少し時間をかけて料理がしたいな、と思ったのは、一時間ほど前だっただろうか。
 ぐらぐらと煮える鍋に、こまかくきった玉ねぎを追加する。最初にいれたものはもう形もないけれど、やっぱり食べても楽しみたい。
 とろりと煮えているスープに、私はひとつ頷いた。

ある炎龍の憂鬱

 スープはもう少しにこんで、後はちょっと具合をみてから塩加減を決めよう。
 おかず…おかずはさっきほうれんそういためたからな。そこに肉はいってるし…後でサラダみたいなものを作っても、いいか。
 少し早めに作った夕飯は、それなりに完成しているようだ。スープ煮ている間に他のことをしてもいいな。掃除とか。そういえば最近流しの掃除してないな。するか。
 いや、せっかく天気がいいんだから。庭でもいじろうかな。
 まあ、なんにしろ―――
 平和だ。すばらしい。
「緋那」
 この私を悩ませる声がなければ、きっともっと平和だ。
 うんざりしてしまうこの声がなければ、きっと。
 それでも同居人を無視するのも気が引けて、振り返る。
「…なんだ」
 愛想のあの字もないはずの私に、声の主は「ん」と小さく呟く。
 奴に差し出されたのは大輪の薔薇。大量の薔薇。
 ……唐突だな、オイ。
 真っ赤なそれは美しいが、感じるのは感動ではない。げんなりというか、ぐったりと言うか。いくら使ったんだこのバカは。
「……これをどうしろというんだ」
「うけとってほしい」
 唐突なことばかりをいう馬鹿は、今日もやっぱりおめでたかかった。
「……なぜ」
「あなたに似合うと思ったから」
 いや、そういう意味じゃなくてさ。なんで、こんな派手な薔薇を持ってくるのか。お前は。
 んなきらきらした目で言われても。どうしろと。
 嬉しいとか、嬉しいくないとかいう次元じゃない。迷惑というより、反応に困る。
 好きだ愛していると、出会った瞬間に言われた。
 今と同じように、とっても真っ直ぐな眼差しで。
 それはあんまりに唐突で、意味がわからない。
 それなのに繰り返される言葉を、どうやって信じろというのか。意味不明だ。
「受け取って」
「…嫌だ」
 意味不明なものは、嫌いだ。
 ごく当たり前の理屈に、奴は少しだけ眉を寄せる。
 少しだけ、でも。いつもがぼけーっとなんの表情もない奴だから、分かりやすくはある。
 だから、なんだか、騙された気にも、なる。
「理由がないからな」
 意識しなくとも冷たくなる声に、奴はそう、と溜息をつく。
 そして、花束をテーブルの脇の椅子にそっとおいた。
「…オイ。私はもらわないぞ」
「うん。でも僕が持っていてもしかたないし」
 だからって捨てるなよ。そんな豪華なもん。
 そういうところもどうかと思うんだよ、お前は。
「ここにおくだけ。だから誰か拾っても僕には関係ないよ」
 口に出さなかった言葉が聞えたように、奴は振り返って言う。
 おいているだけって。お前。
 …そういうものでも、ないと思うが。
 けれど本当に捨てられているとしか言えないその様は、うっすらと心が痛い。
 …前同じようなもんもらった時、ばらして配ったのが実は腹立っていたのだろうか。あのくらいならというやつだろうか。いや。いやいや。それでもいいからといったのはあいつだ。
 今だって捨ててるように見えても、どう見ても拾うことを見越した感じだったじゃないか。
 …やっぱりこいつと一緒になるなんてごめんだ。
 わけが分からなくて、なんだかつらい気持ちにばかりなる。
 何かを言いたいような、言いたくないような気分。とりあえず黙っていると、玄関の方から足音がする。
「ひっなー。一緒買い物行こうー…、ってベム君。なにしてるの。また緋那を困らせてるの」
 ぱたぱたと軽やかな足音とおんなじように、明るい声。
 茶色い髪をぴょんぴょんと跳ねさせる磨智は、こちらによってくるなりそう言った。
「また。って言わないで。悲しい」
 全然そうは見えないけどな、お前。
「そ、ごめんね。…しっかし、今日はまた派手だねえ。綺麗…だけど。どうせなら育てられるような形でもってきれくれればいいのに。増やすよ、私」
 地龍である彼女は、大地との相性がすこぶるいいのだろう。
 磨智が手をかける花々は、確かに美しく咲く。
 薔薇は育てるのが難しいが、こいつなら確かに増やせるかもしれない。
「君にもっていってどうなるの。増やしたいなら、自分で増やす」
 今度こそ憮然としたのが分かる口調で言う奴に、磨智はきゃらきゃらと笑う。
 …そういうこと言われるの、分かっていたんだろうな。
 分かってて言うなよ、と思うけれど。やっぱり黙っている。
 そのまま黙っていると、しばしの沈黙。
 その間を縫うように、奴はふらりと廊下にむかった。
「……」
 ふらりと、ほんの少し力なく。
 …なんて、分かるほど、仲良いつもりはないし、仲良くなるつもりだって、ないんだけど。
 椅子におかれたままの薔薇を手にとる。…ずしりと重いのは、きっと。手ではなく心だ。
「緋那? やっぱり受け取るの?」
「…ちょっと、バケツにつっこんでくるだけだ」
 これが枯れるのを待つだけなのは勿体ない。
 それだけなのに、磨智はそっか、と苦笑した。
「んもう、優しいんだからー」
「深い意味はない」
「だろーねー。じゃあ私も一緒バケツとり行く!」
 なんだか妙に楽しそうな友人にそうかと頷いて、私は片手で花束を抱える。
 赤い薔薇の花言葉とやらがちらりと頭をよぎり、鼻を鳴らす。
 愛とか恋とか、もっぱらそんなものと共に語られる、赤く華やかな花。
 そんなものに別に答える意義なんて、ないし。
 そんな気も、ないんだけど。
 まあ、やはり花に罪はない。これはただ綺麗に咲いているだけだ。
 磨智の言う通り、植木鉢とかの方が世話できて好きだけど、切り花が嫌いなわけじゃない。
 適当に水にさして、そう、かなたに見せよう。前もそうした気がするが、いい。あいつ、世話とかてんで駄目だけど、こういうみると大喜びするから。
 無邪気に綺麗だねえとか言われた方が、花だって嬉しいはずだから。

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