泣いてる顔が珍しいと思う。
 声を殺して眉をしかめて。そうやって静かに泣いている姿は何度か見たけれど、こうやって。
 こうやって、派手に泣き喚いているのは、始めてみたかもしれない。
「…いやだ…」
 泣き喚きながら、とぎれとぎれに。
 ぽつりと落ちた要求に、少年はわらう。うっすらと、静かに。
 その表情に怯えたように、少女は言葉をつぐむ。
「なんで黙るの?」
 にこにこと、朗らかに笑いながら、少年が問いかける。
「どうして?」
 楽しそうなその顔に、少女は何も言わない。ただしゃくりあげて、頭をふる。
「…言わなきゃ分からないじゃない」
 少女が肩を震わせる。
 呟く少年が唇を寄せた手首には、すりきれた傷。かすり傷ながら、じわりと赤いものの滴る傷。
 痛くて、何よりも怖くて。俯いた少女の目線の先には、つい先ほどまで己を戒めていたロープ。
 僅かな血のこびりついたそれに、少女はもうなにもいわなかった。
 言葉をわすれたように―――それでも泣き喚く。
「泣いてるだけじゃ何も解決しないし、誰も助けてくれないよ。―――智華」
 縄ですりきれた手首に歯が立てられる。
 びくりと肩がふるえて、くぐもった呟きが漏れる。
「痛い?」
「…痛い…」
「そう」
 流れた血を拭う舌は優しげ。
 けれど、がたがたと震える腕を捉える手は、ぞっとするほどに冷たい。
「―――それはよかった」
 その手よりも冷たい声色に、少女は泣き声さえ凍る。
 足を無造作に持ち上げる手に怯え、いやいやと首をふる。
 もう、そのくらいの体力しか残っていない。
 なぶられて、泣き疲れて、それだけの抵抗が精一杯。
 少年は小さく笑う。
 冷たく―――幸福そうに。
 自分の意のままにできる相手がいる事実に、唇をゆがませた。

「いた…あ、痛っ!」
 嗚咽にまじって上がる悲鳴に、少年は笑う。冷たい声で、冷たい手で。目の奥に奇妙な熱を感じながら、自分の傷つけた幼馴染を眺める。
 身体を繋げるその行為に、興味がなかったわけではない。興味はあったし、その欲求が向かう先は常にこの少女だ。
 けれど、先日。組み敷いた少女に抱いた感情は、そういったものとは色が違った。
 この女が、あんまりに。馬鹿みたいに真っ直ぐな目をむけるから。
 なにもかも変わった自分を、まるで変わらない者を見るように手なんて差し伸べるから。
 どうせすべては嘘になるのに、そんなことを。するから。
 だから脅して罵って、何度か手もあげて、そうして。
 ああ、この幼馴染を。
 痛めつける手段がまだあるな、と。
 たどり着いたその結論が、ひどく愉快に思えた。

 酷い言葉を投げつけて、酷い場面をみせて。脅して、手をあげて。
 それでもこちらを見る彼女。
 それが恋だなんて、きっと勘違いだ。間違っている。だから、いつか冷める。その前に、へし折ってしまえ。
 身体も心も、ここから動かないように。
 組み伏した身体の細さに熱があがる。
 酷く苛立ち、酷く昂る。
 信じることなどできるはずがなかった。
 自分が許されることなどない。あるならそれは同情か錯覚で―――
 彼女が少し正気に戻れば、きっと冷めてしまう。気持ちがさめたら、おいていかれてしまう。
 また、裏切られてしまう。
 そうなるくらいなら、先に。裏切ってぼろぼろにして、いっそ正気など失くしてくれたなら。
「もう…や、だあ………!」
 それができないのなら、嫌って憎んで。
 終わらせてくれたなら。
「…たす、け、て」
 泣き喚きながら、その言葉だけを繰り返すこの女は。
 そんな思いに気付いているだろうか。
「遥、霞」
 呼ばれた名前に、彼は冷たく笑う。
 骨がきしむほどに彼女の腕を握りしめ、囁く。
「…助けない」
 この上なく間近にある互いの瞳は、焦点を結ばない。ろくに表情も読めない。
「君を、どこにも…にがさない」
 ただ血とすえた匂いが、互いの間のすべて。
「………わたしは………」
 嗚咽の合間に漏れた言葉は、塞いだ唇の中で潰れる。
「ねえ、智華。愛してる。愛してるよ」
 夢見るような呟きに、彼女は何も答えない。
 ただ憎々しげなまなざしを彼に向け、嗚咽を漏らす。
 ほの暗いその表情も、初めて見た。
 ああ、きっと自分だけだ、と。
 彼はひどく満足する。
「愛してる」
 だから、と彼は続きを胸の内だけで呟く。
 だから、早く。同じところに落ちてきて、と。

 絶えまなく涙を流す瞳が、すうっと細まる。
 嘆くように首を振る少女は、じっと唇をかんだ。


「あの頃のあれこれを一生許す気はありませんしあなたに同情なんてしません。
 ええ同情なんてしたことありませんよ。
 …したこと、ないんですよ。遥霞」
 後に彼女はそう語る。そう語っても届かない。今日も二人は愛しあい。でも理解はとても遠い。
 「人を殺した時点」で二人ともどうしよもなく人生積んだから仕方ない。