抱きしめた身体は、抵抗しなかった。
 ――――しばらくの。間だけ。

重なるみちのり

 ざあ、と再度風が吹いた。
 それを合図にしたかのように、ぐいと腕を押し付けられる。要するに、おしのけられる。
「…い…」
 それ自体は。
 それ自体は、全然。予想していたことなんだけれども。
「いますぐ付き合うとかじゃないんだからな!?」
 続いた言葉は。
 さすがにちょっと無情なんじゃないか、と思ってしまう。
「…えー」
 いや。あの流れでうんとか言われて。期待するなって、さすがに僕でも傷つく。
 …いや、なまじ抱きしめたりしなきゃ納得もできたけど。ここまで許されるとこう。
 身体に残る体温とかに、すごく切ない気持ちになる。
「えー。じゃない! そ、そういう話を…していたけど! …えっと、してたけどな!?」
 けれど、赤い顔の彼女は、悲しそうじゃない。
 全然悲しそうじゃないから、とりあえずはいいかもしれない。
「じゃあ今までの話ってさ、なに…?」
 本気でそう思っているはずなのに、自分の声はすごく恨みがましかった。
 う、と呻いた緋那が、うろうろと視線を迷わせる。そこに浮かぶ言葉なんて、ないと思うのだけど。見つかるというように。
「そ、それは…」
 それは、それはだな。
 数度そんな呟きを繰り返して、彼女は一度大きく頷いた。
「い、今スグとかじゃ、なくて! いつか、いつかの話だ!? いつか好きになったら返事をするというか!?」
 ………いつかって。
 いつかって、いつですか。
 というか、なんか、もう……
「僕、キープ……?」
 熱くなる目頭からこぼれそうなものを気合でとどめて、必死に聞いてみた。
 いや、そんな性格じゃないことは。
 分かっているんだけど。状況が。状況が。すごく。
 もう億年でも待つけれど、その前にかなたが死にそうだよな、とか。よくわからないことまで浮かんできて、すごく。
 ……すごく、残念。
「ちが、ちがう!」
 明らかに傷ついた顔と声色に、ちくりと胸が痛む。
 でも、撤回する気にもなれない。というか、なんかもう。言葉にならない。
「ちがくて……」
 がっくりと落としていた肩を、がしりと掴まれた。
 その手のひらは、もう震えてはいない。
 変わりにひどく熱くて、ゆるゆると顔をあげてみる。
「そういうのじゃなくて! 私に覚悟ができたらお前をもらう!
 それまで待ってて欲しい!」
 すごく真剣な顔で告げられた言葉に、胸の奥が高く鳴った。
 真剣な顔が綺麗で、全身が熱くて―――なんだか現実感がない。
 必死に叫ぶ緋那なんて、久々に見た。なんて、間の抜けたことが、頭をよぎる。
「だから!」
 だから、反応が遅れた。
 正面から近づいてくる彼女の顔を、見損ねて。
「だ、だから…!」

 頬をかすめた柔らかい感覚にも、反応し損ねた。

「く、首を洗って待っていろ!?」
 髪と同じくらい顔を真っ赤にした緋那は、そのままくるりと踵を返す。
 そして、返事をする暇もなく駆けだす。
 頬を抑えた僕は、もうその姿を見ているしかない。追い掛けて、今の感覚の由縁を確かめる気力はない。ふわりと香ったハーブの香り――彼女の髪に、染みついた香りとか、色々物語って。いた、し。
「………ああ、もう」
 思い切りぐりんとひねられた所為で痛い首をさすりながら、何度も呟く。ああ、もう。もう、本当に―――…
 そんなところも可愛いとしか思わないんだから、本当に、重症。

 ざあ、と風が吹く。
 まったく冷たいと感じていなかったそれは、ほてった体を静かに冷やした。




 次の日。
「―――ということ、言われてね………」
 ぽかぽかと暖かい庭に座って、昨日のことを説明する僕に、二対の瞳がなんともいえない感じに細くなる。
「ベム……」
「お前だからそんな…やつれ果てて……?」
 勿論、全部口に出したわけではない。
 ただ、抱きついても怒られなかったけど『待ってて』と言われて一人森に取り残されました。
 そんな説明の後の二人は、なんだかすごく、憐れみに満ちた顔をしている。
 …………リア充が。
 いつもの呟きが胸をかすめる。だけど……なんか、腹立つのとかも、通りこしたな………
「…で。待つの?」
「……待つよ」
 尋ねるメーに、僕は頷く。少しためらったのは、決して迷いではない。ただ、腕の中に思い出したぬくもりに、少し切ない気持ちになっただけ。
 柔らかかったな。あたたかかったな。なんて、思い出しただけ。
「…朝食君のだけいそいろと優先的に持ってくれちゃったりしても、まだ付き合っていないと宣言されて…?」
「しかもわざわざ土産がお前の好きなお茶だったりするのに、まだ好きじゃないとか言われて…?」
 今日の朝の出来事をあげられたって、心は変わらない。
 今日の緋那はすごく優しかったなあ、と嬉しくなるだけで。
「逆にどこまでいけば付き合ってることになるんですかあなた達…!?」
「ハードルあがっただけだろどうみても!?」
 僕が聞きたい。
「どうみてもどうにかなったのだと僕達が言っても認めないのに!?」
「お前がこんな真っ白になって俺たちに色々吐くほどぐったりしても!?」
 やけくそだ。
「お前それでいいの!?」
「今だってそんな遠い目してるでしょうが!?」
 なおもきゃんきゃんとわめいている二人に、僕は深く息をつく。
 …自分のことじゃないのに、物好きな奴らだ。本当に。
 本当に、本当に。
 …確かにこの二人に比べたら、僕は『緋那だけ』か。
 ……こいつらも、大概だけどな。
 ちらりとよぎった言葉に笑って、僕は告げる。なんだか笑ってしまうけれど、自分の、心からの本音を。
「でも、それが。緋那だから」
 僕が変われないように、彼女だって。きっと。
 だから。
「僕、それでいいよ」
 貴女がいいなら、それで。
 それが、一番幸せって、言ったでしょう。

 もったいぶられて参るどころか、幸せになれる龍だと。貴女の意思なら、それでいいと。
 分かるまで傍にいるよ、貴女が許して、くれるのなら。

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