追憶・想い・ひと欠片

 『街』の片隅、スラム街。特に若者が集まるエリア。
 スラムと言うだけあって、そこに住む者たちのみなりはお世辞にも立派だとは言い難い。

「……」
 そんな中で小奇麗なその姿は目立っている。
 銀髪の短髪、ターコイズ・ブルーの瞳の彼の姿は、隙あらば身ぐるみを剥いでやろうとする者たちの視線を一身に受けている。
 彼は思う。
 ―――なつかしいな。
 すえたような匂いも、攻撃的な眼差しも、薄暗い路地も。
 彼は懐かしいと思う。
 思いながら、つかつかと無防備とも言える様で一つの廃屋にたどり着く。
 そして、ゆっくりと一つため息をついて、その扉を開けた。



 軋んだ音を立てて開いたその先は、玄関ホールのような間だった。
「…ここはお子様が一人で来るようなとこじゃねーぞ」
 そこにいる数人の少年達―――といってももうすぐ二十歳に届くのであろう……一人が茶化すように言う。
「…俺はお子様じゃない」
 怒りを必死に、必死に抑えつつ返し、続けて、
「…お前らに呼ばれた者だ。
 最近、俺達のことを嗅ぎまわっているらしいが、命が惜しけりゃ止めておけ。
 …月並みそのの文面に反応してやっただけありがたいと思えよ?」
 絡んできた少年を鼻で笑いつつ、ひらひらと紙片を見せつける。
「どうする? 人をよんだんなら姿みせるくらいが礼儀じゃないのか?」
「……」
 少年はものすごく納得いかないといった表情で、後ろの扉を指差した。
「……ふぅん……」
 ―――通されたのは、ただっ広いホール。そこはひたすら『怪しい場所』だった。
 元はホテルかなにかだったかと予想できるが、今はいくつもの得体の知れないコンテナが影を作っている。
 そして、ふとそのコンテナの上に腰掛ける影に気づく。
「……やっぱ『竜臣』ってのはてめぇだったんだな」
 苦笑混じりでそう呟いたのは、赤毛の青年。
 最初に彼を出迎えた者達とは一味も二味も違う、強い、人を惹きつけるかのような眼差しを持っていた。
「それは俺だって言いたい……なんでお前がこんなことに?
 …ともかく…久しぶりだな、宗也(そうや)」
 暗い声音で宗也と呼ばれた青年は、目を細めた。そして。
「ああ、久しぶりだなァ。とっくにてめぇはくたばったもんだと思ってたんだがな…
 ―――しっかし全然変わってねーな。やっぱガキにしか見えねぇ」
 びくうっと竜臣の頬が引きつった。
「何年になる 軽く三…四年程度か?
 童顔ってのは、治らないんだな」
 一人でうんうんと頷く。続け、
「あ――――童顔つーか中身もガキだよな。事実。」
 きっぱり言いきってあははと快活に笑う宗也。
「ガキガキガキガキガキ連呼すんな――――――――っ!!!
 俺とお前一個しか違わねーだろ! つーか分かっててやってんな!?」
 ぷちっときれて吼える童顔で悩み始めて10年ちょっとな男。
「そりゃあ、そんな世にも類稀なる童顔は中々忘れねぇ。
 ちなみに俺はガキと二回しか言ってねぇ」
「童顔言うなっ!」
「……ああ、それが気に食わないんなら『裏切り者』か?」
 一気に二人の間の空気が変わった。
「…言い返せないな…」
 竜臣はため息を交えて、やはり暗い調子で、
「……裏切りついでに言おう。―――いや、忠告する。
 アレを渡せ。
 あんなものを使って得る金なんて自分達の身を滅ぼすだけだぞ……お前だって、散々見てきただろう……」
「アレってなんだよ…なーんてとぼけたとこで無駄だな?
   で―――忠告に従わなきゃどうしてくれるんだ?」
「説明しなきゃ分からないか?」
 互いに揶揄するような調子で交わす、会話は前座。
 数年ぶりに再会したその表情は互いに苦笑。
「いんや。…てめぇは案外きょーぼーだしなァ…?
 でもよ……ここで俺が正々堂々一人で待ってるなんて思うか?」
「思うというか、気配で一発だ」
「あっそ」
 あはははははは……
 もはやどちらが発しているのか解らない笑い、否、酷く無機質な声が響く。
「……」
 竜臣は無言で上着に手を差し入れて。
 間髪入れずにその空間を中心に硝煙が満ちる。
 内心舌打ちでもしたい気分だ。予想していたより―――数は少ない。
「―――甘いんだよ……」
 ―――手加減すれば俺が躊躇うとでも思うのか?
 苛立ちも怒りも、混沌とした感情を全て押しこめ、高く跳ぶ。
 壁を背にして積んであったコンテナの上に膝を折る。

 パンッ! 

 数発その音が続き、ガシャン! と銃は投げ捨てられる。
 すでに銃弾は数秒前に彼を狙った一団の行動を奪っている。
 それを確認して素早く屈む。今度飛んできたのは鈍色の刃。
 ―――そして、疑惑は確信に変わる。
「……期待を裏切って悪いが……俺を人質にしても役に立たないぞ。今つるんでる奴は非道だから」
 誰も答えない。
 そんな様子に、別段心情も表情も動かさないまま、軽く下に2、3個なにかを放る。ボンっと軽い音がした。
「煙幕?」
 誰かが苦しそうに言う。
「…半分正解だな」
 ぽそりと袖で鼻と口元を覆い、呟いた声に気づく者はいない。
 彼が放ったのは即効性かつ麻痺性で広範囲のガス。
 ああ、手に入れるのに金がかかったけ、まぁ経費だからいいな。とか考えつつ竜臣はせきこむ人々を見つめる。冷たい眼で見下ろす。
「―――相変わらず、やることが奇襲クサイな、てめぇ」
 とっさに彼の性格からやることを察し、息を止めた宗也が毒づく。
「正々堂々死ぬより姑息に生きるのが性にあってる。」
 コンテナから飛び降り、皮肉によどみなく答える。
「ああ……そうかよ……」
 二人は、死屍累々―――否、死んでないが―――の周囲に構わず向き合う。
 残って、口を利けるのは結局この二人だけだ。
「……もう止めよう。宗也。お前は俺を殺すには甘すぎるんだ」
 呟くように言いつつ新たに銃を取り出す。―――まだ、向けない。
「……後戻りはできない」
 宗也はすぎるほど静かに答えた。
「……」
 しばしの間、沈黙が空間を支配する。
「……」
 先に走ったのは、宗也。
 敵が引き金を引くより早く懐に入れば、彼の勝ちだ。
 躊躇っているなら、そこにつけいるべき。
 竜臣もそれが解っているが、引き金を引かない。床を滑るように走る。
「ちっ……!」
 無意識に舌打ちする。
 宗也の目が捉えきれない速さで敵は動いた。
「お前の負けだと言っている」
 怒りを隠さずに告げる。
 その声は背中から。その背中には冷たく硬い感触。
「……お願いだから渡してくれ。俺はお前を殺したくない」
「………」
「殺したくないんだよ」
「……それは」
 宗也の声音が変わる。
 素っ気無く軽い響きだったものに熱がこもり、重く響く。
「お前が、西園寺 和臣を覚えている人間に、一人でも多く生きていて欲しいと、あいつのことを覚えている人間に、生きていて欲しいと思うからか」
 びくりと竜臣の肩が震えた。双眸が見開かれる。
 銃弾を平然とよけ、淡々と旧友を追い詰めたその男の身体が一瞬、揺れる。
 そして、それは宗也の前では決定的な隙だ。
 その一瞬で二人の立つ位置は入れ替わり、無防備な首に手刀を叩きつけられた竜臣の身体は崩れ落ちた。
「…………」
 宗也はさして苦にせずその身体を背負うと、一人歩いた。



 今でもよく覚えている。
 瞼を閉じる必要など無く思い出す。鮮明に甦る。
 キレイな笑顔。
 行き場の無い感情。

 与えられたのは呪われた祝福。

「? …………」
 意識が戻る。
 頭が痛い。と起き掛けに感じた。
 身体を動かそうとするとジャラ…という音。辺りに満ちるのは錆びた香りと湿った空気。
 手を後ろに回され縛りつけられている状態でのお目覚めは決して良いとは言えない。
 そんな状況を確認して呟く。
「相変わらず……甘い奴……」
 生かしておいたら脱出くらいする人間だと、分かっているはずだろーが。
 小さく続ける。
 ―――あいつは甘い…が…
「………………俺はなさけないな」
『それは……お前が、西園寺 和臣を覚えている人間に、一人でも多く生きていて欲しいと、あいつのことを覚えている人間に、生きていて欲しいと思うからか』
 不覚なぐらいに、胸が震えた。

 西園寺 和臣

 ただ、その名前を聞いただけ。だのに。頭に、胸に、空白が広がった。
「さいおんじ、かずおみ……」
 記憶があふれ出る。それを封じるべく、力ない声で呼んだ名が虚ろに響く。
 同時に唇に妙な違和感が広がる。
 ―――こっちじゃ合わないな……俺には……
 竜臣にとってその人物は。
「…………兄、貴」
 たっぷりと躊躇して呼ぶ。声が震える。
「兄貴」
 今度は、明確に。
 けれど答える声はここにいない。どこにもいない。それは分かりきったこと。
「………」
 長い、長いため息をつく。
 ―――兄貴……は……あの時……!
 それは分かりきったこと。
 西園寺 和臣はもういない。
 地とも天とも知れぬ黄泉路へ旅だった。
 ―――いつか、きっと追いつきたい。追いついてみせる。
 そう想っていたのに。あこがれだったのに。自分はなにも返せなかったのに……
 どれだけ時が経とうと、もはや届かない。

 あの時俺は生きる価値をなくし、
 同時に生きる権利を手に入れた。

 竜臣はきつく眉根を寄せ、なにもない空間を睨みつける。歯を食いしばる。

 こうしていると、いやでも思い出す。
 兄の死際。

 笑顔だった。いつもと同じ笑顔だった。
 けれどそれを支えた己の手は血で染まった。
 泣くこともない、乾いた心に空白が広がっていって………………

 それは―――まるで―――悪夢のワンシーンのような―――現実。

「……なにをやってるんだ、俺は……」

 呟きは苦々しい。こんなことを兄は望まないだろう。過去に縛られる弟を彼は決して望まない。

「……ふっきれた……フリ……してたのにな」
 自分の過去をしらない者達に囲まれて、怒涛の日々を過ごして。
「……無理だよ」
 ―――俺は結局……自分の面倒もみれてないのか。
 期待していることなど何一つ無いはずなのに、なぜか心が軋んだ。





「まァそういうことだから頑張ってきてv」
 どういうことだよとつっこみたくなるような気楽さで遥霞は告げた。
 集められているのは、いつものメンバー。
「物さえ無事なら方法は問わないから」
 にこにこと微笑む。
 この男は基本的に拒否権など与える気は無い。
「ずいぶん大人数よねー…」
 単独戦闘大好き人間の希羅が言う。
「あーそれは…」
 一旦言葉をきって、
「実は、竜臣拉致られちゃたみたいなんだよね。はははははは☆」
 ………………………
 明るく軽く笑うその声に、一拍、反応が遅れる。
「ははははははで済ますなよ!?」
「…竜臣…」
「…情けない」
「…でも…見捨てるわけにはいかないしね…」
 各々に感想を述べるその様子を、遥霞はやはり笑顔で眺めつつ、
「いやぁ、竜臣の生まれ故郷らしいからさぁ…頼んだんだよねー。コネで平和的に解決できないかなーと思ったんだけど。やっぱ無理だったみたいだねー」
 まぁ、彼の尊い犠牲のおかげで敵の本拠地はばっちりわかったけど。
 当然のごとく部下に発信機持たせているこの男に今更つっこむ者はいなかった。
 変わりに。
「故郷?」
 雅がそこだけをオウム返しに問う。
「ふーん…」
 流もなにかが意外そうだ。
「…昔なにがあったのかしらねぇ」
 なにがあって文句言いつつ住みこんでるんだか。
 そういう意図の言葉だ。だか。
「竜臣は……」
 何気なく呟いた希羅の言葉に、意外なほど真摯な声音で遥霞が返す。
「過去もなにも調べようが無い。…役所のデータとかなら、オモチャ同然のセキュリティに守られているだけ。
家族構成もなにもタダバレだよ。調べるのなんて造作無い。
 名が売れてるのも、簡単に解るけど」
 その台詞の示す意味に、一同が固まった。意を介さずに遥霞は続けて、
「けど…竜臣にはそれがない。ここで生まれて死んでいく人間なんだろうね。彼は。
 そりゃあ彼の昔住んでたエリアで地道に聞きこみでもすりゃわかるだろうけど。…そこまでする気にならないね。俺、利益がなければ他人の過去なんてもん興味無いから」
 やたらと素っ気無い口調が、話を締めくくった。
「んじゃ、いってらっしゃい♪」
 非の打ち所の無いような笑顔に見送られてから一同は発信機の示すままに移動する。
 そうしてなにげない会話を展開する。
「今まで気にした事なかったけど…なんでここにいるんだろうな…」
 慶の呟きは問いかけと言うより独自に近い。
「さぁ…」
 答えた雅の視線が、自然に自分より付き合いの長いであろう二人に向く。
「…昔から、ここに住んでる…生まれたのもここで…そのくらいしか……聞いたことないわ」
 眉根を寄せてしばし考えこむような仕草の後に言う。
「……オレも……そのくらいなんだよな…
 オレがここに来た時はもういたけど……」
 慶にしては珍しく、なにかに悩むかのような歯切れの悪い返事だ。
 この街に暮らすような人間は大半はワケあり。前科持ちでも不思議ではない。
 実際、慶にしても希羅にしても過去に関して訊かれたくないことがある。そんな人間だから、付き合った年月に関係なく身の上話などしたことがない。
 それにしても。
「…あれで謎の多い人間だったんだね…」
 ぽつりと呟いた流の言葉に、妙な沈黙が応えた。





 幸いというかなんというか。竜臣の格好は、上着を取られただけだった。
 ボディチェックも甘い。
「……見張りの一人もいないって……マジで甘くみてんのかなめてんのか……」
 ―――それとも挑発か?
 グローブに仕込んだ刃で、地道に鎖を削る。

『竜臣』

 不意に声が聞こえる。
 地道すぎる単調なその作業は、考えなくと良いことを思い出させる。
『僕はわりと幸せだと思うよ? 今現在僕も君も健康な方だし? 友達も多いと思うし? あと、経済的に頼りないけど〜父さんもいるし』

 ―――笑っていた。…その顔は本当に幸せを表わしていたんだろうか?

『人間誰だって意味があるんだよ。
 …いつか竜臣にも見つかるよ。自分を必要としてくれる人』

 ―――確かに……俺には兄貴が必要だった……けど!

「でも……あんなの……望んで、ない……」

 痛みを感じるほど強く、小さなナイフを握り締める。

「兄貴……」

 痛い。心が痛い………

 それは届く無い懺悔。

 俺は知っているんだ。今もあの頃も。
 あんたが、俺や他の力のない奴らを略奪野郎どもからどうやって守ってくれていたのか。
 たまにその手がひどく錆びくさいのは、なぜだったのか。
 それだけじゃない。
 ―――兄貴の母親が出てった理由だって、俺じゃないのか?
 俺と兄とは腹違いの兄弟、というやつで……俺は物心ついたころにも、その後にも、母親は知らない。家は男3人だった。
 一度そのことを問ったことがあるが……
『関係無い。君は俺の家族だろ。俺はそんなことを気にしたことはない!』
 これ以上無いくらい怒られたのを記憶している。
『だいたい、彼女は君が生まれる前に出てったんだし…ね…』

 たぶんそれは真実で。けれどやはり、兄が苦労性だったのも事実。

 本当に…………損な性分の持ち主だ。自分のことは常に後回し、それで幸せそうな、幸せになれる人間。
 俺は……そんな存在に甘えていた。


「……最低のガキだな……」
 最低なままで、なにもできないまま、兄は帰らぬ人になったのだ。
 ―――あの時―――なにを感じたのかは、よく覚えていない。分からなかった。きっと心が麻痺していたから。
 自分より重い、その兄だった物体を引きずって、とりあえず父と埋葬して……
 その時の記憶はあまりない。

 遠くに 遠くに 遠くに

 ただそれだけ。
 生まれた時からこの街いる自分は、死ぬまでここにいるのだろうと思ったけれど、どこを見ても兄の影がちらつくそこは堪えられなかった。
 だからそこから逃げた。
 涙することもなく、ただ逃げた。


 そうして―――今は少しだけ分かる。

 あの時泣かなかったのは、泣けなかったのは誰にも弱みを見せないためだと。
 受けとめてくれる人はもういないのだと。
 それだけは分かっていたから。


 そうして……泣かずにひたすら走った道は……良いとも悪いとも言えない。

 色々な出逢いがあった。
 恐らく昔よりは様々な人を知った。

 けれど、やはり兄の存在は大きい。
 あの兄はどれだけ貴重な人間だったか、自分はそれに比べどれだけくだらない人間なのかと、考えない日の方が少ない。

 あの時―――

 笑いながら、なにを言おうとしていたか。
 声などなくとも分かる。

 ぶ じ で よ か っ た

 唇は、そう呟いた。近づく自分の死に気づいていないのではないかと疑うほど、自然に笑った。
 広がる空白。刹那が永遠。

 それが答え。それならば……なんて茶番劇。

 兄は自分を庇って斬られた。

 それが答えだった。

「…………チクショウ」
 想いが苦くて、苦くてたまらない。

 涼やかな金属音が響く。
 身体は数時間ぶりの自由で軽い。
 けれど、一度闇が吹き出た心は重い。


 あの笑みが全ての答え。
 だから自分は生きる価値をなくしたと思う。それでも生きなければと思う。


「……兄貴……」

 あんたの『意味』ってなんだったんだよ……

 本日何度目かの呟きは、やはり空気にとけた。