しかし、どんなに疲れて。癒しが欲しかろうと。
 ナズ子とやらとのなんか微妙な距離は、まだ続いている。
 このまま彼女に会いにいって、変にからまれてもなあ。僕はどうでもいいけど小町さんがなあ。妬いてほしいけれど小町さんはなあ。
 天然で理解してくれないとかそういうのなら、まだいい。変に落ち込まれたらどうするよ、だ。…まったく。
「…まあ、慎み深いところもかわいいんですよ、度が過ぎなきゃ」
「大体何考えているか分かったけど。暑苦しい」
「……君に暑苦しい言われる日が来るなんてものすっげえ屈辱です」
「へえ。そう」
 はんと嫌な感じに笑ったベムに、何か言い返そうとしたその瞬間。廊下から数度の電話の呼び出し音と、それをとったらしい男の声。
「ふーやぁ。電話ー。小町ー」
「あ、ありがとうございます」
 ひょこりとリビングに顔を出したメーに、僕は珍しく素直にそう言えた。

僕と彼女と彼女とのX日戦争 2

「代わりました。風矢です」
『小町です』
 受話器の向こうから聞える、聞き慣れた声。
 …そういえば、電話をもらうは久々な気もする。例のカフェでよく会えるから、そこで出かける約束はしてしまう。
 けれどまあ、久々に使うと、悪いものではないかもしれない。だらしなく緩む顔を隠せる辺りとか。
『風矢さん』
「はい?」
『今、なにか楽しいことでもありましたか?』
「そ、そんな声でしたか、僕」
『なんとなく』
 あっさりと肯定されて、非常にいたたまれない。
 …毎度毎度思うが、僕はそんなに分かりやすいんだろうか。
 素直に認めるのが癪で、思わずもちだしたのは昔の話。思い出すと本当に微笑ましく笑える類の記憶。
「…小町さんが電話の脇の温度計とやらに額を打ちつけなくなったなと思ったら、なんだか楽しくなって」
『あれは一度きりですよ』
「ええ。知ってます」
 恥じ入るというよりは、なぜそれが面白いのか分からないと言った調子で言う彼女に、ますます笑いそうになる。嘘から出た真だ。
 本当に、昔の失敗蒸し返しても怒るでもなしにそんなことを言うのだから。このヒトはもう、だ。
「…あ、脱線しちゃいましたね。小町さん、なにか用事があったのでしょう?」
 少しずつ明るくなる気持ちをいつものそれに戻して、問いかける。わざわざかけてくるのだ、用事があるのだろう。
『特に用事はありません』
 あるとばかり、思ったんだけど。意外な言葉に思わず瞬く。みえないから、意味なんてないわけだけれども。
「…なら、もしかしてなんちゃらのご意思ですか? この電話」
『いいえ』
 きっぱりと言い切ったと思うと、あの、と呟かれる。歯切れが悪い。…ものすごく珍しい。
『風矢さんの声を聞きたいと思いました』
 なんか、もじもじ、って感じの空気が伝わってきた気がした。
 いや、もじもじはしてないかもしれないけれど。こう………
 なぜ電話の向こうにいなかった僕。みたいな。
 …うん、決めた。
「…やっぱり会いに行きます。明日の…お昼。あいてますか。一緒にお昼どうですか」
 変なことばかりを考えていたせいでその瞬間を見逃してしまった自分がわりと許せない。
 そうだ、別に気にすることないじゃないか。
 言い寄られているようだといっても、一応遠まわしにだ。2人でいるところをみられたところで、別れろなどと言っては来ないだろう。
『それは構いませんがやっぱりとはどういうことでしょうか』
 いってきたら言ってきたで、そんな気はないと宣言できてすっきりするくらいだ。なんかそのくらいでおとなしくなならなそうだけれども。
 おとなしくならないかもしれないけれど、気にすることが馬鹿らしくなってきた。
「最近ごたごたしていて、会っても疲れた顔みせるだけになるかなと悩んでましたが。
 僕も小町さんの声が聞きたい。…今声を聞けたから次は会いたい」
『そういうものですか』
「そういうもんです」
 生真面目な声にきっぱりと返せば、くすりと僅かに笑う声が聞こえる。楽しそうだと分かって、ひどく胸が躍る。
 けれど。
『仲良しですから?』
 それはどうだろう。
 いや、今だって仲良しには変わりないが。もっとこう、密な感じになれてると思ってたのは僕だけですか。いや確かに今までやってきたことは友人でも、…いや友人にキスされてたまるか。そりゃあその先はしていないけれども。いや、そうじゃなくて。
「…そこは好きあっているから、にしましょうよ」
 にわかに熱を持った額に手を添え、呟く。自分でもわかるくらいに拗ねたような色が混じるのが、大変悔しい。
 彼女にはより強く伝わったようで、なんだか優しげに『そうですね』という声が帰ってくるのがまた、こう、…恥ずかしい。
 むっつりと黙っていると、風矢さん、と呼ばわれる。
「はい?」
『楽しみに待っております』
 あい変わらず丁寧にそう言われ、なんとなく毒気が抜ける。毒気というか、…意地か。この場合。
「…ええ」
 だからそう返して、そっと受話器を置く。
 明日は晴れそうだし、人気少ない方がはちあわせしそうにないし。弁当でも作っていこうか、前評判良かったのはどれだっただろう。
 リビングに戻った僕はなんか呆れたような顔(誰とは言うまい)に迎えられることになったけれど、特に気にならなかった。


 別に間なんて大して開いていないはずだけれども。なんだか久々に会った気がする彼女に、どこか行きたいところがあるかと聞いてみた。
「…まあ、つい弁当は作っちゃいましたが。なんか追加したいものとか、行きたいところとかないですか」
「いいえ。今日は特に急ぐ用事はありません」
 だから風矢さんの好きなところにお付き合いいたします。そう告げる顔がなんだかむしょうに可愛く見えたので、つい撫でてみた。
 少し驚いたような顔が、やはり可愛いと思う。
 すごく色ボケていると思うのだけれど、どうしても。
「…どっかで飲むものでも買って。適当に歩きましょうか」
「はい」
 そうして隣を歩いていると、別に変なことなんてなにも気にならなかった。

「…良い天気ですね。こんな散歩日和に引きこもることにならなくて、良かった」
 いくつか露店を見たりジュースを買ったりを繰り返し、気付けば町のはずれ。
 そこで差し込む日差しの暖かさに、しみじみと言葉がこぼれた。
 しみじみと、特に他意などない言葉ではあったのだが、横目で窺った彼女はなぜか少し眉を下げた。
「連絡したことはご迷惑ではありませんでしたか?」
「なんでそんなことが迷惑なんですか」
 なんとなくむっとして立ち止まると、彼女もぴたりと立ち止まる。
「風矢さんはここ2,3日お疲れのようでした」
 気遣わしげな声に、はっとする。罰が悪い。
 そういえば、カフェに行っても。途中でうつらうつらと眠ってしまっている。
 疲れているのだ、本当に。変に神経に触るあの風龍の所為…その言葉の、所為で。
 アヌとナーズ。
 そのことを、彼女がどう思うか、なんて、そんなことばかりを。

『…正直を言うと、…少し怖いのです。
 …貴方は、変な女を珍しいと思って興味を示しているだけではないのかと考えてしまう』

 好きだと告げたあの時、そんな風に言った彼女は、僕を信じてくれているだろうかと。
 やはりそちらの方がタメになるのですよね、などと、いってしまうのではないのかと。
 そんなことを、今更。
 ………考えていたんだけどな。
「…確かに最近疲れてましたが。そんなん気にせずとっとと君に会いにくればよかった気がしてます、今」
 考えていたのだけれど、会ってみると馬鹿らしい。
 今の状況が信じるに足りないのなら、信頼を築く時間を。どうせ悩み苦しいのなら、共に。
 そう願ったのは僕だというのに、弱気になっても仕方ない。
「むしろ君なら連絡なんてなくても会いにきてくれればいーんですよ。なんなら家の中で待っててくれればいいんですし」
 まあ、それですれ違ってお互い待ちぼうけしたら笑い話だが。たぶんそれはないだろう。
「良いのですか?」
「そりゃ、あまり大きくはありませんが。そこまで汚くはしてませんよ、家」
「…はい」
 どちらからともなく歩き出すと、自分の足音とかこかこと下駄の音が混じる。
 その音に交じってしまいそうなその声に、思わず笑う。
「…小町さんは可愛いですね」
 油断をするとぽろぽろと無防備に零れるようになった言葉に、彼女はやんわりと笑ってくれた。
 ―――たった一つの存在にこだわるなんて、馬鹿みたいだ。
 ずっとそう思っていた。誰かの唯一に憧れていたのに、そうして斜に構えていた。
 そのまま、一人でいれば。楽だったのだろうか。
 けれど、楽であれば、こんな気持ちにはならなかったのだろう。
 なんとなく差し出した手に重なる体温に、ますます頬が緩んだ。


 そうして浮かれていたからだろう。
 それからもつれづれに言葉を交わしたのに、彼女が僕に『疲れている理由』を一言も聞かなかった。そのことに気付いたのは、帰宅した後だ。
 そうしてこみ上げる感覚は、後ろめたさと似ている。
「…聞かれたくない顔、してたんですかね」
 ああ、今度はちゃんと聞かないと。そういう顔していましたか、と。
 うまく説明できるか、分からないけれど。
 このままじゃ、まるで。
「…ホントに悪いことしてるみたいじゃないですか」
 ああ、言葉が足りないなんて。彼女にだけ言えないかもしれない、僕は。
 空の弁当箱をすすぐ手のひらに、じわじわと水の冷たさが沁みた。

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