幽 玄 の 瑕
どうして。
どうして、そんな風に見つめてくる。
ついこのあいだ、会ったばかりの私を。
「貴女のことが好きだから」
躊躇いなくそう告げる声が、きっと、怖かった。
いくらあしらおうとしても臆さない瞳が、きっと、恐ろしかった。
だから。
「―――もう、そんな目で私を見るな!」
だから、それは本音だった。
冷たい言葉をかけても落ち込むそぶりを見せない彼が怖かった。こちらから目を背けない彼が怖かった。
だから、体調を崩して、心も乱れて、そんな日に投げつけたその言葉は、嘘だったなど言わない。そんな言い訳は、しない。
けれど――――それ、でも。
きつく巻かれた包帯は白い。目がくらみそうに。
床を汚した血は赤い。炎のように。
薄い唇もまた赤い。まるで、血でも塗ったように。
ああ、違う。
事実、彼は血にまみれてる。
瞳から流れた血液で、その顔も勿論唇も真っ赤に染まった。
瞳を抉ったその指は、もっともっと赤くなった。
まかれた包帯の下にあるはずの瞳は、ころりと転がったまま、血の海を泳いでる。
でも、それも違う。
血はもうとっくに乾いてて。彼を黒く汚すだけ。
拭き取って、それでも錆くさい血の匂いは、部屋全体に漂う。
緋那の喉がヒクッと鳴る。嗚咽する直前のように。
「…なんで、こんな、こと」
「だって、いらないから」
恐る恐る問うた声に返るのは、やけに整然とした答え。淡々とした答え。
「…なんで、いらないんだ」
「だって」
クスリ、と彼は笑う。
楽しそうに、愉しそうに、明るささえ感じる笑声。
「貴女が見るなと言うのなら、こんなものはいらないよ」
すっと手が伸びてくる。
見えているかのように正確に、涙でぬれた頬を撫でる。
薄い唇が、笑う。
「緋那」
名を呼ばわれて、少女はビクっと肩を震わせる。怯えるように包帯を見つめ、その下に広がってあるであろう光景に一層怯える。
「貴女が望むことは、なんでも叶えてみせるよ?」
それがどんなことだって――――
いつもより少しだけ低く、蜜のような甘さを孕んだその声に、緋那はただただ涙をこぼした。
体を揺さぶられた気がして、目を開ける。
飛び込んできたのは、心配そうにこちらを見つめる橙の瞳。
「……っ」
「緋那?」
声にならない悲鳴を上げる緋那に、ベムは一層心配そうに声を続ける。
「苦しそうだったから、起こした。余計なことだった?」
「…いや」
ありがとう、と呟き、ゆっくりと体を起こす。身を預けていたソファーは小さく軋んだ。
改めて、彼と目があう。いつもと同じ、橙色の瞳。
いつもと同じその色にむごく安堵して、同時に後ろめたくなる。なんて夢をみたんだろう、自分は。
「…ごめん」
「なんで謝るの」
ベムは僅かに眉をひそめ、そしてすぐに眼差しを真剣なものへと変えた。
「…顔色、悪い」
心の奥底から心配していると分かるその様に、緋那は小さく唇を噛む。
なぜ、どうして。
夢の中で繰り返した言葉が蘇り、余計な言葉を吐き出させる。
「……夢が」
「夢?」
怖かった、というのを一瞬ためらう。
それでも、言葉がこぼれた。ぽろぽろと、頼りなく。まるで涙のように滴る。
「お前、目は平気だな? 変なことしてないな?」
「……変なことって、なに」
当然の疑問に、緋那は言葉を失う。
目を泳がせて、違う話題を探そうとする。けれど。真摯な目線に負け、小さく溜息をつく。
「…お前が、その、目を駄目にする夢を見て。…怖かった」
私の言った言葉のせいで、とは言えない。それを言うことも、怖かった。
暗い胸の内を抱え、小さく震える緋那に、ベムは数度瞬く。そして、心底不思議そうに呟いた。
「…それは、変な夢だね」
「…変、だよな…そう…そうだな」
その言葉に、少しだけ呼吸が楽になる。
変だ、ありえない。小さく呟くと、少しずつ震えは収まった。
大きく息を吐いて、ゆっくりと伏せていた目線を上げる。
「そう、変だよ」
目が合ったベムは、にこりと笑う。
常に朴訥とした表情が常の彼としては珍しい、晴れやかな表情。
それを怪訝に思う前に、彼が瞬く。それは単なる生理現象。不自然さなど欠片もない行為。
けれど―――
ごろり、白いものが転がる。白く、その中央は綺麗な橙に染まった、球体。
「だって、そんなの、夢じゃなくて」
丸い丸いそれは、橙の虹彩を持った―――眼球。
「ただの現実なのに」
ヒッと喉が鳴る。
そらしそこねた瞳は、からっぽの眼窩を捕えてしまう。
「現、実……?」
繰り返す唇ががたがたと震える。
彼は唇だけで薄く微笑む。
「貴女がそう望んだんじゃない」
続いた言葉に、彼女は今度こそ悲鳴を上げた。
「―――緋那?」
名を呼ばれて、緋那はがばりと身を起こす。
眼に映るのは、その勢いに驚いたような顔をするベムだった。
「ベム…?」
「うん」
怯えたような声に首を傾げつつも、ベムはしっかり答える。
そして、僅かに眼を細める。
「どうしたの。顔色、悪い」
「………」
「…なんで起きがけに睨むの。僕、なにもしてないよ?」
「…本当だな」
念を押すように問う緋那に、ベムは嘆くように溜息をつく。
「信用ないの? 寝てる貴女に変なことなんてしたことないだろう」
「本当に、なにもしてないな!」
「緋那?」
叫ぶように問う緋那に、彼は数度瞬く。
彼が言葉を探す間に、緋那は焦れたような顔をする。焦ったように胸倉へ手を伸ばす。
それは本来乱暴な行為であるはずなのに、まるで、すがるように映る。
「…お前、目がなくなったらどうする?」
「困る」
唐突な問いに驚くこともなく即答するベム。
それでも、緋那は手も眼差しも緩めずに、理由を言えと示してくる。
「不便だし、緋那が見れない」
「……そうか」
「うん。当たり前。…どうしたの、いきなり」
「なんでも、ない…」
ようやく安堵の息をついて、つかみ上げていた胸元から指を離す。
ああ、あれは、夢だ。
性質の悪い悪夢。けれど、ただの夢、なのだ。
ゆるゆると顔を伏せられる。張りつめていた緊張が急に抜けた所為だ。
けれど。
「…貴女を見れないなら、死ぬよ」
低く、そう夢の中の声のように低いささやきに、緋那はハッと顔を上げる。
「……ベム?」
「なに?」
返った声は、いつも通りの声。
いつも通りの、淡々とした、彼の声。
いつも通りの―――それは、本当?
「……」
緋那は何も言わず唇を噛む。
貴女が望むならなんだって叶えてみせるよ?
蘇る声は、やけに鮮やかに身を苛む。
唇が、体が震える。顔をあげて、彼を見ることが怖い。
俯いて蒼ざめる少女に、ベムは小さく――――わらった。
あとがき
山も意味もオチもない話です。
ふっとわいてきてかっとなって書いた。ベムは被虐趣味はないけど自虐には走りやすい子。…いや、これは壊れパロなので本編でここまでではないですけどね?
…まあ、彼は壊れパロを書いても性格が変わってるわけじゃないのですけどね。ただ表現方法が変わるだけ。でもその表現方法を決めるのも性格だと思うと、やっぱり壊れてはいるんだよなあ。