軽はずみなことを言うと後で後悔する。
磨智に『あのこと』を言ってしまって、後悔したから―――やめるはずだったのに。
私は、彼にも繰り返していた。彼にも軽はずみなことを言ってしまった。
私は、彼になにも与えるとができないのに…ひどい口約束をした。
ああ、全く…馬鹿、だな。
零れ落ちる言葉の裏の
「…引導なんて渡せるか」
ぼそり、と呟いた言葉が空に溶ける。
頭が、そして目が痛い。
「……どーしろっつうんだ…私に……」
ぐしゃぐしゃと髪をかき乱す。
「……緋那に無理言えばよかったつーの…?」
いっそ泣いてしまいたいけど、できない。
こんなこと程度で泣けない。
そんなことで泣いてたら、今一番苦しんでいる彼に申し訳ない。
「……あー。いや、無理に交配させたら、あいつ、納得しねぇよな……」
分からない。
どうすればいいのだろう。
閉じた瞼の裏に、ひどく憔悴した彼が浮かぶ。
背を丸まらせて、肩を羽を落とした朱い龍。
その姿が、ひどく小さく頼りなく見えて、悲しかった。
何度目か分からぬため息を繰り返したその時。
コンコン、と扉をノックする音が響く。
一瞬悩んで、寝台から身を起こして、扉をあける。
…うちで扉をノックするのは、まず風矢と、家出中のベムと、そして、
「緋那ちゃん」
予想通りの彼女の名前を小さく呼ぶと、彼女はこちらを真っ直ぐに見つめてくる。
気おされそうな強い赤の瞳に促されるように身を引いて、再び寝台に腰を下ろす。
緋那は扉を閉めて、そのままそこにたたずむ。
「…座らないの?」
「ああ、いい。
…話があるんだ、マスター」
私は自然と背筋を正す。
彼女が私をマスターと呼ぶのは、お説教だったりドラテンだったり、真面目な話の合図。
「なに?」
軽い調子を心がけてそう尋ねると、彼女はたっぷり躊躇って、
「……アイツは、お前に会って、なにを言った?」
…アイツじゃ分からないよ、などと言ってふざける気にはなれない。
だから、ただ一言で答える。
「言えない」
首をふる私に、緋那の顔色が失せる。急いた調子で紡がれるのは、限りなく的を射た言葉。
「私に言えないようなことを言ったんだな、そして、自棄になるなと釘を指さなければいけないようなことを」
…ああ、こんなこの子、初めてみたよ。
ならば、まだ、
まだ、期待する余地はあるのかもしれないね。
心の中で彼に語りかけて、私は立ち上がる。彼女と目線を合わせるために。
「…緋那」
呼びかけて、私より少し高い位置にある肩をポンとたたくと、彼女は気まずそうな顔をする。
彼女は真面目な子だから、きっと彼が出て行ったことに責任を感じてる。
自分の言葉で彼を追い出してしまったのを、負い目に感じている。
けど……
「彼は君に責任を感じさせるのが目的で、そんなことをしようとはしていないと思う」
「感じるなというほうが無理だ」
それじゃあ、彼が可愛そうだ。
緋那は真面目な子だが、ベムはアレで優しい子…だと思う。
好きな相手の重石になんてなりたくないと言って、彼は帰れないと告げた。
どちらにも不幸になってほしくない私に、正常な判断なんてできない。
けど、これだけは分かる。
彼らに足りなかったものは、ちゃんと分かっているつもりだ。
「そうかな。
私は、ふられたのが原因で皆にこんなに不協和音撒き散らしてる彼に同情する気はない」
淡々とした声を装いきれたかどうかは分からない。
けれど彼女はキッと私を睨んだ。
「お前は他人だからそんなことが言える!」
「…そうだね…でも、私、これでも君達のマスターだよ」
肩から手を滑らせて、ぎゅっと緋那の手を握った。
手を握るのなんて嫌いだし他人に触れられるのが嫌だけど、そうする。
だって、大事な者の手が震えている時、このくらいできなくてどうするんだ。
「…だから、分かるつもりだよ。
例えばベムが、それこそ自棄になってよその子と子供でも作ってきたとして。
このまま死に別れでもしたら、きっと緋那は延々と責任を感じ続ける」
彼はそんなこと、望んでいないというのに。
彼はただ……一生懸命、自分なりの一途さで、彼女が好きなのに。
「でも、それは、おかしいよ。
だって緋那は彼の気持ちを信じていないんでしょう? 理由がないから、信用しないんでしょう? なら、好都合のはずだよ。
ああ簡単に乗り換えられる程度の気持ちだったんだ…って納得できないのは、どうして?」
言った後に、沈黙が落ちる。
緋那はふいと目を逸らしたかと思うと、視線をさまよわせて、空に固定する。
「…夕日」
「……が、どうしたの?」
「あいつの色だ」
くすり、と苦笑して彼女は唇を歪ませた。
「……なあ、かなた」
苦しげに吐き出されたのは、弱々しい声。
「私、あいつのこと、傷つけたんだね」
「…否定してあげられなくてごめんね」
「……アイツのこと嫌いなわけでは…ないんだ…」
「うん」
「ただ…ただ、あんまり好きって言うから、イライラしたし…分からなくなっただけなんだ…私、最初に、最初から戸惑って…思わず、冷たくしたのに、変わらないし…
なんか、そうしているうちに、あいつのこと試しているみたいになってきて…
なのに、やっぱり分からなくて…本当に、ワケがわからなくて…段々、怖くなってきて…もう、分からないんだ」
分からないのに、と緋那は言葉を次ぐ。
「今、アイツがいなくて、………痛いんだ」
ぽつり、こぼされた言葉はあまりに小さい。
小さすぎて、消えてしまいそうに思えた。
「…寂しい、んだね」
こくん、と彼女は頷く。
「ひどいことをいっぱい言った。…それで怒らないから怖かった。
……だって、私、…私、たぶん」
ぽつりぽつりと呟きながら、彼女は言葉を探すように続ける。
ゆっくりと気持ちを手繰りよせるように、ぽつぽつと、語る。
「…私、あいつと喧嘩したかったんだ。
好きだとか、そういうのだけじゃ、分からない。嫌なとこか、言い合えたら…、分かる努力もできるのに。
あれじゃ、あいつのこと、なにも分かってあげられない」
それじゃ、答えようがないじゃないか。
彼女はそう言ってひどく寂しげな目をした。
「あいつのこと全然分からないのが嫌だ。
…これって、スキってこと?」
「…それは私に言ってもしょうがないんだよ」
言って手を放すと、緋那はひどく不安げな顔をした。
けれど、それは一瞬。
彼女は沈みきった夕日を睨むかのように眼差しを強くして、告げる。
「少し家を空ける。―――探してくる」
言うなり、彼女は私を押しのけて窓に足をかける。
…ここから飛んでいくつもりなんだ?
その性急なほど潔い様が彼女らしくて、嬉しくなった。
「…ここに呼び出してもいいんだよ? 緋那が呼んでる言えば、断らないだろうし…」
「探したいから、いいんだ」
きっぱりと彼女は答える。
そして、急に声を低くした。
「探して、とりあえず謝ってから…一発殴る」
いや、二発、三発、そのくらい殴ってもいいだろう。
小さなその呟きに頷くのは少々可愛そうな気もするので、曖昧に笑っておいた。
「…いってらっしゃい。緋那」
言った刹那、大きな羽音が耳をつく。
―――人の形をとっていない、龍本来の表情など、よく分からない。
けれど、僅かにこちらを振り向いた彼女はきっと静かに微笑んでいたと思う。
「…うまくいってくれよ、頼むから…」
呟きながら、今はただ。
その一瞬の笑顔を信じようと決めた。