それは、あるよく晴れた日の出来事。
ふとリビングに足を運ぶと、壁にもたれてメーが眠っていた。
なにか読んでいる途中だったのか、雑誌を床に投げ出して。半身を起したまま、すやすやと。
気持ちよさそーな顔しちゃって。
小さく笑い、通り過ぎようとした。通り過ぎようとして、ふっと悪戯心が湧いた。
足音を殺して、彼に近づく。健やかな寝息は乱れない。
こみ上げる笑声も殺して、彼女はそっと膝を折る。そのまま、軽く彼の胸元に頬を寄せた。
規則正しい寝息は、依然として乱れず。とくとくと規則的な心臓の音が聞こえる。
それを聞いているのは、それなりに気分がいい。伝わる体温も、そう。じんわりと日を浴びていつもより少し高い体温が、むごく心地よい。心地よくて、胸が高鳴る。
高鳴ることを自覚して、彼女はほんの少し眉を寄せる。
自分が勝手にやったことだが、不平等だ。こちらばかりがどきどきして、あちらはすやすや夢の中なんて。
どうしようかな、と、逡巡する想いは、指先を動かさせる。そっと添えられていただけの手が、微かに頬を撫ぜた。
あくまで微かなその感覚に、それでも彼は小さく呻く。
呻いて、肩を震わせて。ぼんやりと目をあけた。
「あ……おはよ」
至近距離の気まずさに一瞬言い淀みながらも、笑う磨智。
さっと胸元から離れていく彼女を見、彼はみるみる顔を赤くした。
「な…にしてんだよお前は!」
「寝込みを襲ってた?」
「おそ…!?」
「わけないじゃない。私、可愛くて無害な女の子ー」
わたわたと狼狽するメーに、磨智の顔に僅かに残っていた羞恥が消える。
現れるのは、どこまでも楽しげな色だ。
「こんな近づかれても気付かないって。なまってるねぇ。駄目だなあ。メー君は」
「なまってって…家の中でなまるもくそもねーだろ…?」
「えー。だってほら。家の中でも風矢君がいらっとして足蹴にするかもしれないし。私がむらっとして色々するかもしれないじゃない」
磨智は笑う。きゃらきゃらと。
きゃらきゃらと笑う、その吐息がかかるほどの距離に身を乗り出して。
メーは静かに眉を寄せる。そうするうちに、寝ぼけて焦点のあっていなかった目が、徐々に精彩をとりもどす。
「……まち」
それでも、ぽつりと名前を呼ぶ声には微妙に睡魔の名残がある。
だから、磨智はますます笑う。さすがに身を引きながら。
「なぁに?」
笑って、首をかしげる。
その拍子に、髪が肩からさらさらと流れる。そうしてのぞいた白い首筋を、彼はぼうっと眺める。
「……お前さ」
ぼうっと眺めながら、手を伸ばす。
「油断してんの、そっちじゃねーの?」
手を伸ばし、腕をとって引き寄せて。
低くつぶやく彼に、彼女はきょとりと目を見開く。
見開いて、徐々に赤くなった。
「えっと、メー君? なに珍しく真面目な顔で…」
僅かに赤くなりながら言う間にも、腕を掴む力は緩まない。
否、腕を掴む力よりなにより。真っ直ぐな眼差しに縛られる。珍しく赤くなることもなく見つめられることに、言葉が詰まる。
「…真面目な話じゃん。…俺、お前の中で、油断されるような対象なわけ?」
どこか傷ついたような顔をして問いかけるメー。
そんなことを言われれば―――どう答えろと。
もはや僅かではなく赤くなった頬を僅かにひきつらせ、磨智は混乱する頭を働かせる。
「わ、私は」
「俺は」
遮るようにつぶやかれ、彼女は一層顔を赤くする。
「真面目だし必死だよ。お前には」
「…それは…疑って、ないけど」
「けどじゃねーだろ」
いつもよりわずかに低い声と共に、腕がさらに引き寄せられる。近づく。
「……えっと……もしかして、怒った?」
「…ちげえ。……悔しい」
「…悔しがられても…」
「…くやしーだろ。……、た、女になにもおもわれないのは」
「でもそこを大きく言ってはくれないんだ…?」
君の基準が分からない。
小さくつぶやいて、彼女は笑う。
「…メー君」
「んだよ」
「この距離の意識し合う男女には、することがあると思うんだけど」
「………」
無言で眉を寄せてまたたくメー。
それでも小さく頷いて―――
「ただいまー。お土産にケーキーあるんだけどさー。お茶あるっけー?」
玄関から響いた声に、がくりと肩を落とした。
「メーが口きいてくれない…」
「な…なにしたんだ?」
「眼、眼も合わせてくれないの………」
数時間後、そこにはべそべそと泣きついてくる主とそれを慰める炎龍がいたりいなかったり。
とりあえず126番地は平和である。
真面目に裏にしようかと開始5行までは間違えなく思ってた。気付いたらこうなった。
………不思議ですねえ。