色々あって結婚しました。
そういう形をとらずともとらなくとも、行きつく先は変えるつもりなどなかったけれど。
まあ、家に帰って彼女がいるという状況はすごくいい。
余所で奥さん言えるのもすごく気分がいい。
なにより、過ごす時間が増えるのが、幸せである。
…だけど。
だけど今、悩みというかなんというかが一つ。
「……小町、さん」
「はい」
呼びかけると、なにやら本を読んでいた彼女が顔を上げる。
なんでしょうかと言いたげな、蒼い瞳。
「なにもようはありませんが」
「ないのですか」
「すごく呼びたくなったので呼んでみました」
そうですか、と答える彼女は、呆れる風ではなく、ほんのりと笑っていて。
ああ可愛いなあ、いやそうではなく。
そうではなく、名前を。
呼びたいんだけどな。呼び捨てで。
どうして今更こんなどーでもいいことで照れるんだろう、自分は。
ふ、と僅かに嗤ってみる。
かっこをつけると一層空しかった。
新婚物語
最初が『小町さん』で。彼女も『風矢さん』で。
付き合ってからも、なんとなくそれが抜けなくて。
抜けなくて、そのまま定着していた。気付いたら。
さんづけはさんづけで非常になんというかこう、うん。…うん、変えてくださいとは思わなかった。
なんだろう。自分は確実にもっと恥ずかしい台詞を彼女にぽんぽん告げているのだけれども。
だけど、なんだろうなあ。このこそばしさは。
けれどまあ、呼びたい。呼び捨てたい。だって夫婦なのだから。
呼びたい、『うちの小町』と。
だから、とりあえずは。
「……小町」
とりあえずは、呼んでみた。
「はい」
普通に振り向かれた。
…ちなみに本日の彼女は、彼女の部屋として与えられた部屋で大鍋かきまわしている、
僕としては同室でいいというか同室希望だけれども。主にかなたさん(の裏で呪詛を飛ばすベム。かなたさんはなんか怯えてた)により、別室。
…まあ、そのくらいは。同居人に合わせないといけないだろう。彼女の荷物も多いことだし。
…いや、だから。そうじゃなく。
「…やっぱり用事はないけど」
「ならば呼び捨ての練習だったのでしょうか」
………。…………。
お見通しだった。
お見通しだった……!
こちらに向き直った瞳に、揶揄とかそういう色はない。しかし。
しかし、はいといいたくない。どうしても、言いたくはない。
「君を呼ぶのが僕の幸せなのでつい、というやつで他意はありません」
「それは嬉しい」
結局言っている言葉の方が、よほど恥ずかしいはずなのに、なぜだろう。
慣れというのはそこまで人を戸惑わせるのか。
しみじみと悩む間にも、彼女が続ける。
「風矢さんが呼びたいように呼ばれればよいと思います。
それとも私も変えるべきなのでしょうか」
「…『あなた』に?」
以前それで(某火乃香さんが)大変なことになったから。別にいいけれども。無理しなくとも。
「いいえ嫁入りを果たしましたのでここは一つそれらしい呼び方をしたいと思います」
「それらしい?」
なんですか、それ。と尋ねる前に、彼女が軽く指先を自分の口元に運ぶ。ほんのり頬を染めながら、帰って来た答えは、
「旦那さま……?」
………………。
………旦那だけど。確かに。
いや旦那だけど、うん旦那だけど。でも……っ
「…小町さん」
「はい」
震える声で、俯きながら。ゆっくりと口を開く。
「駄目です、外でそれは駄目です」
「どこかおかしなところがありましたでしょうか」
おかしくはないけれど。彼女の言葉が仰々しいのは今に始まったことじゃないから、ちっともおかしくはないけれど!
俯いたまま続ける。抑えた顔はひたすら熱い。
「…にやけます。見せられません。こんな顔は。君にも」
「それは残念」
残念と言われても。本当に残念そうな声でそう言われても。
はにかんでそれは反則だ。本当に。
「私は風矢さんの笑顔が大好きです」
……ト、…トドメがきた!?
「…そんな可愛いこと言っても駄目って言ったらだめです! 二人きりの時以外は!」
「二人きりの時はよろしいのですか?」
「緩んだ顔は見せたくないけど。…見えてしまっても、困りはしません」
君に、君だけになら。
ぼすん、と彼女の肩に顔を預けながら、小さくそう呟いた。
脳内(ところにより口に出して)で『僕の恋人』だの『僕の小町さん』だの言ってる男がそんなことに悩むんじゃねえ。
…よし。突っ込まれる前につっこんだぞー。
新婚とか関係ないけどともかくらぶらぶなばかっぷるでした。爆ぜろ、もう。