もしもの世界

 ぱちり、と目を開ける。
 傍らには彼女がいた。

 隣で寝息を立てる愛しい存在に、青年はそっと手を伸ばす。
 ぎゅうと抱き寄せれば、以前よりは少し高い位置に金の髪が広がる。
 広がるのは、ほの甘い香り。
 同じもので洗っているはずなのに、不思議と心地よく感じる彼女の香り。
 青年がふう、と息をつく。
 その理由は分からぬまま、安堵したように。
 それをむずかしがるように、彼女がかすかに身じろぐ。
 ん、と小さく声を上げ、目覚めた彼女はくるりと彼の方へと向き直る。
「おはようございます」
「…なんか、昼みたいだけどね?」
「昨日、遅かったですからねぇ」
 のんびりとした調子で呟いて、彼女がクスクス笑う。
 激しかったですからぁ、とか。
 寝かせてくれないからぁ、とか。
 いつもなら続くであろうその言葉はない。
「盛り上がりましたし」
「君、つくづく少女趣味だよね…」
「あなたの趣味は寂しすぎると思いますよ」
 くすくす、くすくす。
 笑う彼女を見ながら、彼は思い出す。
 そうだ。昨夜は。
 この部屋が殺風景だからと、寝具や小物を遅くまで見繕ったのだ。
 気が付くと家全体の家具を見繕うことになり、随分と長くなった。
「絵とか色どりとかが足りません。…これから住むにあたり、それじゃあ寂しいですぅ」
 くすぐったそうに笑う妻に、青年も口元を緩ませる。

 ああ、よい日々だ。
 とても―――幸福な日々だ。


 ぱちり、と目を開ける。
 少し離れた先に、彼女がいた。

 鏡の前で髪をくしけずり、身支度をしている。
 以前より少し伸びた背筋。その背中を流れていく、豊かな金髪。
 きらきらと美しい、黄金色。
 ―――昨夜、それに幾度も触れた。
 撫でて、指を絡め。何度も触れた。
 夜ごと―――…夜ならば、そのように触れられる。
 今は触れられない。声すら上手くかけられない。
 なぜこうなったのか。いつからこうなったのか。それはよくわからない―――というのは嘘だ。
 理由は分かっている。己の嘘が招いた結果だ。
 キラキラと、彼女の背中が眩しい。
 朝日に照らされ、ただ美しい。
「……ライア」
「…なんですか?」
 ようよう問いかければ、答えが返ってくる。
 わずかに振り向いた唇は笑んでいる。
 美しく、けれど心のこもっていない笑顔だと分かる。
 それがよくわかる程度に、彼女を見ていた。
 彼女だけを見えいた。
 その結果が、こうだ。愛しい少女を手に入れて、その心を手に入れ損ねた。
「…なんでもない」
「そうですかぁ」
 本当は。
 本当は、この事態を打破する言葉も知っている。
 けれど、今日もそれを呑み込んで。やんわりと微笑めば、ただ美しい笑顔が返ってきた。
 ああ、空しい日々だ。
 とても空しく―――それなのに、どこか甘い日々だ。



 ぱちり、と目を開ける。
 ふわりとヴェールがなびいて、視界を埋めた。

 否、ヴェールではなく、カーテンだ。
 古い、うち捨てられたこの部屋で見つけたもの。
 ままごとのような結婚式のパーツ。あせた白い布。
 けれど―――彼女は美しかった。
 あせた白の下、それよりもは美しい白い顔がある。かすかに上気し、バラ色に染まる頬もまた、美しい。
 かつて夢見たままに、美しい。
「なんですか、じっと見ちゃって」
「…きれいだなと思ってた」
「…そうですかぁ」
「綺麗だよ」
 青年が繰り返すと、彼女が笑う。
 ふふ、と楽しそうに笑って、そっと指をからめてくる。
「泣いてます?」
「泣かないよ」
「泣いてもいいんですよぉ。
 ―――泣き虫ロンド。キレイなお顔が台無しよ。ライアがお嫁さんになってあげる。だからそんなに泣かないで」
「…そう、だったね」
「そうですよぉ」
 少し涙のまじる声に、返る声は柔らかい。
 ふわふわとした声色に誘われるように、青年はからめられた指を握り返す。
「―――今度、本物を着てくれる?」
「…しかたないですねえ」
 古びたカーテンの―――かつて幼い約束を結んだ場所で。
 ようやく手をとった幼馴染に、彼はそっと口付けた。

 ああ、なんて幸福なのだろう。
 夢のような―――これ以上ない、日々のはじまりだ。




 ぱちり、と目を開ける。
 白い。あまりに白い顔が己をじっと見つめている。
 そのことと、それが示す意味を正しく認識し、アークロンドはゆるく息をつく。
 臓腑を埋める絶望を吐き出すように長い息に、白い顔は微塵も揺るがない。
 美しい白。人工の白。彼が作った。愛しい少女を模した人形。
 その膝に頭を預ける主神は、命じられたままに頭を撫でる手をやんわりとどかす。
 かつて失った手の平に似せた、されどどうあがいても無機質な手。
 その感覚が、今、妙に苦い。
 なにやら様々な夢を見た気がする。
 細部を覚えてはいないが、はっきりと分かるのは。そのすべてに、彼女がいたということ。
 彼女が。ライアナが。最愛の存在が、そこにいた。
 今ここにいない―――世界に散らばった彼女が、そこにいたのだ。
 今思えば夢のような日々だった。
 生きながらえる時の中で、一瞬とも言える儚ない時間。
 儚く―――永遠のように、心を埋める日々だ。

「………イヴ」
 人形の名を小さく呼ばえば、ふわりと寄り添ってくる体温がある。
 まがい物の代替品が、そっと背中に寄り添う。
 妄執に生きる男は、その人形になにかを命じようと口を開き―――何も言わずにうなだれた。
 人形はただ彼の背中を撫ぜる。
 色のない瞳で主を見つめ、そっとその動作を繰り返し続けた。




 IFで書いたものがたまってきてさあ。夢堕ちにすればすべて使えると気付いたんです。
 いつかそれぞれの話、完成版ができるといいね! っていうか書きたいな。
 ちなみに今日追加した部分は「自分の作った人形に膝枕して虚ろな目をしたロンドさんかきたい」でした。太もも、大事だよね。アクライだもの。