仲間から引き離したい一心でてめぇに殺されに来たガキを赦した理由か。ほっといても勝手に死んでくガキへの慈悲か。…くっだらねぇ」
「………せめて」
 慶は笑う。自嘲の笑みで。
 せめて、祈るようにそう繰り返し、
「救えないなら…アイツの命は、背負うよ」
 呟くと、目の奥が熱く疼いた。
「くだらねぇ。だからてめぇは馬鹿だっつーんだ、慶」
「…るせぇよジジイ」
 鞘で叩かれた。傷口近くだった。
 無言で痛みに悶える慶。
「アンタ、オレ一応けが人だぜ…」
「ハンっ。このくらいでガタガタ騒ぐな。丈夫さだけがてめぇの取り柄だ」
 ひでぇ、呟く慶に静かな声で押しつぶすように冷たい声が降り注ぐ。
「それと、オレはてめぇをつれていったりしねぇからな」
「…なら他に、探しなおすよ…」
「だって、今の話、もうしちまったし?」
 その言葉に慶は緩慢な動作で身を起こそうとする。
「まだ黙ってろ」
 鞘で小突かれた。今度は額だった
「…今の話、ってなんだよ?」
「アイツがどうせ助からないつー話。
 なんか銀髪の兄ちゃんとか赤髪の兄ちゃんって薬に詳しいのか? えらくあっさり頷いてくれたけど…ま、どうでもいいや」
 真は笑った。
 性格の悪さが滲み出るような、悪意をたっぷりと滲んだ、微笑。
「自覚しろ、慶。
 てめぇには、逃げ道なんてねぇんだ」
 ぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。
 乱暴な動作が、なぜか心地よい。
「良かったな。オレのつけた名前、案外役に立ってんじゃねぇか」
 呟いた声は、ほんのすこしだけ優しくて、あまりに珍しいその声に慶は全てがどうでもよくなってきた。
「…昔からアンタは言いたいことだけ言ってどっかいっちまうんだな」
「それが渋い男の条件だ。」
 立ち上がり、歩もうとしたその姿勢のまま真は笑う。
「渋いおっさんの間違いだろ」
「ほほう、言ってくれるじゃねぇか、誰がおっさんだと オレはまだ三十二だ」
「へー、それはもー充分におっさんだ。おっさんおっさんお・っ・さ・ん」
 繰り返す慶にけりを一発いれたあと、全く未練なくそっけなく背を向け、去っていく黒衣の男。
 彼の姿が見えなくなるまでその背を追い続け―――完全に消えても、そこに視線を注ぎ続ける。

 思い出すのは、彼に出会う前。この身を表す名のなかったあの頃。

 昔から体に染み付いていたのは人を焼く異様な匂い。
 触れてくれるぬくもりなど知らず知っているのは身を焼く炎の熱だけ。
 つかめるものなどなにもない。触れたものは灰に変わった。
 すべてを壊す側の人間だった。
 そしてきっと今もそうなのだ。
 でも………………………でも。

 じわり、と歪む視界。
 ぽろぼろと流れるのはどうやら涙らしい。
 その雫を誘うのは傷口の痛みではなく、過去への終りなき後悔。
 なにより―――
 遠くから迫る声を、やはり失いたくないと、彼は思った。

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