がたり、と。小さな窓を揺らす風は冷たい。
けれど、室内にいれば関係ない話だ。いや。室内云々とかじゃなく、関係ない、か。
これだけグツグツ火ぃ焚いていれば、屋外でも暖かいだろうな。
つもった心
「小町さん」
「はい」
「窓、開けなくて大丈夫ですか」
「はい」
涼しい顔で恋人は言う。
部屋は暑いが。季節に逆らって熱いが。本当に涼しい、なんでもないと言いたげな顔だ。
自然とため息が漏れる。
確かに彼女は頑丈だ。…僕より頑丈だ。……けれど、今この時をいうのなら。
「小町さん。…そういうことは額にびっしりと汗を浮かべて言うことじゃありません」
「心配には及びません」
「僕が、見てて心が痛むんです。開けましょう、窓」
これでも今それなりに空調を整えているのだけれども。ここまで部屋全体が暑いと、どうにもできない。結界を張って彼女だけ保護、というのも同様だ。部屋全体が熱いのだから、その風を持ってきても暑い。等身大の蒸し風呂を作るだけだ。
「第一、なんで窓を開けないで作業しているんですか…」
おかげで窓から入っていけなかった。
ノックしても開けてくれなかった。
気まずいんですよ、正面玄関から行くの。なにもやましいことはしていないし、なにを言われるわけでもないけれど。そもそも付き合っているのなんてもうとっくに知られているわけはあるけれど。なんとなく。
…いや。なんとなく、ではないか。
彼女から、あるいは我が主人から伝わっているだろうけど。きちんと自分の口で言っていないから、こうもやもやとするのだろうか。
…いや。そんなことよりも。
「竜とはいえ、無理は禁物でしょう」
取り出したハンカチで彼女の額をふいてみる。恥じらうように少し目を伏せるのがちょっと役得というか、こう、いや。いやいやいや。だからそんな場合じゃない。
「この匂いはある特定の羽虫が寄ってくるのです。びっしりと」
「びっしり」
「びっしりと寄ってきます」
大事なことなのだろうか。とても力強く繰り返された。…いや、しかし。
確かに妙な匂いがするとは思っていたが、それよりこの暑さが問題な気がする。
「…じゃあ、ほら。鍋の方に結界はりましょう。それともお玉を動かすくらいの隙間でも寄ってきますか。虫」
「はい」
とても沈痛な顔で頷かれた。
…頼ってもらえなかったことに密かに落ち込んでいたのだけれど。そんな問題でもなかったようだ。
「だから冬に作り置きしておくのが良いのです。もう少しで終わりますからご心配なさらず」
「…もう少しなんですね?」
「はい」
「……なら、待っていますよ」
「暑いのは確かなので風矢さんは外で待っている方がよろしいと思います」
「僕は君を心配しているだけで、暑さは苦になりません。そこまでは」
分かり切ったことだろうけれど、声に出して伝えておいた。
白い顔にいつもより赤をのせた小町さんは、困ったように首を傾げた。
窓から爽やか…というか、冷たい風が吹き込む。
冬だから当たり前だ。
僕がしばらくそうして換気をすませて再び窓を閉じている間にも、小町さんはせわしく手を動かしていた。
妙な匂い―――確かに煮詰めることで変化があったのだろう。最初にこの部屋に入った時とは微妙に異なる匂いが漂う草をてきぱきと布袋につめている。
彼女が怪し気なことをしているのは、あまり好きではない。
けれど彼女が自分のやりたいことを夢中でやっていることを見るのは、楽しくて嬉しい。こうしてチマチマと色々作っている姿は、なんとなく可愛らしい。
彼女への想いを自覚してから、何度繰り返したか分からない感傷が胸をよぎる。
「ところで、今回は何を作っていたんですか?」
「虫よけです」
「…羽虫はよってくるのに」
「土に埋めると茎につく類の虫がつかなくなります」
「ああ…それは確かに、便利ですね」
家庭菜園とかに、すごく。
言い添えると、彼女はコクリと頷いた。
地龍は土に力を与えられる。そうして育った植物は健やかだ。健やかすぎて虫が良く寄ってくる。
ああもう、うちの栄養は君たちにあげるために蓄えてるんじゃない!とか、よくマスターが嘆いている。
しかし、虫よけ。虫よけか。
……彼女のそういう知識は、例の如く大宇宙の意思経由なのだろうか。
あるいは、あの炎竜なのだろうか。
「風矢さん。眉間にしわが寄っています」
「…ああ、いえ。ちょっと考え事を。たいしたことじゃありませんよ」
「そうですか」
あまり納得されていないような顔だなあ、と思う。
でも、たいしたことではない。
僕が彼女の周囲に勝手に思い悩んで、勝手にイライラするのは。割といつものことだ。
少しずつつもりにつもって。たまに少しだけ喉を締め上げるだけ。
「なにか御用時があってきたのにあのようなことをしていて困らせてしまったのかと思いました」
「用事がなくても来るでしょう。会いたいとか、顔を見たいとか」
まぎれもない本音を、必要以上に甘い声色で言ってみた。
みるみるうちに赤くなる頬が愛らしい。かすかな赤を見逃さないことがうれしい。
些細な嫉妬など、すぐにどうでもよくなることも、また。いつも通りだ。本当に。
「風矢さん」
「はい、なんですか?」
「からかっていらっしゃいますね」
「愛でているんです。可愛いですからね、こういうことを言われた時の君は」
畳みかけると、ほんの少しだけ唇がとがる。
とてもかわいい。
なんだろう、この可愛い生き物。僕の恋人なんですよ。などと吹聴して回りたいくらいに。
同時に、こんなかわいい所を知っているのは自分だけで充分だとも思う。
…本当に、困ったものだ。この辺りは、我ながら。
彼女が広い世界を生きるのが見たい。その時に隣にいたい。彼女とずっと一緒にいたい。なんなら、誰にも見えないように囲ってしまいたい。
胸を占める大きさは違えど、すべて同じ心から生じる欲望は。たまに喉に絡んで、何とも言えずに後ろめたい。
「…可愛いから困るんですよ、本当に」
正座で向かい会う恋人の頬に、そっと手を添えてみた。
そんなことを言われるのが困るとでも言いたげな彼女は、僅かに首をかしげる。
手の平に触れる銀色の髪、そのふんわりとした感触もまた、何とも言えず胸を騒がせた。
「本当に…ホントに。色々と困りますよねえ」
恋人として付き合ってしばらくたった。
ならばそろそろ交配、と行ってしまってもいいのだろう。
この町を襲う異変が片付いてからと思っていたが。どうやらその日は遠そうだ。
その日が来るまで僕の理性とか色々なものがもつ保証はない。
だからもう、気にせずそういうことをしてしまうのもおそらく問題ないけれど―――……
……そうなるなら、ちゃんと。
結婚式というものをあげたい。なによりも一緒に暮らしたい。
そのためには…色々と、向き合わないとな。
「僕は本当、君が可愛くて日々困っています」
それは申しわけありません、の一言が聞きたくなかったので抱き寄せた。
小さく僕の名前を呼ぶ声は、やっぱり困ってしまうほどに可愛らしかった。