世の中が明るかったり関係なく殺伐としていたりしなかったりするある夜。
 幼い少年は、さらに少女に袖をひかれた。
「おにーちゃん、あたし、サンタみたい」
「…サンタぁ?」
「サンタ」
 訝しげに繰り返す少年に、少女はこくんと頷く。齢6歳にしてはやけに落ち着いた動作。だが、その内容は中々子供らしい。
 少女より4つ年上の兄は、そう思った。そのしみじみとした思考回路はおおよそ子供らしくはなかったが、上の子供とはえてしてそういうものである。下のすることは子供らしく感じる。
 世間一般の少年よりずっとずっと苦労している少年も、そこだけは世間一般じみていた。ついでに、弱い10歳にして苦労しまくった所為で、妹を守るのは自分と言う意識がすこぶる強かった。
 しかし、これはどうしよう。
 サンタというとあれだ、保護者が扮装して子供にプレゼントを配るという、あれだ。
 盆も正月も関係ない『街』で生まれ育っていても、少年はそのことを知っていた。扮装をする必要がないということには気づいていないが、サンタというものの姿も、知っていた。
 赤い服を着て、ひげをつけて、陽気に笑って―――…
「………ある意味みてぇけど」
 それを己の父親で想像した少年は、少しひきつった顔で呟く。
 ある意味みたいけど。似あわな過ぎてふく。
 第一、彼の父親は子供に夢を与えることに何の意味も感じない親だった。なにかが欲しいと訴えれば、まず父の部屋の掃除を命じられる。妹なら、机でもふけと言うだろう。そうして、褒美として欲しがったものを与える。
 無償の愛情は疑え。それが親兄弟でも。ただより怖いものなど、この世にはあんまりない。
 きっぱりと言い切って『子供相手に夢がないっ!』と母親にぶん殴られる姿を眺めながら育った少年は、父がサンタなんてしてくれるとは思わない。彼だってする必要性は感じていない。
 けれど、妹が見たいと言う。
 滅多に我儘を言わない妹が、みたいと言うのだ。
 できればかなえてあげたいなあ、と少年は思った。
「…明乃、サンタはな」
 忙しいと来なかもしれないけど、探してみるから。とかなんとか言おうとした少年は、びしっと紙切れを付きつけられる。
「お手紙書いた」
「…誰に」
「サンタ」
「いや、明」
「渡してね、おにーちゃん」
「だから、あ」
 言い切る前に、妹はとてとて走り去った。照れているのかもしれない。
 手の中には、小さな手紙。粗末な封筒に収まった、それでも可愛らしい手紙。
「…俺に言われても困るんだって」
 ぽつり、と少年は呟いた。

 俺に言われても困るから、と少年は父の元を訪ねた。
 仕事が一応終わったと言うことになっている時間に、父の私室を訪ねた。
 仕事部屋にはよほど特別な時でもないといれてもらえないから、遅い時間まで待つしかなかった。
 妹は寝静まっているから、ちょうどいいのかもしれないけれど。
「…サンタ、ねえ」
 誰から聞いたんだか。
 低くごちた父親は、困ったように笑う。
 面倒だとありありと書いてある顔で、それでも大切そうに娘の手紙を眺める。
「俺じゃないから」
「…そりゃそうだろうな」
 お前は俺に似て可愛げないし。
 なぜかまた笑って、父親はぴっと封筒の封をきる。
 そうして小さな白い紙を眺め―――目をまんまるに見開いた。
「…とーさん?」
 そんなに驚くものがあったのか。少年は思わず軽く身を乗り出す。と、ぐいと肩をひきよせられた。
「…おい武行。見れ」
「え?」

『おとうさんと ごはん 食べたい』

 書かれていたのは、たった一行。
 たった一行だけれど、少年にはわかった。
「…ネタわかってのかよ。あいつ」
「ちょっと考えりゃわかることだしなぁ、分かっててやったんだろうなあ」
 くすくすと父親は笑い続ける。おかしそうに、嬉しそうに。
 そういえば、父がこんなに笑うようになったのは、母がいなくなってからだ。
 まるで母の分を埋めるように、父はよく笑うようになった。
 少年らしくない感慨にふける少年は、ぱん、と肩をたたかれ我に帰る。
「…しかし。こんな可愛いこと言われたらサンタしなきゃいけないよな」
「そりゃあ、…信じてるんだろーからな、サンタを」
 とりあえず頷いてみた。父はくすりと笑い、ぐしゃぐしゃと息子の頭を撫ぜる。
「お前も食いたいもん考えとけよ。作るから」
「とーさんのメシまずいからやだ」
「お前のうまいは甘いだけじゃねーか」
 べしっと叩かれた。
 それでも、彼はしあわせだと思った。
 サンタなど信じる時代がなくとも。とても。
 しあわせだと思った。


 世の中が明るかったり関係なく殺伐としていたりしなかったりするある夜。
 床にぐったりとうなだれる男は、じっとりと呟く。
「…昔は」
 じっとりと、この世の終わりのような声で、彼は溜息混じりに行った。
「……可愛かったよなあ」
 二言目にはおにーちゃんおにーちゃんと可愛かった。とても。
 今思うとそんな可愛らしい言葉を教えたのは誰だったのかが謎だ。
 父にそんな語彙があるとは思えないし、母にはもっと思えない。
 ならば周りが仕込んでいたのだろうか。それなら一緒に兄を敬う心も教えてほしかった。どうせ、年月のうちに風化してしまっただろうけれど。
 しみじみと思って、武行は空を仰ぐ。
 昔は可愛かった妹が彼を念入りにふんじばった縄は、どうやらほどけそうにない。
 仕事をさぼって脱走したことは、芋虫のように転がるほど重い罪らしい。
「…いいけどな」
 可愛くなんてなくとも。それでも、お前が生きてさえくれるなら。
 何も信じられずとも、家族で食卓を囲むことが叶わずとも。
 あの小さな妹が、生きてさえいるのなら。
 思い、武行は小さく笑う。
 ひどく静かな微笑は、誰に見られるわけでもなく夜にとけた。





 大人になろうとしてた兄とそれよりもしかしたら大人だったのかもしれない妹のお話。
 この後、りお辺りが縄時に来てくれると思うんですけどね。クリスマスですもの。仲良い人は一緒にご飯を食べなければいけませんと。
 屈折したシスコンと鬱屈したブラコンの話ともいいます。