12:立てない

 ふっと意識を取り戻すと、窓から差し込む光が白かった。
 ああ、朝か。
 思い、小さく笑う。
 ここに足を踏み入れた時は、昼間だったはずだけど。…まぁいい。わたしがどう扱われようと気にする人間なんていない。ある意味気にする(よりみじめったらしくしたいてきな方向で)人間はここにいる。
 だから時間なんてどうでもいいけれど。こんなところにこれ以上いるのが嫌だ。不愉快だ。
 そうして立ち上がろうとして。
 崩れ落ちた。

 ―――腰とか口に出せないところとか足とか諸々が痛い。うわちょっと爪ちょっと黒いと思ったら血こびりついてる。手首切れてるんだけど。きれてるっていうかすれてるんだけど。ちょっとまってこれ少し方向が変よねそういえば途中で感覚なくなったような……?
 憤りより先に諦めが溜息に変わる。
 たまに思い出したようにむごく扱われることには慣れた。慣れたことが不愉快で、その不愉快を飼いならすことすら慣れて。そんな自分に反吐が出る。
 どこが痛いかも分からない痛みに顔をしかめていると、やはり聞き慣れてしまった笑声が聞こえた。低く、冷たい声色だと。何度でも思う。
「手、かしてやろうか」
「嫌」
「責任を感じているんだが?」
「白々しい。立った瞬間離すでしょう」
 顔を上げることも億劫で、吐き捨てる。いや突き放すかもしれないな、聞こえたふざけた言葉にも、何も言わないでおく。
「責任を感じているから。とりあえずそこにくらいは戻してやる」
「戻りたくないわよ。…それより消えて」
 こんなことに呪を使うのもアホらしいが、痛みを誤魔化す術くらいいくらでも心辺りがある。
 そうして立ち去ってしまってから、ゆっくり治療をすればいいのだ。ああでも、帰る前に終わらせておかないと。あの子、心配するかもしれないわね。
 なんにしろ、こちらを見下ろしてくる男は邪魔だ。治療する様も、痛みに苦しむ様も見せたくはない。というか、顔を見たくない。
 ―――顔が見えなくても、そのくらいは分かってしまったのだろうか。
 身体を抱えられ、放り投げられた。
「あぐ……」
 上等の寝台の上は、身体が沈むほど柔らかい。それでも、そのかすかな刺激が今は痛い。
 つんと鼻につく何かしらの匂いも、すこぶる不愉快だ。
 手首が痛もうが、手をついて逃れようとした。けれど、それより早く腕をとられる。ご丁寧にすれた箇所を無遠慮に掴んでくださった野郎の顔が、こちらを見下ろしてくる。
「ふざけんなどけ下種」
「痛いとか苦しいとか素直に訴えれば考えてもよい」
「痛い。てめえの顔が視覚的に。苦しい。その面を張り倒せないこの状況が」
 苛立ちのままに張った虚勢は、長く続きやしない。
 すぐさま赤いものが滴るような傷は、浅いからいい。ただ肌の中で出血した部分の痛みが、まともない気すら奪う。それを分かっていて握りしめてくる手の所為で、折れそうに。
 悲鳴など、あげてたまるものか。
 素直に答えて解放されるなら、いくらでも媚を売る。
 けれどどちらも同じことなのだから、必死で息を殺す。それがこいつの退屈しのぎなのだと、分かっていても。
「…何度か言ったな。私にそういう口を聞くのはお前だけだから。決して殺しはしない。
 だが別に口さえ聞ければそのほかはどうであろうといいのだが」
「ハッ。なにそれ。このまま腕でも折ってみるの? それとも、ちぎってみる? あんたがいてましてやわたしがいるのだから、出血多量で死ぬことはないけど。
 駄目なんじゃないの。あんまり派手に『不浄な娘の血』なんかで部屋汚しちゃ」
「流れる色は他と同じだ。
 獣の血だと偽って、見破れるものがこの里にいるとでも?」
 腕を掴む手が、さらにぎゅっと力を増した。
 粘ついた汗が背中を濡らす。冗談じゃない。気まぐれで手脚とられてたまるものか。不便で仕方ない。
「黙れ。…離せ」
「…怯えた顔でもすればいいものを」
「怯えて叫んでなにか変ったことがあったと思うの? わたしの人生」
 嘆いても叫んでも何一つ変わらなかった。
 物心ついた時には父はなく。母は殆ど過労のような形で死んだ。母を追いつめた人間は、わたしがその元凶なのだと言ってくる。
 そんな状況で嘆いてばかりでは、喉が枯れるだけではないか。
 その一言、否、指先一つでこの歪んだ里を動かせる男に、そんな感覚は無縁だったのだろうけれど。
 それゆえにこの里のくだらなさに気付いた男は、何一つままならない娘のみじめにもがく様を、大層気に入っているようだけれど。
「…こんなところで油売ってる暇、ないでしょ。お忙しい族長さまは。
 あんたの業務妨害したなんて疑惑がついたら、わたしは今度こそ死ぬわよ。あんたの耳に入る前に集団で駆り立てられるのがオチよ」
「…だろうな」
 なら、する時はもう少し根回しをしなければな。
 なんてことのないようにそう言って、手の力はほんの少しだけ緩む。常ならば振り払えるかもしれない程度の力だ。けれど、少し力をこめるだけでそこかしらが痛い。…駄目だ、立てない。やっぱり。
 思わず呪を唱えれば、無造作に首に手を添えられる。添えられるなんて可愛いものではなく、呼吸を邪魔される。
「…なに、したいのよ。あんた」
「別に。なにも。
 そうだな。珍しく慈悲深い心地なのだろう。一日くらい、ここでお前が休めば良いと思っている」
 首しめといてどこか慈悲深い、と罵ることも億劫だ。喉がひりひりと痛い。
「お前がどこでなにをしていようが、気にするものはいない。ここに立ち入るなと命ずれば、誰も寄り付かない。
 ほら、いくらでも寝ていられるだろう?」
「ふざ、けんな。誰が、んな、いつまで。
 ……。……帰る」
 的を射ていた勝手な言い草に、全身全ての気力をかきあつめて告げる。
 必死に腕をはらって、立ち上がろうとした。
「っ……!」
 けれど、手をついた途端、頬を張られる。
 とんと倒れこめば、今度こそ呻きが漏れた。
「…嫌な目だ」
「……それは、始めてい、われたわね。嫌な、男に、言われる筋あい、ない……っ」
 僅かに血の味がする口を動かせば、再度頬を張られる。
 痛みより屈辱より疲労に似た感覚が、意識を遠のかせる。
「…………」
 短くつんだ髪をつかまれて、何事か呟かれた。  朦朧と痛みに沈んでいく意識では、何を言っているかなど、とらえようがなかった




 あえて表記するなら鈴←藍←父という嫌な感じの構図。別にそこにあるのは恋愛感情ではないけれど。愛情に勝てなかった執着のお話。
 …実はというか案の定というか。この二人、実はハッピーエンドへの道もあったのですが。男側がべしっとへし折ったんですよね。彼女も彼女でそこで愛想が尽きた、んで。もうバッドへ突き進むしかない二人のお話。この半年後、表の揺籃の冒頭に繋がるのは、表の話。