2月某日。
異性へと贈り物を送る風習がある。元はある志高き司祭の命日だったことなんざ忘れられたお菓子会社の陰謀ともっぱら噂だ。
3月某日。
さらにお菓子会社は考えた。2月のお返しをするための日を考え出したのだ。
そう、お菓子会社の陰謀―――陰謀だと分かっていても、踊る男が126番地にはいた。
ホワイトディ悲喜劇
それは、リビングが夕日の色に染まるころ。
エプロンをまとったベムはかしゃかしゃと手を動かす。
スポンジケーキの焼ける匂いを確かめつつ、ボウルの中で泡立っていくクリームに目を落とす。風矢から譲り受けたレシピ通り作ったそれの出来は上々…だと思う。
けれど―――
ベムは小さく溜息をつく。そして、そっと目線をあげた。
「なんの用、磨智」
「ん? 単に眺めてるだけだけど? 気になる?」
コクンと小首を傾げる磨智。その拍子にゆれたポニーテールとそれを彩るリボンをちらりと一瞥して、ベムは頷く。
「気になるよ」
「駄目?」
「駄目じゃないけど」
ニコニコと微笑む彼女に、ベムは再度溜息を落とす。
そして、仕方なさそうに呟く。
「そのリボン、新しい?」
「うん、選んでくれたのv」
誰が、とは聞かない。
午前中に彼女と出かけた彼と選んだのだとその笑顔が物語っている。
その辺について突っ込んで欲しくてこうして見ていたんだろうなあということも、察することができる。
「…幸せそうで何より。メーは恥ずかしがりそうだけどね」
「ふ。だからいいんだよ。
嫌そうにしつつも一緒に選んでくれるってことが重要なんじゃない」
「…前から思っていたけど。僕、メーだけにはマゾ扱いされたくないな」
脳裏に浮かんだその光景に、ベムは遠い場所を見るように目を細める。以前マゾだのなんだの失礼なことを言われたことがあるが、彼には言われたくない。
すると、彼女はにっこり笑った。どこまでも幸せそうで、楽しそうな笑みだ。
「なに言ってんの。マゾだったらつまらないじゃん。心っ底嫌そうにしつつ結局付き合ってくれるあのお人よし加減が私は大好きだよv」
「…かわいそうに」
「いいじゃない。私は幸せだし」
「いや、メーじゃなくて君の頭」
ぼそりと言い切られて、すぅっと磨智の目が細くなる。彼女は唇を意地悪げに吊り上げ、可愛らしく小首をかしげた。
「ヴァレンタインにも頼まれてもいないセータを編み続けてるヒトに言われたくないな」
「…ケーキも送ってる」
「それ、却ってわびしいことになってるけど」
「…ほっといて」
すごみすら宿す低い声に、磨智は何事か呟きかけ―――ふっと眼差しを和らげる。
声から揶揄の色を消し、どこか穏やかな声で囁く。
「…ベム君、君のやったセーター、毎年どうなってるか知ってる?」
「鍋敷きに使われたりしてるじゃないか。よりにもよって鍋敷きに。そんなことのために防熱加工施したんじゃないのに鍋敷きに」
悲しげな言葉通り、ドラテンの時も着れるようにvと愛(本人談)をこめて編んだセーターは、なぜか燃え上がることもなく立派に鍋しきとして機能している。
「その後は丁寧にしまってあるよ。虫食い被害に遭わないように丁寧に。大事にしまわれてる」
その言葉に、ベムは小さく目を瞠る。てっきり捨てられていると思っていた。思わず頬が緩むが―――すぐに頭をふる。
「…でも、着てくれな」
「そりゃセンス悪いし」
「可愛くないかな」
苦笑交じりに断言された言葉に首を傾げるベム。
磨智は気まずげに眼を逸らす。
「…あんまり可愛くはないと思う」
「そこをなんとか」
「…覆せないよ。私もアレは引く。ハート柄ってとこはまあいいけどさ。それに矢が刺さってるし。なんか眼に痛いピンクと赤と黄色だし。色々駄目だと思うよ…」
毎年つくられるセーターを思い出しつつ、磨智は苦く呟く。だが、その製作者はいたって真面目な表情を崩さない。
「地が白の年もあった」
「あれはますます駄目だった」
「なぜ」
「なぜって…女の子だからハートって発想はどーかと思うよ?」
「そういうわけじゃないんだけど。ただ胸にある思いをストレートに。…可愛くない?」
「…可愛くないと言うより、なんか色々趣味が悪い?」
真面目な表情で返されて、ベムはそれ以上に真剣な顔でなやみだす。
ぶつぶつと呟いて勝手に落ち込む彼を見つめる彼女の眼が、不意に光を放った。
「ふ。そんなベム君にありがたい忠告を」
「さすがにもう信じない」
これまで彼女に吹き込まれた嘘―――緋那はたくあんが好きなんだよとか緋那はバレエを踊る男が好きなんだよとか緋那は般若神鏡経唱える男が理想なんだよとかその他諸々のことを想いだしつつベムは即答した。
「…これまで色々信じたのに」
「それは藁にもすがる思いで。正直駄目だとは思ってた」
正直駄目だと思って実行してきたけれど、一つくらい掠るんじゃないかと信じていた過去の自分に、彼は笑みを浮かべた。
そうしてみると…改めて。目の前で頬を膨らませるこの少女には邪魔をされてきた気がする。
「…君は、自分が幸せなら少しは分けてくれてもいいと思う」
「お土産にマショマロ買ってきたよ」
「そういうマスターと風矢が喜びそうな方向ではなく」
「メー君はあげないよ?」
「もらってどうするんだよ」
「じゃあなにをおすそ分け?」
「僕が誘おうとするとわざとらしくべっとり張り付いていったり。二人きりで庭にいると必ず現れたりすることをやめてほしい」
恨みつらみのこもったくらい声色にも、磨智は微笑んだ。
「最初のは否定しないけど。二人きりで黙ってる時しか邪魔してないよ。なにか喋ってる時はちゃんと気を使って回れ右してるよ?」
「…嘘くさい」
「ホントだって」
じとりと目を据わらせるベムに、ふふんと笑い、磨智は続ける。
「邪魔してる気はないよ? おちょくってる気は、あるけどね」
にっこりと笑う磨智。ベムはその顔に抱えたボールの中身をぶちまけたい欲望を必死で押さえた。
かけても別に彼女にダメージはないかもしれない。けれど、生クリームは少なくない油を含む。床の掃除が面倒だ。
「僕をおちょくってる暇があるならいちゃついてろ。目につかない場所で、こっそり。いっそとっとと子供作れ」
「うわあ☆ある意味セクハラ発言ー。…緋那に言っちゃおうかな」
「…言いすぎた」
ベムは素直に頭を下げる。
緋那にいっちゃおうかなーと言いつつ、その内容が誇張婉曲されまくることが手に取るように分かったからだ。色々潔癖な彼女にそんなものを吹き込まれたら口をきいてもらえなくなる気がする。
「じゃあ、言うことあるんじゃないのー?」
「…ごめん」
ぷるぷる肩を振るわせつつ紡いだ言葉は、同じように震えていた。
そのことに満足げな笑みを浮かべつつ――磨智は小さく溜息をつく。
「…っていうか、子供出来るよ―なこと、メー君がするわけないじゃん」
その声は、なんだかひどく悲しそうだった。
「…はぁ?」
するわけないって。なんだその力強い断定。
そう口に出す前に、やけに低い呟きが漏れる。
「―――やっぱり胸がいけないのかな」
「は?」
再び間の抜けた声を出す。出した刹那、ぎゅうと引かれる。―――パーカーの胸元に垂れる紐を。
「色気が足りないって遠まわしに言われてる? そうなの?」
「紐、ひっぱ…! 首しまる!」
「手を出す気が起きないほど貧弱って遠まわしに言われてる? そういうことなの? やっぱ大きい方がいいの?」
「首…!」
細くなっていく悲鳴に構わず言い募り続ける磨智が我に返った時、ベムはくたりと床に座り込んでいた。
「…ごめん。ホントごめん」
「…貸し一つ」
「……」
「貸し、一つ」
「…仕方ないな」
呟く彼女に、彼は首元を抑えつつ息を吐く。どうにか死守したクリームは、彼の気苦労も知らず白い輝きを放っていて、なんだか物悲しさを助長させる気がした。
そして、そのうち似たような思いをするのであろう光龍へ、こっそり十字を切った。