その日僕は落ちてしまった。
 きっと、恋に。
 落ちてしまったのだ。


落下

 恋に落ちた―――といっても。
 その感覚は、世間一般でいうような甘いものではなかった。
 むしろ酸っぱく、いっそ苦々しい。
 僕が好きだと気付いた相手は、僕の幼馴染だった。
 僕の目の前で、僕ではない男に告白されたことをそれはそれは嬉しそうに語る、幼馴染。
 ほらもう日が落ちてるのよ危ないのよ。だから一緒に帰ってあげる。よわっちい幼馴染を守るのは、あたしの役目なんですからね、なんて。
 そんなバカなことを言いながら共に帰路についている、幼馴染。
 ずっとずっとそばにいるのに、初めて気づいた。
 へえ君って頬なんて染めたりするんだ。
 昔っから運動で僕に価値を譲ったことはないわ挙句文化祭では僕の持ち上げれなかった舞台のセット軽々担いでクラス中の女子に兄貴ーとか言われたくせに、そんな女の子みたいな顔できたの。
 どうしよ、なんて僕に聞くんだ。
 こっちの都合をお構いなしで家に押しかけて、宿題見てあげるとか言った君の課題の方が真っ白で、結局手伝ったりした僕にお礼の一つもない君が、今更。
 それにさあ。好きな人に嫌われるのは怖いでしょ、なんて。言ったりできたの。
 虫素手でつぶすわ肝試しで懐中電灯切れてもへーぜんとしてるわ道端の猫の死体に眉も顰めないわなのに、怖いものなんてあるの。
 ああ、驚いた。
 なによりも、彼女の言葉に衝撃を受けているらしい自分に。
 平衡感覚を失ったようにぐらつく身体。いや、体は揺れていない。ただ意識が、揺さぶられる。
 初めて見る彼女の顔に、ぐらぐらと揺れる。
 どうしたの、と問いかける彼女の声が聞こえる。
 どうもしないよ、と僕は答えたはずだった。

 はず、であって。
 実際にどう見えていたのかどう聞こえたのか、知る由はないけれども。

 だって僕は、何も知らない。知らなかった。
 君のことを知っているつもりで、知らなかったんだ。
 だってさ。君って、結構かわいい女の子だったんだ?
 …そんなことすら、知らなかったんだから。


 隣を歩く女の子は実は結構中々素晴らしくかわいく。
 そばにいると幸せな気持ちになっていたらしい。
 そんなことに気づかずに彼女を逃した僕の日々は、それでも淡々と続いた。
「最近あんた、変な感じね」
「変って。どこが」
「なんか、顔色悪いじゃない。機嫌悪い」
「…そんなの、いつもだろ。少なくても君は何回も僕にそうやって文句つけてる」
「そりゃあ、あんた昔っから変に白くて。いっつも気難しい顔してるけど。
 でも最近は違うわよ。幼馴染の目を欺こうなんてあまーい」
 淡々と、いつも通りの学校からの帰り道。
 歩道橋の上で今日もやかましい。
 やかましいけれど、ちっとも煩わしくない。
 そんなことに気づけたのも、最近。
「別に欺いてない。君の思い込み」
「ふふん。そんなことない。ありえない。
 あたしはずーっとあんたを見てたんだから、だまされないのよーん」
 冗談っぽい口調で言って、彼女が笑う。けらけらと。
 ああまったく、その大口開けた慎みのないツラを君の彼氏とやらに見せたいね。
 学校でしょっちゅう二人でいるけど、なにあれ。借りてきた猫だってもう少し景気いい顔するよ。君がしとやかな女の子なんて演じてなにになるの。
 ああ、違うか。
 緊張して自然とそうなっちゃうのとか、これまた似合わないこと言ってたね。
 つまり照れてるんだねといってやったら、黙って笑うだけだったけど。あんなに満足げに笑ってるなら、それがビンゴってことでしょう。
 まったくほんとに、なんなんだ。
 なんで君はあの男の前ではそんな顔をするの?
 そんな顔をするくせに、前と変わらず僕に接するの。
「あんまり馬鹿なこと言わないでよ。君をだましてなんになるの。
 ともかく、僕はいつも通りだよ」
 ああいつも通りだとも。
 彼女が僕を帰り道に誘わなかったその日、彼女の部屋にあかりがともったのは深夜。
 規則正しく夜十時にぐっすり眠る君にあるまじき時刻。
 次の日に彼女の腕にあったのは見覚えのないブレスレットで。あの男にも同じのがあって。
 だれといたのか明白でも、変わらない。
 変わらないよ変われないよ僕は気づき損ねたんだから。
 だから、と拳を強く握る。
 そうなの、と笑う彼女は、それきり追及してこなかった。


 彼女が僕を帰り道に誘わない日は、どんどん増えていった。
 そうすると、あの男と帰ってくるときもあった。
 一人で帰ってくることもあった。
 ただ、見慣れた窓の向こうの部屋に、明かりがともる時間はだんだんと遅くなっていく。
 それなのに朝、彼女が笑う。
 幼い頃から変わらぬ顔で。
「やっだあんた、ほんと顔色ひどいわよ」
 能天気な表情に少しだけ真剣さをともして、彼女が言う。
 変わらぬ朝をすぎて、変わらぬ昼をすごして。
 徐々に崩れる夕暮れ時。彼女と帰る家への道。
 何度も通った歩道橋。その階段をのぼりながら、彼女は問う。
「ねえ、あんた、なにか悩みあるんでしょ。ちゃっちゃとはいて楽になりなさいよ。
 あんたがへたれなことなんて、あたし、よく知ってるんだから。見栄なんて張ってないで。教えなさいよ」
「…何勝手に想像して、挙句説教してるわけ。
 なんでもないよ。関係ない」
「その言い方が意地になってるっていうのよ。幼馴染相手になーに無駄なもんはってるんだか…
 そういう見栄っ張りなとこがまたへたれなの」
「…仮に僕が何かに悩んでも、君が励ます気がないことがとてもよくわかるね」
「励ますためには相手をよく知ることって、大事だと思うな。
 ってことで、うそをついてないあたし、むしろ超えらい。適任適任」
「適任違うだろ。第一、僕より違うのにかまえよ、君。
 さっき、君の彼氏が君を待ってるように見えたけど?」
 彼女と校門をでる時、こちらを見る顔はとても苦々しく。
 …そんな彼を見る僕は、いったいどんな顔をしていたのだろう。
 愉快ではない想像なんて知ることもなく、彼女が続ける。珍しく笑わない、真剣な顔。
「今はそんなのよりあんたの顔色が心配だったの。…でも、なに、その言い方」
 ああ、珍しいな、と見とれていたのに、続かない。
「なんかきゅーにすねたような顔しちゃって」
 彼女が言う。軽い口調で。
 彼女が笑う。いつもの笑顔で。
 彼女が見る。僕を見る。
 彼女が言う。言い続ける。ずっと見ていたと、思わせぶりなことを吐く唇で。
「なに、やきもち?」
 彼女が。
 彼女が、こちらをみて。
 みて。笑って。でも何も変わらなくて。だから。

 どん、と。
 突き飛ばした彼女が、笑う。



 どん、と。
 突き落とされた身体が空を舞う。
 高い高い、歩道橋。階段を上りきって、古びたフェンスはぎしりと軋み、道路に向けてまっさかさま。
 落ち切ったらどうなるかなんて考えるまでもないけど、どうでもいい。

 どうでもよかった。ずっと。
 あんた以外のものなんて、なにもかも。

 ねえあんた知らなかったんでしょう? 気づいてないんでしょ。
 遠い昔、恋に落ちた。
 ずっと、あんたに落ちている。

 あんたは知らないわよね。気づいていないわよね。
 いつもいつも、一人冷静に。きれいな顔をして。いつもいつも、あたしに触れるの。
 何も知らないくせに、いつだって。

 ねえ、気づいていないんでしょう気づく気もないんでしょうあたしは当たり前なんでしょう。
 あんた、昔から。もやしみたいな子で。あたし、守るために強くなったの。
 あんたをこづきまわしていたやつらもやたらとおびえていた虫も、大嫌いよ。あんたを困らせていいのはあたしだけなのに。
 白紙の課題に眉を寄せたり、それでも付き合ってみたり。ため息ついたり。そんな顔をさせていいはあたしだけなの。
 気づいてないんでしょう知らないんでしょう知るわけないでしょう?
 いつだったかしら。あんたが持ち上げられなかった、あのセット。もともとそれを持ってくるのを任されてた子と、あんたが話しているのを見て、どんな気持ちだったと思うの?
 知らないのよ気づかないのよ、あんたはいつも。いつも。いつも。
 あたしが見ていることなんて、なにも。

 それなのに笑える。笑ってしまう。
 告白されたの、そう告げた時のあんたの顔。
 笑えて笑えて、とても満たされたわ。
 だから言わなかったの。あの人の告白のセリフ。
 あれも笑えたわ。なんておかしいの。君があいつを見ていることは知ってる。けど、なんて。
 ―――どうでもいい相手には伝わるのに、どうしてあんたは気づかないの?
 気づかなかったあんたが、どうしてそんな顔をするの?
 だけど言ったわ。あたしはいつでも正直な気持ちを。
 好きな人に嫌われるのは怖いでしょ?
 怖かったわよ? あたしは、とても。
 かった、と。過去形で思い出すのは、今がそうじゃないから。
 あの時思ったの。顔をゆがませるあんたを見て、思ったの。
 ああ、なんて幸せなのかしら。って。

 だからね。あたし、だからあの人と付き合ったの。
 あんたに何でも話したの。
 そのたびに、あんたは顔をゆがませる。
 その顔が、とても好きなの。
 これまでの価値観が崩されるように。足元が崩れ落ちるように。何もかもが揺らいだの。
 でもね、それからもあんたに嘘はつかなかったわよ?
 あの人といるとひやひやしたわ。いつあんたがあたしの本心に気づかないかって。
 あんたのぐしゃぐしゃの顔が好きなんて。さすがにいえないじゃない?
 でも、あたし、あの人のことが好きなんて、一言も言ってなかったのに。
 つまり照れてるんだね、って。刺々しく言われても、うなづかなかったでしょ?
 それなのに何を勘違いして、追い詰められて。でも口に出さないで。
 本当に鈍感でヘタレでどうしよもない男ね。自分の心と向き合うことさえできない、馬鹿みたいな男。
 でも許してあげるわ知っているもの気づいていたわよ。あんたのことをずっと見ていたんだから。
 遠いあの日。出会ったときから。ずっとずっと、見てた。
 いつだって、気難しく顔をしかめているあんたを。
 だからいつからかあんたが悲しそうな顔をするたび、あたしは。とても。

 ドキドキした。

 そうしてずっと見ていたのよ。だからわかるわ。今、後悔してるって。
 ああ本当に、本当に。本当に。情けない顔をしてるから。
 ああでも少し、かわいそうね。あたしは今幸せだから、少しは歩み寄ってあげましょうか?
 ほら、手を伸ばすから。
 今度こそ、触れてみなさいよ。


 落ちていく彼女が微笑んだ。
 僕を見て確かに微笑んだ。
 意味なんて考えずに、感じるままに手を伸ばす。
 固く繋がれた手に、ひかれた腕に。ふわと体が浮いて。
 いつも通りの彼女の笑い声が、響く。


 触れた。
 触れた。指と指が。だから、手と手も。すべて、近づいて。
 ああ、ようやくね。ようやく、あんたが逃げない。これでどこにも逃げない。

 あたしはずっと、恋に落ちた。
 恋に落ちて、あんたに落ち続けて。
 こうしてやっと、あんたに触れる。
 ずっと、ずーっと落ち続けていたんだから。
 触れ合う先がどんぞこっていうのも、当たり前の結末でしょ。




 泣き顔萌え系肉食系女子とダメダメ系草食系男子のヤンデレなのか何なのかよくわからない不条理系ショートショート。
 リハビリに好き要素を詰め込んだら正直いろいろ喧嘩したっぽい。これはこう、もっとどうしよもないヤンデレをかけるまでリハビリしないと。まったくしかたないなあと楽しい。出来は微妙ですがね!
 13/12/14
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