ひらりひらり舞い落ちるように。
 ふらりふらり心が惑う。
 こぼれ落ちた言葉は花弁にも似て。
 地に落ちれば、枯れていく。

春の終わり、迫るは嵐

 126番地には、今日も今日とて悲鳴が響いていた。
「メー君、逃げちゃ駄目だよ!」
「うるさい、黙ってやられてたまるかぁっ!」
 ばたばたと廊下を走っていくのは、茶髪と銀髪。
 今日も今日とて2人は女装をするかしないかを巡り、仲良く追いかけっこを繰り広げていた。
「なーんーでー逃げるの! 君のプライドなんてもうあってないものだよ!」
「誰の所為だ!」
「私に責任押し付けないでよ!」
「いや、お前が原因だろうが!」
 叫びつつ、走る。だが、このままいけば行き止まりだ。126番地は決して大きな屋敷ではないのだから。
 だから、メーは大きな窓を開け放って、足をかける。その体を本来のものに戻しながら。
 勢いを殺さぬまま羽ばたく光龍の後には、当たり前のように小柄な地龍がかけていく。

 それから、しばらく経って。
 一人戻ってきた光龍は、地龍の彼女の部屋に侵入していた。
「ふ…」
 ―――ここにこうしているとは敵も思うまい!
 心の中で勝ち誇るメー。
 確かに、街中をさ迷っている磨智は、こんなところにメーがいるとは思わない。
 しかし、いつかは帰ってくるのだから、むしろ袋の鼠。
 肩で息をする彼は、残念ながらそのことに気づいていなかった。
 ―――磨智の部屋はキレイだよな。
 あまりに簡単なことに気づかぬまま、彼はぼんやりと思う。
 自分の部屋が汚いからそう見えるだけじゃない?とつっこみをいれる彼女はいない。
 なぜふりふりひらひらした服達がここまできっちり片付いているのか。不思議でしょうがない。そもそも、あれのたたみ方すらメーにはよく分からない。 かと言って脱ぎ散らかすと顰蹙を買う。理不尽だ。
 その辺について考えると、悲しい気分になるので、思考をやめる。
 木の色を生かした家具と可愛らしい装飾品が並び、暖色を基調とした調度品がある『女の子』らしい部屋。その中になぜか立ってる自分の等身大フィギア(某月某日、某カフェにあった某元名匠さん作の名品)は全力で目に入れないことにした。
 なにやらマネキンに使われていることも含めて、必死に意識から消去することにする。
 なにはともあれ―――ここに足を踏み入れる時はいつも気が動転しているから、こんな風にゆっくりと見たことは初めてかもしれない。
 ぼんやりと思いながら、小さく息をつく。微かに花の香りを感じ窓辺に目を向けたが、そこに予想したような花はない。
 嗅覚を頼りにぐるりと視線をめぐらすと、リボンで飾った袋に詰められた花弁が目に入る。
 あれは、ポプリというものだったはず、気づいて思い出すのは緋那の部屋だ。
 彼女の部屋にもあれがあった。けれど、壁に飾られたりはしていない。棚に置いてたあったから、雰囲気が違う。
 部屋全体にしても、そう。緋那の部屋はもっとそっけない。窓やベッドを飾る赤だけが目に鮮やか。唯一と言ってもいい装飾品は華奢な花瓶。それには常に庭で育てた花がある。彼女の部屋は、清かな緑の香りがする。
 殆ど連想的に、かなたの部屋も思い出す。彼女の部屋は、部屋というより書庫に近い。ベッドをソファー代わりに腰降ろし、時には寝転んで本を読み。折りたたみテーブル出して床に座り込んでいると思えば、書きものをしている。その部屋で一番強いのは、紙の香りだ。―――昔、ずっと傍らにいた頃、必然的に嗅ぐことになった香り。メーは本など読まないが、未だ記憶に巣食う香りだ。好きでも嫌いでもない。
 この甘い香りも、やはり好きでも嫌いとも言えない。どこか馴染みがあるから不快だとは思わない。ハーブティに似ていて美味しそうだ。
 彼女の前で口に出せば溜息をもらいそうなことを徒然と考え、ポプリへと手を伸ばす。
 なにを思うわけでもなくそうして、もう鼻孔をくすぐる香りを味わう。
 そうして、その真下に打ち捨てられたように置かれた、粗末な花束を見つけた。
「……花、か?」
 口に出しながら首をかしげる。
 どちらかと言えば、草の比率が多い気がする。
 その辺で摘んだ花を一生懸命草で囲んでみた感じ。
 それをまとめるリボンは色あせて、なんだか全体的に哀れっぽい。
 花屋に足を運ぶ機会はないが、分かる。これは花屋で作ったものではない。磨智が作ったものとも思いにくい。くたびれたリボンをそのままにしておくのは彼女らしくない気がする。
「………?」
 疑問符を浮かべながら、可愛らしく整えられた部屋でひどく浮いているそれを持ち上げようと膝を折る。
 その手が花束にかかった瞬間、ばたりとドアが開いた。
 茶の瞳と琥珀の瞳が出会う。言葉を失ったのは同時。だが、状況を察するのは磨智のほうが早い。
「うふ、メー君。とうとう覚悟を決めて自分から飛び込んできてくれたの?」
 一拍置いて、メーも我に返る。言い返す。
「違う! 大体なんの覚悟だ!」
「んー。私に遊ばれる覚悟だね」
「誰がするかそんなもん! つーかそれで俺に特は!?」
「私がいつでもとびきりの笑顔で微笑んであ・げ・る♥」
「報酬低っ!」
 その言葉が嘘ではないと示すようににっこりと微笑む磨智に、メーは不機嫌さを隠さず言いきる。
 磨智もその態度にムッとしたように顔をしかめ、声音を冷たくする。
「なに? 可愛い笑顔で満足できないわけ?
 なら脱げとでも? イヤー、不潔! 最低! 変態!」
「誰がそんなこと言うか! そもそもそれでいくと変態はお前だ!
 人の服ほいほい脱がせやがって…! なにが楽しい!」
「可愛いカッコしてる君を見るのが楽しい。」
「男に可愛いとか言うな!」
「男? そう、男の子だね、君は。でも、男だの女だのこだわるその態度が男らしくない、女々しいね。鬱陶しいよ」
「うぐ」
 鼻先で笑い飛ばされ、素直に言葉に詰まる。
 絶え間なく続いていた言葉が途切れた今を好機とでも言うように、茶の瞳がキラリと輝いた。
「じゃ、そーいうことで男らしく私の新さ…」
 新作に通してね、とでも言おうとしていたのだろう唇が凍りつく。
 大きな瞳は、メーの手元を凝視していた。
「それ」
 奇妙に抑揚の欠けた声で磨智は呟く。
「…それから、手、放して」
 メーは自分が持つ花束がなにであるのかは分からない。分からないままでいい。
 だが、その常ならず態度が気がかりだった。
「…ごめん」
 ―――まあ、これは俺が悪かったよな。
 胸の中に疑問を押し込めて、素直に謝る。
 そうして、続ける。
「悪い、部屋漁ってるみたいで気分ワリィよな」
「…別に、そんなんじゃないよ。
 漁られて困るものはちゃんとしまってるもの」
 静かに言う磨智に、ごく自然な調子でメーは続けた。
「じゃあやっぱり、これ、なんか大切なもんなんだな」
「やっぱり?」
「こんなボロくなっても大事にとってるあるんだ、大事な思い出でもあるんだと思ってよ」
「……」
 軽く笑うメーをじっと見つめながら、磨智はそっと目を伏せる。
 その顔に落ちた影が寂しげだと言うことに、花束へ視線を移した彼は気付かない。
「馬鹿だね。こんなもの、捨て忘れていただけだよ」
「…そういうものか?」
「そ。この間マスターに付き合って皆でお掃除したでしょう?
 その時、出て来たの。それまで…棚の奥、だよ」
 けれどその声が悲しげなことには気づく。
 だからこそ、言葉を続けた。明るい口調を作って、軽く揶揄するように。
「お前、こういうの好きだよなぁ。
 黙ってそういうのだけ作ってりゃ可愛いのに」
「うふ、なに言ってるの? それなら君に着せてる衣装だってすごく可愛いよ。
 作ってる私も超可愛い。ということで、着て♥」
 同じように明るく軽い言葉と共に、ずずいと迫りくる磨智。
 その手が持っている、相変わらずひらひらふりふりの衣装に顔を引きつらせる。
「用途が可愛くねえんだよこの変態!」
 叫び、花束を投げつける。その後にハッとした。
 かなり乾き、脆い印象のそれが壊れてしまったかもしれないと危惧した。
 けれど。
「――いいんだよ。こんな雑草。」
 片手でそれを受け止めた磨智の浮かべた笑みは、冷ややかだった。
 メーの危惧を察した上で、冷やかに微笑む。
「雑草だよね。本当…送り主の程度が知れるってもんだよ。
 ほんとに、捨て忘れてただけだよ、こんなもの」
 その印象は、例えるなら水面に張った薄氷。
 外の寒さに凍てついた、冷たい笑み。
 少し足を踏み入れればすぐに割れてしまいそうな、儚い笑み。
「…お前」
「ん、なに?」
 彼が無意識に紡いだ言葉に返ったのは、いつも通りの笑顔。
 明るく騒がしい彼女らしい常の笑み。
「いや…なんでも、ねえ」
 だから、彼はそれ以上追及しようとしない。
 静かに目をふせ、息をつく。
 瞼裏の闇を見つめる間に、彼女がどんな表情をしているのか。
 そんなものは興味がないとでも言いたげに、あっさりと声の調子を変える。
「ともかく、俺はそんなもの着ねえ!」
「ふふふ、そう言っていっつも着てるれるんだよね。
 そーいう、口先だけでお馬鹿なとこ、大好きだよ」
「うわむかつく!
 いいか、俺は今度こそぜってー着ねぇっ!」
 こうして、一瞬の冷たい笑みは、いつもの下らぬ言い争いの中に溶けた。
 氷は溶けて水となる。それがどこかへ流れていくのか。
 まだ、彼は気付いていない。

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