もしも、もっと早くであっていれば。
 そのことを、たまに考える。

 もしも、もっと早く、出会っていても。
 こいつは何も変わらないだろうし、変わらないからこそ。

 それでも、そんなことを考えてしまうのは―――

淡く、深く、包み込むように優しくて冷たい。

 手の中でひらひらと遊ぶのは、昔の恋人の結婚式の招待状。
 本気で好きだったし、大事な女だった。好かれていたとも、思っている。ただお互いを大切にする方法は、噛み合わなかった。
 その結果、最後に待っていたのはそれなりにきつい言葉で、当時はかなり傷ついたのだけれども―――…
 今、ほかの男と一緒になると言われて。
 ああ、そんなにもたったのか、と。ただぼんやりとする。
 今度は幸せになってくれるといいなと、他人事のように思う。

 他人事のように、あの頃のような気持ちにならないのは。
 今好きな相手がいるからなのか、それがなくても過ぎてしまったことだからなのか。
 考えても分からずに、黙ってハガキをカバンにしまう。
「いくの?」
 そういうことは聞かないでほしかったな。
 聞くにしても、少し嫌そうにしてくれたら良かったな。
 言うだけ無駄な言葉を飲みこんで、振り返る。
 今好きな相手は、予想通り。痛くもかゆくもなさそうな顔をしている。
「……祝いだけだすよ」
「あなたに来てほしそうにみえたけど、あの人」
「俺も別にいってもいいけど。…俺だったら来てほしくはないよ、昔の男。式場に」
 というか、呼ぶなよって話だ。いい気はしないだろう、新郎。
 仲良しこよし、元から親友、っていうような関係ではなかったわけだし。今も、友達には戻れなかったわけだし。
 ―――あなたにひどいことをいってしまったから。
 ―――幸せにできなくてごめんな、なんて。言わせてしまったから。
 ―――できれば幸せになったところ、見てほしいんだけど……
 まあ、とりあえず言いたいことはわかる。その気持ちは、もしかしたら嬉しい。……しかし変に勘ぐられてもしかたないだろうに。んなことしたら。
 …そういうところは気にしない奴だったんだよな。そういえば。終わったことは終わったこと。今がやましくないならいい!みたいなさ……
「…そういうものなの?」
 ………そう言う女ばっかりに縁あるのかな。俺。
 思わず俯くと、ぽんぽんと背中を撫でられる。
 …いや、慰められても。
「……おまえはちっとも嫌じゃないんだな」
 顔をあげて問いかけてみた。向かいあう形で床に腰を下ろした祐絵は不思議そうな顔をする。
「何を嫌がるの」
「………いや。聞くだけ無駄なことを聞いた」
 昔の恋人に会っていても、未練がましいと勘ぐることとか、ちっともないんだな。
 …いや。ないのは。勘ぐる理由、か。
 ……自分で考えて落ち込んだ。
 落ち込んで落ち込んで、いっそ苛々してくる。
 ごまかすために口づけてみた。
 …やっぱり、顔色なんて変わらなかった。


 …今更こんなことでイラついても、どうしよもないとは分かっているんだが。
 色んな意味でけだるい身体を起して、隣に寝転がる女の肩に布団をかける。一瞬触れたそこは、冷たい。汗はかいた後だから、余計に。
「………もしも」
 ぽつり、と呟く。
 口どころか他のところを色々触ったところで通常運営の女は、黙ってこちらの言葉を待っている。
「俺がもしも他の女と黙ってあったら、お前どうする?」
「…あって、こういうことするって意味?」
 …いや、まあ。そこまでいかなくとも。
 …というと、その差を説明するのが死ぬほど面倒なんだろう。
「…まあ、それでいいな。そっちの方が分かりやすい」
「別にごねないで別れるけど」
 ああ、そうか。
 他のとやるイコール心変わりか。
 分かりやすいな。すごく。
「…言い方変えるわ。他の女とやるだけやったけど、お前がいいって戻ってきたら?」
「わたしがいいのなら、戻ってくればいい」
「軽いなオイ!」
「付き合っているのに他のひとを相手するのは、悪いことだとは思うけど。
 別に、わたしに関係ある話ではない。それで浮気相手の側に怒られても、やっぱり関係はない。あなた自身の不始末。あなたがどこでなにをしても責めないわ。
 そういうもつれで後ろから刺されたら、お葬式いってあげる。…そうね。でも、わたしが刺されそうになったら…別れたわね」
「想像で人を殺すなよ!」
「…あなたが考えろというから、考えたのに」
 思わず叫んだあと、ふと気付く。
 たった今吐かれた言葉の、おかしな箇所。
「…刺されそうに『なった』? 『別れた』?」
「……なに、その顔」
 繰り返して、はっきりする。
 …過去形だ。
 しかも、少し嫌そうに話した。
「……おまえ、そういう言い方するってことはそういうこと前あったな!? 二またかけられても気にせず付き合ってそのあげく浮気相手にさされそうになったこと、あったな!?」
「三又だったらしいけど、その中で誰も刺されてないから大丈夫よ」
「なんでそれが分かった時点で別れねえ!」
「別れるべきかと思って、切りだしたけど。
 別れたくないとうるさくて。説得が面倒だったから」
「面倒がるな! そういうことを! お願いだから!」
「刺されそうになった時点でさすがに身の危険は感じたので通報はした。相手は傷害未遂で…まあ、今はでてるけど。そこまでしたら目が覚めたみたいだから、むしろ謝られた」
「だから、そういうこと、なる前に……!」
 言葉を続けようとすると、ごほりと咳がでた。
 ……っていうか、いつの話だ。それ。
 俺が知らないって、もしかしたらそれ学生時代なのか。
 まさか学生時代なのか。
 ……相手の年齢次第でそっちでしょっぴけるじゃねえか。
「今考えてみたら。それだけ人を傷つけた人を黙って許したわたしも悪いということなんでしょう」
 …そりゃあ、相手の女にしてみりゃ、そうだろう。
「そうね、もしあなたが浮気をしたら、怒ることにする」
 けど、そんな気持ち。おまえ、分かってないだろう。
「……浮気相手のため?」
「拓登がしたくてしたことなら、浮気相手を怒るのもおかしいじゃない。
 他に誰を怒るの」
 好きな相手をとられて嫌だ、なんて。
 発想自体がないから、そんなことを聞くんだろう。
「…おまえ、ホント…」
 俺を責めるという発想がなんででない。
 そこまで期待されてないのか。信頼されていないのか。
 ……違う。
 そんな扱いされても、腹もたてねえのか。
「…どうしてあなたが泣くの?」
「……んなことで今更泣くか」
 それでも、苛立ちはある。
 引き寄せて抱えて、頭を置いた肩は。細いばかりではないけれど、俺よりはずっと細い。
 そして、ひんやりと冷たい。
 どこまでいっても、なにをしても。何を思っても。冷めている。
「…どうしてあなたが悲しむの?」
 こちらをうかがう声が、どれだけ優しく響いても。
「…悔しくて、辛いから」
 何が悔しくて辛いのかを理解してくれない、この女は。
 もしももっと早くあっていれば。
 そんなのに引っ掛かる前に、こうしていられたら。せめて。
 せめて、に続くのは。守ったのに、なんて。綺麗な感情ではない。
 こんなにも差を思い知らされて、みじめな思いをすることはなかったんだろう、と。ただそんな身勝手な感傷。
「…そうなの?」
「……そうだよ」
 そうだ、こいつの過去を消せないことが憎らしい。
 忘れさせることだって、できやしない。
 忘れさせるも何も、こいつはなにも辛くもないし、嬉しくもない。意識して覚えているわけでもないけれど、思い出せば思いだす。
 そんなことを忘れさせられるくらい、こちらを見てくれれば良かった。
「……そうなんだよ」
「…そう」
 ―――少なくとも俺は、これまでなど。遠い昔になってしまうくらいに。
 そんな嫉妬など伝わらないことが、なにより辛い。
「……それだけだよ」
 女々しい言葉を飲み込んだ口の中に、鈍く血の味が広がった。





 浮気したいなーと思うことはあるんだろうけれども。しないんでしょうねえ。
 全然気にしない彼女を見て、ものすっごくうちのめされる自分が想像できるから。
 ちなみに拓登は元々はそんなに過保護だったりあれこれ気にする人ではないのですが。
 惚れた女がこんなんなので思わず気にせずにはいられないというあれです。基本的にかわいそう。
 けどまあ、しかたないんじゃないでしょうか。恋しちゃったんだしという。

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