僕の愛する人はわりと人のことをためらいなくこづく。照れると殴る。たまに蹴られる。足げにされる。
けれど、それで痛いと思うことは実は少ない。
常は槍を振り回す彼女の拳が、人を殴ればわりとしゃれにならない。あくまでじゃれる程度に、かなり加減をされている。まあ、少しは痛いんだけど。そのくらいは、照れてる美華さんが可愛いから、まあいいや。みたいな。
僕の愛する人はわりと凶暴だ。短気だ。怒りっぽい。
自分でもそれを良く知っているから、押さえて入るんだけど。
だけど。
ご、と鈍い音が響いた時、彼女は加減も自制もしちゃいなかった。
じいんと痛む頬は、果たして赤くなるとかそういう次元で済むかどうか。顎のあたりの骨がどうにかなりそう。の前に、歯、もってかれたかも。
「……の、馬鹿っ!」
愛する人に馬乗りになられるって中々心ときめく状況だけど。それが罵声つきとなれば、まあ、ときめきはしない。
なにより、ここは医務室だ。
新婚の旦那ぶんなぐる妻ってってどうよ。ねえ。看護師は目を剥いてるし、担当医は青いし。ここら辺でやめとかないと、色々後で面倒だと思う。
「…許さない」
それなのに、愛しい愛しい妻は胸倉までつかんでくる。
「ゆるさ、ない……」
軽くしまった首元は苦しい。殴られた頬はすごく痛い。
けど、なにより。
「みかさん」
彼女の目から流れる涙が、何より痛い。
ああそれに、随分と顔色悪いなあ。駄目じゃない。健康管理、ちゃんとするのも仕事なんだから。って。いつも僕が言われてることか、これ。
本当に、まるで。
寝ずの看病でもしてたみたいに、やつれているよね。
「心配かけて、ごめん」
まるで、じゃないんだね。
ごめんね。
泣いている理由も、やつれた理由も、そもそも僕がこんなところで寝ている所為だよね。
ああ駄目だ、なんでそんな大けがしたんだっけ。思い出せないや。なんだか随分、寝ていたみたいだけど。
「美華さん」
名前を呼ぶ。腕をまわして抱きしめる。顔見知りの担当医に口の形だけで頼むのは、「二人きりにしておいて」。こくりと頷く彼女が部屋を出たのを確かめて、繰り返す。
「美華さん」
繰り返し繰り返し名前を呼んで、珍しく震える背中を撫でる。
抱き返されることはないけど、突き放されることもない辺り、重症だ。
こんなことされて怒らない貴女なんて、まるで。まるで怯えているみたいじゃない。
「勝手に、私の見えないところで死んだら、許さない…」
耳元で告げられた言葉は、呪詛にも似ている。
そうなったら生き返らせてでも殺すと言いたげだ。言うかもしれない。彼女なら。気性の激しい人だから。
「許さない、ん、だから……っ」
けれど言わないまま繰り返される、許さない。
うんそうだね、許さないでほしいよ。貴女を悲しませる僕なんて、そんなものは。心から。
「あんたは私のよ」
「ええ」
「だから、勝手に、死なないで」
「うん」
背中を撫でながら、頷く。
―――僕も貴女も。その言葉の不確かさを知っているけれど。
「…………愛してる」
「うん、知っているよ」
頷いて、軽く額に口づける。
誤魔化すように、なだめるように。己の中にある、死に向かう病を。
好きも嫌いも綺麗に抜けおちて、目の前にある敵しか見えなくなる、あの衝動を。
「僕も貴女を愛してる。心から愛してる。本当に、愛してる」
けれど、貴女だけがあればいいともいえない。
貴女もきっと、そんなことは言えない。
なんでだろうね、少なくとも僕は。貴女ほど好きなものはないのに。貴女が一等好きで、大事で、幸せにしたいのに。なんでこんな仕事、止めないんだろ。
性格は何もかも違う僕達は、それでもたぶん似た者どうし。
「愛してる」
「うん」
愛している、だから死なないで。生きていて。
当たり前のことを何度も確認しながら重ねた唇は、乾かぬ血の味がした。
神宮(母)と須堂(父)は性格が似ている。表面にでる性格が似ている。神宮夫妻は性根が似ている。直情型で向こうみず。すごく死に急ぐ二人。別に死にたいわけではないけれど。
娘を愛していたことも、そのために生きていたのも真実だけど。ふっと一瞬それが抜けおちてしまう一瞬がきっとお互い合って。たぶん娘も受け継いでる。良いところも悪いところもものすごく似ています。