あんなに大騒ぎしたけど、一晩もしないで解決したんだ。
 そのことに感慨深くなったりならなかったりするけど、今そんなことはどうでもよい。
 どうでもよいさ。この煤の始末に比べれば、大概のことはさあ。
「黄昏るな。かなた。手を動かせ」
「いえすボス」
「いやあなたがボスでしょう?」
 箒片手の緋那と風を操る風矢は、なんだかとっても嫌な顔をした。
 分かってて言ったけど、ちょっぴり傷ついた。
 …けれどまあ。
「…すべてを含めて平和っていいね」
 いろんなことに目をつぶり、そっと呟いてみた。
 今度は、なんの反論もなかった。

その後の彼ら ―やっぱり126番地は平和です―

「……そして平和のあとの清潔っていいねえ……」
 それなりに首尾よくお掃除を終えた私は空を仰いでみる。うむ。良い気分だ。
「そうだねー。うちは風矢君いてくれて助かったしね」
「そうだね。便利だね。風龍! 一家に一台!」
「お前らそんな風矢をアイテムみたいにさあ…」
 私の隣で同じように空を見あげる磨智に、メーはぼそりと反論した。
 …メー君は真面目だなあ。
 でもまあ確かに風矢が聞いたらむっとしそうだね。私には。ひどい。マスター差別だ。
「第一しばらくは掃除続くだろ、今から喜んでどうするんだよ」
「……メー君ったらつまらない男」
「うん。むごい男」
「当たり前のことをいっただけじゃねぇか」
 などと馬鹿なことをやっていると、足音が聞こえる。
 二人分のとても静かな足音と、かちゃかちゃというグラスの音。
「つまりおやつの気配だね!」
「……なあかなた。私はお前が年々アホになっているんじゃないかと不安になるんだ」
「気を許した証拠だよたぶん」
 自信満々に言いきると、実にしんなりと冷めた目線をよこされた。
 それなのにシートを引いてテキパキとお茶の準備をする緋那ちゃんは大真面目だなと思います。
 その脇でさらに静かにケーキ配ってるベム君は彼女の犬だなと思いました。いつものことです。
 …ん。ケーキ?
「あれ? 風矢君は?」
「ふ。野暮だねマスター」
 パウンドケーキがあるのに風矢が現れないなんて今夜また新たな鼠が出るに違いない。
 そんな当然のはずの私の主張に、磨智がちちっと指をふる。
 にこにこにまにま、とっても楽し気な笑顔だ。
「風矢君がここまで一生懸命お掃除を頑張った理由なんて、一個だけでしょう。会いにいきたいんだよ」
『あー…』
 なんともいえない声が、その時いくつか重なった。
 誰に。とか。どこに。とか聞くまい。
 小町さんで。68番地だ。いや。68番地にいるかわかんないけどさ。
「…じゃあとっておこうね。一個」
「いえ。食べますよ」
 後ろから聞こえた声にかなり驚く。
 涼しい声と共にベムの隣へ腰を落とした風矢は、にこりと笑う。
「あちらはまだ掃除をしているでしょうしね。突然伺ったら迷惑でしょう」
「…いやまあそうだけど」
 そうだけど。めっちゃ目ぇ泳いでるね。涼しいのは声だけだったね。
 図星、だったんだね。
 磨智、おっきい声で言ってたから、聞こえたんだね。
 だから、慌ててこっちに混ざりに来たんだね。
「無理しなくてもいいのに」
「してません」
「はぜればいいのに」
「はぜませんよ」
 そんな顔でもシラきるんだね風矢は。
 ベムのその恨めし気な面をスルーできるんだね。
「…別にちらっとあいさつしてくるだけならいいんじゃねーの?」
「…あなたにしてはマトモな意見ですが。だから、別に。急ぐことじゃないでしょう」
 いやだから。説得力がないよ。そんなそわそわした感じに言っても。
 そんな言葉を飲み込んで、ケーキを飲み込む。作り置きのパウンドケーキは美味だ。味がしみ込んで実にいい感じだ。喋っている暇などない。
「…そんな急いで会いにいったらみっともないでしょう。無事は確認しているのに。べたべたと。
 どれだけ色ぼけてるんですかって話ですよ」
「え?」
「は?」
「んぐ?」
「あ゛?」
 不穏な感じの怨嗟とか、それぞれの驚きの声とかが重なった。すごい不協和音。
 危うくつまりかけたケーキを茶で流し込み、私は恐る恐る問いかける。
「色ぼけて…ないつもりだったのか…?」
「はい」
 言いきっただと!?
 真顔で言いきっただと!?
「そんなにそわそわしておいて…?」
「お弁当つめながら花を飛ばしておいて…? 昨日だって真っ先にとんでいっておいて…!?」 
「別人みたいで怖いレベルなのにか!?」
 私、磨智、メー。
 その問いかけっていうか驚愕の言葉にも、彼は大きく頷く。
「ええ。僕は彼女を愛しています。それは胸を張って何度でも言えます。
 けれどボケてはいません。みっともなく取り乱したりは、していません」
「風矢君案外アホだったんだね!?」
「だからボケてもアホでもありません」
 なぜそう言いきれるのか。もはや言葉をなくす私。
 言葉もなく恨みつらみっぽいまなざしを向けるベム。
 そんなものを気にせずにここ数日というか、小町さんへのの彼の所業をあれやこれやと上げていく磨智に、風矢はなおも否定を続ける。
 ……あんなに正面から惚気ているのに、突然何を言うのか。
 …世の中って怖い。
 昨日散々感じたはずの気持ちが、より深く蘇る。怖い。
「…別に驚くようなことではないだろう」
 え、驚くことだよ!?
 言うより早く、緋那は続ける。これまで黙っていた緋那は、あくまでとっても穏やかに続ける。
「そういう洒落だろう?」
 ……緋那の言葉は、基本きつい。
 あまり愛想のいいタイプではないから、なおさらきつく響く。
 けれど、私は知っている。
「あんなにデレデレしておいて。まさか自分が色ぼけていないなんて、本気で思っているはずがない。
 そういう洒落だろう? そんなにつっこむようなことじゃないだろう」
 だからこそ、こんな風に。
 穏やかに微笑ましげな感じに告げられる言葉の方が、マジ痛い。突き刺さる。
 私はそのことを身をもって知っている。
 ほら例の劇を知った時の緋那がね。やさしーうれしそーな今見たいな声でね。『かなた! 立派なって!』みたいに感動を述べてきてね。心にすごいダメージを負った。否定などできぬ的な意味で。うふふ。あははは。えへへ。みたいな!
 案の定、風矢はもう何も言わない。言えない。
「…………いやでも。先方の前でデレデレは、みっともないですから」
「そうだな。すぎると家の恥だな」
 風矢の肩がビクリと震える。
 すぎている自覚があるからだろう。
 いやしかし。その点は大丈夫だ。ベムよりはマシだ。言ったら怒る気がするから言わないでおくけど。
「………惚れ直した」
 我が家の奇行要員は、とても恍惚とした感じに呟いた。
 その反応と黙った磨智に、ようやく風矢がへこんでいることを察しているらしい緋那は、ぎこちなくごめん、などといっている。
 さらに風矢の心にダメージを与えているだろうことを予想しながら、私は遠くを眺めてみた。
「今日も126番地は平和だね………」
「便利なセリフだよな。それ」
 同じく遠くをみるメー君に、私は小さく頷く。
 便利で、良い言葉である。ホントに。本当に、ねえ。