―――仲間だった彼女が恋人、になったあの日から、それなりに月日を重ねた。
 『デート』という名目で二人で出掛ける気恥かしさにも、それなりに慣れた。
 慣れたの、だけど。

「磨智!」
 メーは声を張り上げる。
 それなりの音量を伴った声は、ただ喧噪の中に飲まれた。

『あのね、私、ここの観覧車乗りたいの』

 彼女がそう言ったから、ここに来た。
 朝色の町を出て、この遊園地まで来た。
 デートという名目で出掛けるのは慣れたけれど、あの町以外に出かけるのは少し慣れない。龍であることを隠して行動しなければならないし、道が分からないから迷いやすい。
 こういう地図のある場所なら迷わない、と言いたいところだが…
 迷わなくても、はぐれることはある。
「どこ行った、あのチビ…」
 本人の耳に入ったら怒りを買うこと必須な言葉を呟きつつ、あたりを見回すメー。
 どこを見ても、ヒト、ヒト、ヒト。
 茶色の長い髪は見えない。
「……」
 小さく舌打ちして、メーは走る。
 心配などしていない。なにかトラブルに巻き込まれたとしても、どうにでもするだろうと思う。けれど―――
「…俺一人でこんなとこいても空しいだけだろーが…」
 その声に混じる拗ねた響きに恥じ入るように、彼は元来た道をたどる。

 光龍が必至で歩き回っていた頃。
 探される地龍は、高さのある花壇に腰掛け、途方にくれていた。
「……無機物に超回復はきかないよね……」
 乾いた笑みを浮かべる彼女の手には、ヒールの折れた新品のミュール。
 慣れないもの穿いたのが悪かったのだろうか。これでは歩くに歩けない。…いや、龍から人間形態をとるときの要領で、新しい靴を生み出すことはできるのだけれども。折れたヒールに驚いた所為で、メーを見失ったのが問題だ。むやみに歩き回るより、ここにとどまっていた方がいいとは、思うのだが―――
「…来ないなあ」
 なんのために身長伸びたのさ、探しだしてよ。
 僻み交じりにぶつぶつ呟く磨智。
 こうして一か所にとどまっていれば、いつかは落ちあえると思う。
 けれど、なにかとそそっかしい彼のこと。
 もしかしたら通りすぎているということもありうる―――
 溜息と共に憂鬱を吐き出す。
「…なにやってんだろ」
 呟くと同時に、影が落ちる。
 顔を上げるより早く、声がかかった。
「靴、どうかしたのかな?」
 それは、確かめるまでもなく。
 彼女が待つ彼ではなく、他の人間のもの。
 無視するわけにもいかず顔を上げれば、2人の男が立っていた。おそらく、龍ではなく、人間。磨智が人外の存在だということも気づいてはいまい。
 磨智は静かに目を細める。値踏みするような目線を向けられた男は、それに気づかず笑っている。
 ニコニコというよりは、ヘラヘラといった感じ。いかにも軽そうな声音と、ラフさの演出に失敗したとしか思えない、だらしない服装。
「あー。これは駄目だね。修理しないと」
「代わりの靴、買ってあげようか?」
 親切なことを言われているのに、下心しか感じられない、そんな二人組だった。
 手元の靴をのぞきこまれているはずなのに、なぜか足に視線を感じる。
 ついでに、名前も訊かずものを買い与えようとするなんて、代償を求めてくることが目に見えている。
「…あの、私、人を―――」
 人を待っていますので、構わないでください。
 妙にいい顔をして、つけこまれてはたまらない。きっぱり言い切るつもりで、口を開く。
 だが、彼女が言いきるより早く、低い声が割り込む。
「…すいません。どいてもらえません?」
 それは、彼女が知っている声。待っている声。
 けれどここまで冷たく響くことなど、めったにない。
 もの言いたげに振り向く男達の口から言葉が出るより早く、手を引かれる。
「返せ。こいつは俺のだ」
 その声に宿る怒気に、男達は一瞬怯んだような顔をした。
 その一瞬を見逃さず、声の主は磨智の手を引いたまま走り出す。
 驚きながらも見上げた顔は、怒ったような、拗ねたような顔をしていて。
 照れくささを忘れて、磨智は少しだけ笑った。

 しばし手を引かれて歩く。
 どうやらただただ人を避けていっているらしく、どんどん辺鄙な場所へ向かっている。あんなに人がいたのに、もはや二人きりだ。
「メー君、ストップ! 私、片足はだしなんだよ!?」
「な!?」
 訴える声に、ぴたりと足を止めるメー。
 困惑しきった顔をして、目線を下に落とす。
「なんで最初に言わないんだ」
「言う暇なかったじゃん。なんで私があんなとこに座ってたと思うの?」
「……すまん。気づかなかった」
 怒ったような磨智に、メーは素直に頭を下げる。
 わずかに目線をそらしたまま、続ける。
「…あれはその、お前をもの扱いしたとかそういうのじゃなくて。少し頭に血が上って…」
「…は?」
 なにやら別のことを謝り始めたメーに、思い切り訝しげな声を出す磨智。
 彼は声を荒くして続ける。
「は?ってなんだ! だってどう見ても下心あっただろ、アレ! なんか雰囲気がやばかったし!」
「そんなの、分かってるけど」
「けど!?」
 顔を上げるメー。その目にあるのは、不安の色。
 なにやら誤解があることに気づいた磨智は、にっこりと笑う。
「…私、嬉しかったよ?」
「へ?」
「…かっこよかったよ?」
「…嫌じゃなかったのか?」
「普通見ず知らずの人にからまれる方がやだよ? そこを好きな相手に助けられたら、嬉しいよ。もうメー君にしては色々大胆だったし? 君って本当たまに気障だね」
「………忘れろ」
「嫌。勿体ない」
 僅かに青ざめていた顔を赤く染めて、磨智を睨むメー。
 その視線をしっかり受け止めて笑う磨智。
「忘れろ!」
「ダ・メv」
 どこまでも嬉しそうな笑みを浮かべる彼女に、彼はぐしゃぐしゃと髪をかきむしる。
 そして、諦めたように溜息をついて、呟く。
「言うなよ。他の奴に」
「…それはいいよ」
 妥協案を結んだメーは「よし」と呟く。わずかに赤みのひいた顔をひきしめて、大きく頷いた。
 磨智はその様を揶揄しようと、唇を開く。
 けれどそこから洩れたのは、あっけにとられたような声。
「ちょ、メー君?」
「なんだ」
「な、なんだじゃないよ!? なにしてるの!?」
「いや、靴壊れたら歩けねーだろ。まあ裸足でも平気なんだろーけど、見栄え悪いぞ」
「そ、それを言うなら、この格好だってそうとうすごいよ!?」
「…言うな」
 自覚はあったのか、苦い声で答えるメー。
 その腕に抱きあげられた磨智は、間近で感じる体温にただ頬を染める。
 所謂、お姫様だっこ。
 普段の彼ならまずしない行動に、彼女は言うべき言葉を見失う。
「…帰るぞ」
「この格好で?」
「ここで龍に戻って人の目についても困る。…このまま、だな」
「…恥ずかしいよ?」
「……裸足の女歩かせる方が、俺の中では恥ずかしい」
 言い切る声に迷いはない。照れはたっぷり含んでいるものの、降ろそうとする動きはない。
「………メー君」
 磨智は笑う。
 靴を直すことは無理でも、他に行動の仕様はいくらでもある。そもそも、気にせず歩いていれば、わざわざ磨智の足元を気にする人間がいるはずもない。裸足だろうが誰も気付かないに決まっている。
 こんなことする必要などないと言うことは、とても簡単だ。けれど。
「ここの観覧車ね、カップルが一緒に乗ると、ずっと一緒にいられるんだって」
「…なにを根拠にそんなこと言えるんだ? 観覧車になんの魔力があればそんなこと言えるんだよ?」
 予想通りの一言に、彼女は笑う。
 そう言われることが分かってるから、言わずに来たのだ。
 どうやら乗れないことになりそうだが、そんなことはどうでもいい。
「さあ? まあ、ロマンがあっていいじゃない。
 ―――私にはもう、必要ないけど」
 そんなことより素敵なことがあったからねー。
 嬉しげに首に腕をまわしてくる磨智に、メーは改めて頬を赤くする。
 こみ上げる羞恥から逃げるように足を動かす。
 ―――人通りの少ないところを通ればいい、はず。たぶん、きっと。
 自らに必死に言い聞かす彼は気付かない。
 わずかに逸らされた彼女の顔もまた、真っ赤に色づいていることに。

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