たんぽぽって、間抜けな名前よね。
 だって、なんか音の響きが間が抜けてるのよね。
 彼女はそう言って笑った。僕はそう思わなかった。
 あれは、なにより強く健やかな花だ。
 そう、思っていたから――――

ある青年の話 −たんぽぽに添えて−

 気がつくと、周囲は草原だった。草原というほど上品な場所ではない。荒れ地だ。ぼうぼうと生えたひょろりとした草があるばかりで、なにもない場所だ。 ふかふかのベッドも黒い絨毯も白いティーセットもない。あるはずのものは、なにもかも。
 そして、なにより彼女がいない。これは駄目だ。他のなにに耐えられても、それだけは駄目だ。
 だから、迎えにいかなければ。探さなければ。いたいけで怖がりなあの子はきっと泣いている。
 どこだろう、なぜ側にいないのだろう。ああ、あの長い髪の残り香はこの臓腑の中甘やかに染み付いているというのに、なぜ。
 ああ、そこの君、女を見なかっただろうか。君程度の年齢で、髪の長い女だ。なあ、君。君、君…どうして、私を無視するんだ?
 僕は混乱した。混乱したが、諦めるわけにもいかない。彼女を探しさまよい、人をみれば声をかけ続けた。
 そうしている時間は永遠のように長かった。だが、そんなはずもない。この足は疲れを訴えないし、空腹もない。
 それなのに疲れ果てた気がするのは、彼女がいないからだろう。
 ああ、そうだ。彼女を抱きしめ、否、一目見ればこんな心地は忘れるに違いない。
 憂鬱をこめてふぅ、と息をつく。
「あなた」
 つまらぬ論文でも読み上げるように声をかけられたのは、その時だった。
「…私を呼んだかい」
 振り向くと、娘が立っていた。年は、彼女よりは少し若いだろう。だが、それに見合う溌剌さの欠片も見当たらない、やけに淡々とした娘だ。
 淡々とした娘はこくりと頷く。その拍子に、肩のあたりで乱雑にそろえられた髪がふわりと踊った。
「あなた、ここでなにをしてるの」
「…女を探しているんだ」
 今まで通りそう告げる僕。
「女」
 娘の反応は、他のどんな人間とも違っていた。
 ただ小さくそう言って、黙りこむ。…先を促しているらしい。
「君より少し年上の、髪の長い女だ。波打った長い髪をしている」
「そう。他に?」
「他? 他に探しているものはないのだが」
「違うわ。他の特徴。私より髪の長い女なんてごまんといる」
「あぁ…そうだな」
 そう言う意味か。分かりにくい娘だ。
「彼女は、そう、少しつり気味の目をしている」
 それをこっそりと気にする様はたまらなく愛らしかった。
「服は、白いブラウスと紺青のスカートを」
 もう少し着飾れと送ったスカーフやらブローチやらはすべて受け取ってもらえなかった。それを不満と思ったのは最初だけ。
 実を言えば、その簡素で清潔な装いこそ彼女らしく、好ましかった。
「…説明できるのはこの程度だ」
「…そう」
 娘は頷き、口の端を上げた。それは、どこか皮肉げな顔。
「あなたの言うような人を知ってる」
「本当か?」
「彼女から伝言を預かってる」
「な―――なに!?」
 僕は思わず目を見開く。娘はまるで動じた風もなく、こちらを見つめてくる。
「聞かせてくれ!」
 言いながら、感じる違和感。なぜ。僕を探しているなら彼女はなぜ姿を見せない?
 だが、その違和感を吹き飛ばすほどの欲求。聞きたい、彼女の言葉を。
「『私の勝ちよ』と言っていたわ」
「…勝ち?」
 それは、どういう意味だ。僕と彼女は勝負などしていない。
「でも、あなたの探している人ではないかもしれないわ」
 娘は続ける。淡々と。
「彼女は、一糸まとわぬ姿だった」
「…一糸…」
 淡々と、非日常的な言葉を続ける。
「足には鎖がついていたわね」
「…足に」
 鸚鵡返しに呟く僕。娘は続ける。
「髪も…長いというより、伸ばしっぱなしで」
 ぐらぐらと頭が揺れる。歪む。視界が。ぐらぐらと。細い体はベッドに沈み伸ばした髪がシーツに広がり、頬は赤く汚れて。なぜ、汚れている。なにで、汚れている―――嗚呼!
「目は―――」
「―――潰した」
 掠れた僕の言葉に、娘は頷いた。あっさりと、躊躇うそぶりすら見せぬまま。
「そう、片方だけ」
 その言葉に、僕は全てを思い出す。
 あの瞳を潰して、そうして、動かなくなったのだ。
「『けどあなたは気づかない。だから、私の勝ちよ』」
「もう…気づいた」
 ああ、そうだ。彼女は死んだ。殺した。僕が。この手で。あの強く輝く瞳に刃を突き立て。
 瞳だけではない。全てが強い女だった。世の辛辣を嘗めたはずなのにこびることも歪むこともなく、ただ真っ直ぐに前を、太陽を見つめて。
 まるでたんぽぽだと言ったあの日、彼女は苦笑した。弱そうね、それ、と。
 彼女はまるで解っていない。あの花ほど強いものなど早々なかろう。踏みつぶされても日が当たらなくとも、ただただ真っ直ぐに咲くあの花。あの花は、彼女と似ている。
 だから、嫉妬した。彼女を囲む全てに、どうしよもなく敵愾心が芽生えた。
 それから逃れようと閉じ込めてみても、まるで変わらぬ彼女を見て、己の感覚の正しさを確信し。そして、いつしか絶望した。こんなことをしてもまるで手に入らぬ、と。
 それでも、満足だった。満足だと、思おうとした――けれど。芽生えた絶望を摘むことはできずに―――その命ごと摘み取った。
 思い出した。気づいた。もう、どこを探そうと彼女はいないのだ。
「いいえ。気づいてない」
 だが、その淡々とした声は、過去に沈んだ意識を浮上させる。
「…なににだ?」
 問いながら、無気力だった。なにがあっても、関係ない。これ以上、思い出す必要のあるものなどないのだから。
 娘は、そこで初めて躊躇うようなそぶりを見せた。いっしゅん開かれた唇が閉じられ、また開けられるのを、何を思うでもなく眺める。
 やがて、彼女の躊躇いは終わったらしい。
「あなたは、もう、死んでいる」
 娘の言葉に、なんとなしに己の足を見る。
「…亡霊にも足はあるのだな」
「そうみたいね」
 素直に零れた言葉は感嘆だった。己の死に驚きはない。彼女なしで生きて入れたなら―――そちらの方が、驚きだ。
「…そう、足は、あるか」
 再度、確かめるために呟く。娘はなにも言わなかった。僕が聞いていなかっただけかもしれない。
 脳裏を占める言葉はただ一つ。
 たとえ死んでも、足があるならば。
 彼女を、探しに行けるだろうか。
 思った瞬間、口の端がつり上がるのが男には分かった。


 草以外はなにもないような、ある荒地で。
 一人の少女がじっと佇んでいた。草以外なにもない、寂しい土地に。彼女はじっと見つめている。その昔は立派な屋敷があったという、その場所を。
 少女はどこまでも退屈そうになにもない場所を見つめ―――ふぅと息をつく。
「ありがとう」
 軽やかな声は、それを見計らったように響いた。少女は目線だけを己の横に向ける。
「別に礼を言われることしてない」
 淡々とした言葉に、軽やかな声の主は笑う。それは、女だった。どこか古めかしい白いブラウスとスカート姿の女。
 ぼんやりと荒れ地を見つめる少女に比べるとやたら活き活きとしているが―――その胸が上下することはなく、きっちりと編んだ長い髪が風を受けそよぐこともない。
 早い話が―――死人だ。
 死人はなおも笑う。生き生きと、楽しげに。
「そうね。私を助けてはくれないものね。でも、助かったわ。ありがとう。あの男に、真実を言ってくれて」
「…あなたが脅すから、しかたなく」
「脅しちゃいないわよ」
 これまた軽やかに笑う女に、少女は長い長い溜息をついた。
「…あれが脅しじゃないなら、なにが脅しなのやら…」
 少女は、一週間前から悪夢に悩まされていた。とりつかれていた、と言ってもいい。
 長い髪を裸の身に張り付けて、片目の潰れた顔の半分を血に染めた女が夜明けまでを訴える夢だ。
 その悪夢の終わり、女は必ず訴えるのだ。
『あの男に、つたえて。お願いよ、ねぇ』
 あなた私の声が聞こえるのでしょう。そう言いながら、延々と彼女の安眠を奪うのだ。
 そんな状況に耐えられるほど、少女は図太くない。解決する手段があるなら尚更だ。
 安眠妨害のすえに望みを果たした女は、ひとしきり笑声を上げると、気の済んだように表情を改める。重いなにかを捨てされたような、晴れやかな顔に。
「…あの外道はどこへ行くのかしら」
「またあなたを探しに言ったんじゃない?」
 こともなにげに言う少女に、女はゆるく溜息をつく。
「…馬鹿な男。ずっといたのに、気づかないんだから」
 吐き捨てるようなその声には、憎悪ではないなにかが滲んでいた。
 少女はその声に黙って耳を傾ける。この一週間そうしていたように、静かに。
 彼女は知っている。この女は一週間片時も離れず自分に張り付いていると。勿論―――あの青年と話していた時も、例外でもない。ずっと、背後にいて。彼の視線にさらされていた。
 彼は、そのことに気づいてはいなかったけれど。
 その所以を、少女は知らない。彼女は彼らのような、この世あらざるものが見える。声も聞こえる。たけど、それだけだ。それ以上を知る気はない。だから、あの男の見ていた世界がどんなものだったかなど、知らないのだ。
 沈黙を続ける少女に、女はぽつりと呟く。
「私もね、あの男が道を踏み外す前は愛していたのよ。自分で言うの嫌だけれど、あまり大切にされたことがなかったから。大切にされて―――幸せだったわ」
 女は笑う。先ほどと違う、穏やかな表情。柔らかな眼差しで。
 この寂しい荒れ地にもめげることなく咲くたんぽぽに似た、柔らかでしなやかな笑顔だった。
「けどね、いつからか変わっていたの。
 閉じ込めらた時―――流石に愛想が尽きたから。やることなすこと反抗してやったら泣くわ怒るわ…最後は刺された」
 君のためだと言って用意されたティーセットを軒並みたたき割って、厭味なほど豪奢なベッドを涙で汚し、調度品に目もくれずに逃げる方法のみを考えた。
 男のことを愛していた。だからこそ―――許せなかった。裏切り、こちらのプライドを踏みにじったことを、決して許すわけにはいかなかった。
 それは、刺され、死んだ後でも変わらなかった。けれど。
「…とり殺せるものなら、そうしたかったけど…案の定というかなんというか、後追い自殺したのよ、あの男。
 でも…その時、ほんの少しだけ、嬉しかった。…私も大概歪んでいたのかもしれないわね」
 女は語る。あの時感じたのは、自らの仇をとった喜びではない。愛した男が己を追ったことへの悦びだと。
「だからね―――今許せないのは、違うこと。
 あの男は、同じものとなったはずの私を目に入れようとしなかった。ずっとずっといたのに、探し続ける始末―――なんだったのかしらねえ」
 ねえ、と答えを求められ、少女は僅かに首を傾げる。しばし悩んで―――思ったままを告げた。
「案外、違うものなんじゃないの。今のあなたと彼」
「…でも、あなたにはどちらも見えてるじゃない」
「見えるけど。同じものだとは限らないでしょう。見えるだけだもの」
 あっさりと言う少女。
 女はわずかに眉をしかめ、ふうと息をつく。
 確かに、“それだけ”かもしれないけれど。
「あなたはおかしな人ね」
「…他にもいると思うけど。私みたいな人」
「ええ、それは見たことあるけど―――あなたはおかしいわ。
 私達のようなものに、当たり前のように接する。生きているように扱う。
 おかしいわ」
 おかしい、とくり返され、少女は僅かに困ったような顔をした。
「…昔から当たり前に見えたんだから、仕方ない」
 それに、と彼女は続ける。
「あなた達は人間なのに、死んだ途端に化け物扱いしろとでも?」
 どこまでも淡々と響くその声に、迷いもごまかしもない。
 ああ、と女は頷く。
「…道理ね」
 女はおかしそうに笑った。
 日の光の似合う、明るい笑顔だ。
「あなたの目に映るものはすべて普通――――素敵ね」
 うっとりと呟く女は、くるりと踵を返す。少女に背を向ける。
「あなたのその愛すべき精神が、歪まぬことを願っているわ」
 女は、それだけ言って歩きだす。
 どこへ行く、と少女は問わない。
 きっと、あの男のいる場所へ行くのだろう。永久に添い続けるのだろう―――あの男がその事実に気づくまで。
 根拠もなくそう思い、少女もまた踵を返す。

 彼女の立ち去った後に、綿毛がふわふわと飛び立っていた。






あとがき
 題名で察した方の方が多いでしょうが、ある少女の話と同設定。少女が前回より喋ってるのは一週間まとわりつかれた成果です。
 …彼女、実は名前も決まってるんですけどね。わりと普通に友達もいる女子高生です。二つ上の姉がひどいオカルトマニアな所為で本当は自分の見えてるモノも否定したい、けどできない。だから自分から見えますとは絶対に言わない。心霊特集とかは普通に怖がって見る。そんな設定。いつか書きたいですね!(笑)
 内容についてはあれです。壁紙に似合わぬどろんどろんした話です。色々つじつま合わないって言うか、はっきりしないのは仕様です。あ、むしろ実力不足です。
 ダークなお題用に書いてたんですけどね。どうにも合わなくなったのでこちらに持って来ました。
 たぶん、最初は幸せで。幸せすぎてどっかで歪んでしまった二人。歪みすぎて本当が見えなくなった男のお話。
 この後の二人がどうなるか? それはまあ、御想像にお任せします、というお話です。
 09/07/20

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