例えその関係というものが変化しようと、力関係というのもは中々覆されない。
僕はそのことをひしひしと感じていた。
遅れてきた春風
ある日、自室から降りてきた僕の目に飛び込んできたのは、まっ白いレースで彩られた桃色のドレスに身を包んだ…青年。
その銀髪にはご丁寧にリボンが編み込まれているというおまけ付き。
…まあ、それはだれかなんて、今さら考えるまでもない。
だから、ただ心のままに告げた。
「二次成長終えた男子がするとインパクトのある格好ですよね、それ」
「いや、その前からインパクトはあったろうが!」
しみじみと頷く僕に、吠える声が一つ。
「まあ、あったはあったんですけど。ここまで見苦しくなかったのでスルーしてました」
「すんな! 見苦しいだろ! 俺元から男だぞ!?」
涙声でこちらにつめよる彼の足元で、ふわりと白いスカートが翻った。
僕は目をそらす。そして、必死で腹筋に力を込める。だって噴き出すのはキャラ的にどうかと思うし。ファイトだ、僕。
「無言で笑うなよ!」
「…くっ、は。これでも、努力…してるんです…よ…?」
「顔が笑ってるじゃねえか!」
「いえ、面白いですし…」
だって、今朝はおもむろに磨智さんと出かけたから、てっきりデートかなあと思ってたんですよ?
それなのにそんな恰好で戻ってくるんだから、笑うでしょう。
「それに…僕が下りてくる前にマスターの爆笑が聞こえて気がするんですけど」
「思い出させるな腹立たしい!」
僕の言葉に、奴はダン、と床を蹴りつけた。
「穴が開きますよ」
「知るか!」
「修繕費は貴方持ちでしょう。
ベムも手伝ってくれないと思いますよ」
「……」
舌打ちして足を止めるメー。
我が家のマスターは高収入とは言えないので、その辺は妥協しない。ついでに、ベムは緋那さん以外の者のために働かない。
さらに言えば、そんな家で生きる奴が大金を持っている言われもない。…使ってるところを見たところがないから、もしかしたら持っているかもしれないけど。
「ああ、そういえば、他の皆さんは?
私はずっと部屋にいたので、知らないんですけど」
「かなたは質屋にいらないもん流しに行った。
…緋那は知らねえ。ベムはたぶん部屋」
「…磨智さんは?」
「…かなたについていった」
「…そうですか」
最近やけに仲がいいですねえ。
なんとなしに呟けば、奴の顔がほころぶ。
…ああ、確執があったことに心を痛めてはいたのですね、あれでも。
僕は言葉を続ける。
「ならいいじゃないですか。磨智さんがいないなら、誰に咎められることもなく脱げるでしょう?」
「脱げない」
「…情けないですね。なにもそこまで顔色窺うこともないでしょう?」
「ちがっ…脱げねえんだよ! 本当に!」
返ってきたのは、想像以上に切羽詰まった声。
…怒られるのが嫌だとか、追っかけられるのが嫌だ…ではないのか。
「前はボタン、びっしりついててどうはずせばいいのか分からん。背中にチャックあるけどよく分からねえ。
…力任せに引き裂けば脱げるけど…高そうだし、これ」
神妙な顔をする奴は、大きく溜息をつく。嫌そうな目をこちらに向ける。…失礼な。
「だから誰かに頼もうと思ってたけど…よりにもよってお前かよ」
「私が嫌ならとっととベムに頼めばよいでしょう」
「こんなカッコ見られるのは一人でも少ない方がいい。
…先にリビング来た奴に頼むつもりだったんだよ! っていうか緋那に頼もうと思ってたのにいねえし…」
「確かに今のその格好を一番笑わないであろうのは、緋那さんですけどね」
まあ、その代わりものすごく憐みの目で見られるんですけど。それは気にならないんでしょうか。
…ああ、もう。
このしけた面を見るのも苛立ってきた。
「仕方ありませんねえ。…見苦しいから手伝ってあげます」
「…助かる」
言って奴は背中をむけてくる。
その背中にあるはずのボタンを探して…うわなんだこれ、どうやって着せたんだ。
思いがけなく時間がかかりそうなことを誤魔化すために口を開く。
喋っていれば間が気になることはない…はずだ。
「貴方、やられっぱなしで恥ずかしくありませんか」
「恥ずかしいし辛いに決まってるだろうが」
「やり返せばいいじゃないですか」
「でも俺こういうの作れないしな…。作れてもアイツがこういうの着るのは普通だろ。ちょっと浮かれてるかもしれないけど、可愛いだろうし」
「なぜ服でやり返すことが前提なんです。ついでにさらっとのろけないでください」
「…惚気って言うのは、褒めることじゃねえの?」
「ええ、相手をよく言うことです」
「なら違うだろ。当たり前のことを言っただけだし」
ぷちん、と小さな音が響く。
僕の頭の中で何かが切れた音…などではなく、ボタンの外れた音だ。よし、あと少し!
それにしても…当たり前と来たか。当たり前、照れもせずにそう言ったか、こいつ。
「……………馬鹿だ馬鹿だと思ってましたが。貴方はむしろボケてるんですね。色ボケです」
「誰が色ボケてるんだよ」
「可愛いなんてさらさら言えてそれを当たり前とさえ言う辺りです。この色ボケ」
「んなっ…」
「はいはい。ほらとれましたよ。とっとと脱いで着替えてきなさい。頭のめでたい飾りも外してくださいね」
「めでてえって言うな! 好きでしてるんじゃねえ!」
言って奴は足を踏み出す。からんだドレスに足をとられたか、ずるりとこけた。
なんだか喜劇じみたその姿に大きな溜息が洩れる。
付き合ってるのが馬鹿らしい…散歩にでも行こう…
玄関へ向かいながら、もう一度ため息が漏れた。
だが、この日、僕はとことんまでこのバカップルに振り回される日だったらしい。
夕方になって帰ってくると、奴と彼女が言い争っていた。
「帰ってくるまでそのままでいてって言ったじゃん!」
「誰がんな馬鹿な格好でいるかっ! ってこっちも言っただろうが…」
向かい合い、怒鳴り合う二人に、うるさいと説教をするものはいない。…僕としても、自分に害がないなら、目くじら立てる必要もない。
気にせず自室に戻ろうとして…服を引かれた。
「風矢君も風矢君だよ! なんで脱がせちゃうの!」
眉を吊り上げ問いかけられる。…なんでって、そりゃあ…
「…目に毒と言うか、見てて楽しくなかったというか、率直に言うときもかったので、つい」
「おま、そこまで言うか!?」
「似合うと言って欲しいんですか?」
「それは嫌だけど! きもいはないだろ、きもいは!」
「では、有害だったので、つい」
「ひどい! 有害だなんて! 一生懸命作ったのに!」
「だからと思って、俺だって破って脱ぐのはやめたんだぞ! 怒鳴られる謂われはねえよ!」
メーの一言に、磨智さんの声が止まる。
そして、大きく頬を膨らませたかと思うと…しゅんと肩を落として見せた。
「だぁぁって。最近一人で朝から晩まで一人で出掛けててつまらないんだもん」
「ん、なこと今までもあったけど、なにも言わなかったじゃねえか!」
「今までとは違うもん。可愛い恋人ほっといてなにしてんのさっ!」
「いきなり朝からおっかけてきてこんなもん着せる…恋人…は可愛くねえよ!」
なんでこいつは可愛いと言いきっておいてその程度のことに動揺するのだろう。
いっそ演技なのかと思いたいが、それで耳まで真っ赤に染まれるとは思えない。
僕の疑問をよそに、彼女の声は続いていく。
「ひどい! メー君が可愛くないって言ったぁっ!」
「ひどいのはお前だ!」
「ひどくなってるのは誰の所為!」
「なっ! 俺の所為かよ!?」
「…それはいいですけど、僕の服離してくれませんか?」
こんな犬も食わない類の喧嘩に付き合っていたくないんだけどなあと切実な思いをこめて呟くが、キッと睨まれた。
「風矢君が黙ってて。
…メー君、なら、教えて。なにしに行ってるの」
「…お前に泣かれるようなことはしてない!」
「でも、言えないことなの?」
追及に、メーが小さく呻く。
それを見逃さずに、彼女は畳みかける。
「別に浮気してるって疑ってるわけでもないよ? マスターがほっといてるってことは、危ないことしてるとも思えないし。
でも、できたら言ってほしい。…どうしても嫌なら、そう言ってくれればいい。そしたら、もう聞かないよ」
じっ、と所謂上目使いでそう告げる磨智さん。
あ。メーが震えてる。なにかに耐えてる。…それでいつも騙されてるって、気づいていないわけじゃないらしいけど…
たぶん、それこそが惚れた弱みと言う奴なのだろう。
奴は小さく唇を開いた。
「明日」
そう言うのは、ひどく真剣な顔。
「…明日の、夕方。…ちゃんと教えるから、それまで、待ってて」
それを受け止めた磨智さんもまた、どこか真剣な顔をして頷いた。
「…分かった」
見つめ合う視線。まるで二人の世界とでも言いたげな雰囲気。
僕の我慢が限界に達し、服を掴んだ手をとっとと振り払う決心をするまで、3分ほどの時間を要した。