その昔、あるところに、ある少年がいました。
 少年は、目に映るものが全て敵に見えていた頃がありました。
 理由を覚えていないくらい昔、そうして全てを敵視していた頃がありました。

 憎んで疎んで、それにも飽きた頃。
 少年は、ある少女と出逢いました。

 少女は、目に映るものが全て敵に見えていた頃がありました。
 理由ははっきりしすぎていて、その理由に耐えられず逃げ出した頃ありました。

 憎んで怯えて、それにも飽きた頃。
 少女は、その少年に出逢いました。

 少年と少女は、まるで似ていない存在同士でした。性格も、趣味も、性別、種族すら違いました。
 けれど、お互い欲しいと思うものがよく似ていたので、不思議と隣が心地よかったのです。

 少年は、少女が好きでした。少女は、少年が好きでした。
 けれどその好意は鏡ごしの己に向けるモノにも似ていて、それ以上にはなれませんでした。

 それでも、目を閉じて慣れ合って、そうして過ごしていれたなら、きっと幸せだったでしょう。
 けれど、少年はいつからか悟っていました。
 ああ、きっと同じ時は生きれない。
 種族でも性別でもないものに、きっと分たれる日が来る。
 それは、生きている限り避けられない。
 少年は悟り、それでも目を閉じます。

 少年は、少女が大切だったから。
 だから、そんな形で裏切る自分を認めなくなかった。だから。
 己に嘘をつき、そっと目を閉じ続けました。
 誰かの笑顔が瞼裏に浮かび、それでも。それでも、目を閉じ続けました。
 裏切りたくないのは、少女なのか、それとも本当は自分なのか。もう、そんなことも分からなかったけれど。
 少年は目を閉じ続けます。
 例えその少女がもういなくとも。
 白い墓石の下にその骨をうずめていようとも。
 きつく施した目隠しを外すことが、少年にはできなかったのです。

 だから少年は佇み続けます。
 熱も冷たさも感じない体で、主の名を刻んだ墓標の前に。
 空腹も乾きも知らぬはずの体が訴える渇望の求めるところを、決して考えることはないまま。

ある晴れた日に

 ある晴れた日に、長い髪をなびかせ歩く青年がいる。正確には、青年の姿を借りた龍だ。
 その腕の中には花束。ただし、目を楽しませるためのものではなく、死者の慰みとなることを目的とする花束。
 ざっ…と風が吹く。
 辿り着いた町外れの墓地にあるのは、白い墓標。そして、その前に佇む、銀髪の少年。長髪の青年と同じく、人の姿を借りた龍。
 吹き荒む風に意を介さず、ただじっとたたずむ少年に、青年は眉をひそめる。不愉快そうに。
「…まだ、懲りてないのですか。メー」
「…風矢」
 傍らに立つ青年に、少年は特に驚いた風もなく声を上げる。
「………珍しいな」
「一年と半年ぶりですね。私は貴方と違って、毎日通い詰めていませんから」
 ですが、と風矢は続ける。傍らのメーと目を合わせることをしないままに。
「この度、交配が決まりまして。
 最後にご挨拶に来ました」
「へえ」
 淡々と言う風矢に、メーは相槌をうつ。
 それに続く言葉はなく、ただ風の音だけが響いた。
 けれど、その沈黙はすぐに破られる。静かな声に破られる。
「…訊かないんですか? 相手とか、他にも色々」
「…………訊いて欲しいのか?」
「いえ別に」
 貴方はもうそんなことに興味がないのでしょうから。
 その言葉を胸の内のみで呟いて、風矢は小さく溜息をつく。
 そして、こちらを見もしない光龍を一瞥する。
「…貴方は変わりましたね」
「そうか?」
「ある意味では、変われなかったと評するべきかもしれませんけど」
「…それは違うと思うけどな…」
 メーは笑みと共に呟く。
 変わったことも変わっていないことも彼は同様に否定する。
 矛盾だ。
 それすら、彼は気付いていない。否、きっと、なにを言ったかも覚えてはいない。一秒先には、埋もれている。過去の中に、埋もれている。
 すべてを捨てて、主のいないという現実のみを目に収めている。
 それだけを見て、変わらなかった。停止したとも言えるかもしれない。
 彼らの主人が死んだのは、今より1年と半年ほど前。その時から、この光龍はなにも変わっていない。彼女との契約を解かれ他の主を探した風矢が、連れ合いを見つけ、その姿を少年から青年に変える程の時間を、ただ立ち尽くすのみに費やした。
 そう、己の死期を悟った主人は、故郷へと帰り、彼らとの契約を切った。それは、この光龍が例外だったわけではない。
 けれど。
「……いつまでこうしてる気なんだ」
 それでも、彼には残っているのかもしれない。
 契約の糸ではないなにかが。もしかしたら絆とも呼べたものが。それに引きずられたまま、半分以上黄泉路へ行ってしまったのかもしれない。
 そうとしか思えぬくらい、彼はここに縛られている。
「お前には、前、言っただろ」
 言って、淡く笑う。
 淡く、儚く、かつての彼なら決して浮かべぬであろう表情。
「…かなたさんの生まれ変わりを待つとか、馬鹿な言っていましたね」
「ああ」
 苦く呟くかつての盟友に、メーはあっさりと頷く。
 なぜ馬鹿なことだと問いかけることもなく。侮蔑の表情をただ受け入れて、あっさりと。
「…人の生まれ変わりを見つけることなど出来ると思うのですか。
 いくら貴方と彼女のつながりが強かろうと、無理ですよ」
「…でも、待つだけの時間はあるぜ。今の俺には、な」
 笑う光龍は、それしかない、とでも言いたげだ。
 風矢は隠すことなく溜息をつく。
 未だ新たな主を探さぬまま、こうしてただ帰らぬものを待ち続ける彼は、もう、生きていないようなものだと思う。亡霊のようだと思う。
 だからこそ考えずにはいられない。そこまで辛いならいっそ、と。
「…死にたいとは思いませんか? 誰かと適当に契約結べばとりあえず死ねますよ」
「…あいつ、帰ってくるつもりだったと思うからさ。帰ってきた時、誰もいないんじゃ寂しがるだろ?」
 筋が通っているように見えて、まったく通らぬその主張。
 風矢は静かに言葉を続ける。問い詰め続ける。それが届かぬ言葉と知りながらも。
「…僕はそうは思いません。仮に貴方と彼女の生まれ変わりが出会えたとしましょう。それでも、その時、彼女には新しい記憶があるんですよ?
 他に大切なものの一つや二つ、あって当然でしょう」
「…それが?」
「…それが、って…」
「関係ねえよ。別。感動の再会とかしたいわけじゃねえし」
「…じゃあ、なぜ」
「ただ待ちたい。別に会って俺のこと覚えてて欲しいわけじゃねえ。
 俺はもう、それしかやることねえんだよ」
 淡々と、どんなこともあっさりと言ってのけるのは、彼のかつてからの癖だった気もする。
 無意識なのか意図的なのかは知らないが、主に関わるもの以外を軽んじる悪癖を、風矢は昔から知っている。そのことに苛立つことも、かつてのあった。
 主以外は等しくその他のカテゴリで扱うような彼が、昔から嫌いだった。―――けれど。
「…貴方には、あるでしょう。もう一つ、抱えるものが」
 けれど、今言葉を交わすのは、かつてのような敵愾心でも不快感でもない。
 彼と、彼を思い続ける彼女を憐れむ心だけで言葉を続ける。
「…この期に及んで分からないとは言わせませんよ。磨智さんはどうするんです」
 己と同じく主を探さぬ彼女の名を出されても、メーの表情は変わらなかった。
 笑っているような、いないような、曖昧な表情のまま。ガラス玉のような眼で、墓標から目を離さない。
「…どうもしねえよ。俺、なんもできねえもん」
 なにもできないで、主を死なせてしまった。
 言外にそんな声を聞いた気がして、風矢は思わず口を噤む。
 口を噤んで、そうしてしまえば、彼からの声は続かないと思った。けれど。
「…俺さあ、磨智のこと好きだったし、今も好きだよ」
「………嘘だ」
「嘘じゃねえ」
「貴方はかなたさん以外見ていなかったじゃないですか。
 そうしないと彼女が嘆くから、と皆を好いていたようにしか、僕には見えません」
 風矢は低く吐き捨てる。冷たく苛立った声で。
 こんな風に自分がどれだけ憤りを感じても、彼が何かを思うことはないのだろうと思うからこそ、一層苛立つ。
 そんなことねえよ、とそんな風に言われるだけだと思っていた。けれど。
「ああ、そうだな。最初はそれだった。
 俺は、かなたさえいりゃ良かったんだよ。他のものなんて、なにも欲しくなかった」
 いともあっさり肯定され、風矢は思わず言葉を失う。
 黙りこむ間にも、声は続く。淡々と、震えを孕まぬままに。
「あいつだってそうだったのにさ。  先に裏切ったのは、どっちだったんだろうな……」
「…メー」
 風龍はどうすることもできず、ただ名前を呼んだ。
 呼ばわれた彼の目線が、ほんの少しだけ墓標からずれる。一瞬だけ、風矢を捕えた。
「―――まぁ、んなこと、どーでもいいけどよ。今更」
「……メー」
 再度、そう呼ぶ。今度は、振り返らなかった。
 ただ虚ろに前だけを見つめる光龍は、小さく呟く。
「俺はここで待つよ」
 風矢は答えず先を促す。
 ―――主が死んだ後の彼が、これほど喋り続けるのは、一体いつぶりなのだろう。
 元から饒舌とは言い難かったその言葉は、あの頃よりさらにぽつぽつと響く。降り始めの雨粒のように、頼りなく。
「…だから、来るなよ。お前も…磨智も」
 その言葉は、決別のように響く。
 お前らはもう関係ないのだから来るな、と。
 同時に、警告のように響く。
 お前らは巻き込まれずに他の道を行ってくれ、と。
「来ないでくれよ。…頼むから」
 哀願のような、懇願のようなその言葉の先は、きっとあの地龍なのだろう。
 風矢は思い、じっと目を閉じる。そして、抱えたままだった花束をそっと供えた。
 うつむいて手を合わせて、そうして小さく呟いた。
「…僕の子供には、ここのことは教えぬようにと頼んであるんです。…いえ、貴方の存在を教えぬように、と言った方が正確です」
「…ふぅん」
 気のない相槌に、風矢は立ち上がりつつ閉じていた目を開ける。
 無理やり覗きこむような真似は、最後までしない。ただ、横目で眺めながら言葉を続ける。
 忌むような、心の底から嫌なものを見るような、目で。
 それでも、泣きそうな瞳で。
 かつて、羨望とそれ以上の敵意を見つめた相手を、悲しげに見つめる。瞳同士は合わせぬままに。
「貴方のような存在は、なるべくなら見せたくありませんから」
 無表情で、まさしく決別のように告げる風矢。
 メーはなにも答えず、ただ淡く笑う。
「…僕は行きます」
「うん」
「もう、貴方に会うことはないかもしれませんね」
「…だろうな」
 素っ気なく言いきるメーに、風矢はそれ以上何も言わない。強く握った拳をぶつけてやろうかと思った。けれど、それも止める。
 ただ無言で踵を返し、そこを後にしようとした。

「―――あ。風矢」

 そうして数歩歩いていると、声が響いた。
 なんだか、久方ぶりに聞いたような、彼の声。
「幸せに、な?」
 風矢は振り向く。
 そこに、あの頃と同じ彼がいる気がして。誰も映さぬくせに目線をそらすこともない彼がいた気がして。
 それでも、彼の目に映ったのは、ただ墓石の前に佇む背中だけ。
「………」
 名前を呼ぼうとした。
 けれど、できない。唇がからまわる。生き物としての本能が告げてくる、関わるな、と。
 あの背中には、なにも届かない。
 なにも届かず、その内に広がる空虚へ飲みこまれるだけ―――関わろうとすれば、引き寄せられてしまう。
 だから、もう、なにも言わない。
 言いたかったことも、言いたくなかったことも、なにも。

 一人歩き続けるうちに、ぽたり、と地面に滴が落ちる。
 ぽたり、ぽたりと滴る滴の源を抑え、風矢は小さく呟く。
「…馬鹿な奴…」
 憎悪すら籠った呟きは、嗚咽の中にまぎれる。
 理由も分からぬ涙でゆがむ視界の中、遠い背中が浮かんで、消えた。






あとがき
 磨智が泣く理由は悔しさ。好きで嫌いでやっぱり好きだった相手が決してこちらを見ることすらないことへの愛憎半ば。
 風矢が泣く理由は悲しさ。嫌いで嫌いで仕方なくてそれでもそれだけじゃなかった相手が取り合えしのつかない場所にいることへの悲しさ。
 ちなみに、これ、ベム緋那は結構普通にくっついてる気がする。っていうか、それなりに失意に沈む緋那をしっかり慰めて支えた気がするよ、ベム。
 そこまでされたら緋那はそれなりに幸せだった気がするよ。決して100%ではないし、悲しみは含んでいただろうけど。ベムは言わずもがな。緋那さえいればそれでいいんだし。
 …ちなみに。たぶんかなたが病んでたら、メーだけ契約解除しないでそのままにしといたんだろーなーと思うんですが。もしかしたら磨智はそっちの方が諦めついて気持ちよく主恨めて幸せだったのかなぁ、と思ったり思わなかったり。
 さらに言うならこれで風矢がくっついた相手はなんも考えてません。かぜこまの話、出る前だったんで。