外出先で夕食を終えて、家に帰った時。
 なんだかおかしいな、とは思わんでも無かった。
 緋那さんはぼんやりとしていたし、いつも彼女の脇まではいかずとも近くにいるはずのベムの姿を、一度も見なかったし。
 けれど、朝になれば。一緒になんてことのない顔をしていたから、それ以上気にはしなかった。
 けれど。
「風矢、助けて!」
「は、なんであなたを―――」
 血相変えたメーに詰め寄られて、文句を言う前に腕をつかまれて。裏庭につれていかれた僕が見たものは。
「ばっか俺じゃねえ! ベムだ! ベムを助けろ!?」
 一心不乱に塔のようなものを作っているベムだった。

渦巻く不安

 ―――…一体何をどうすればこれができるのか。
 口に出さずに一歩引く。
 裏庭にそびえる、僕の背丈も越した塔。ぐらんぐらんと揺れる意味不明な高いだけの塔。それは、高さよりそのバランスの奇妙さが目をひく。
 材料次第はその辺の余り物を使ったと思われる、つぎはぎの塔。そのつぎはぎさがまた怖い塔。ただの木目の欠片が、どうしてここまで怖くなるのか。分からないし、聞きたくもない。
 脚立の上で木材片手にそれを作っているベムは、僕やメーに気付いているのかいないのか。
 ただ目に見えるほどうす暗いオーラをまとい、とんとんかんかんどんどんと塔を増築している。
 怖い。
 ところどころ施された細工が変に綺麗で逆に雑な塔に似合わなすぎ、というかどうしよう、これが製作者の心理を表していたら、というか。
 崩れそうで崩れないバランスが、すごく、見る者に不安しか与えない。
「…昨日さ、なんか皿割った緋那に会いってからちょっと暗くてさ…でもなんでもないとかいうからつっこむにつっこめなくてさ…その時はでも普通だったんだよ! それが緋那達いなくなった途端これだぜ!? 怖いだろ!?」
「………まあ、同意しますけど。でも……
 …でも、どうしましょう、これ」
「…どうしようって…。…どうしようって言われると俺もわかんねえけど。このままは駄目だろ!?」
 まあ、怖いからな。すごく。…うん。確かに怖いよ、本当に。
「…その、昨日緋那さんになんかきっついことでも言われた…んですか?」
「俺は知らねえよ。知ってたらなんか言うに決まってるだろ。こんなの作られる前に」
 こんなの、か。すごい説得力だ。もうほとばしる説得力だ。
 …しかし、心辺りがないことには慰め(?)ようもない。
 色んな意味で困る僕の隣で、メーははっと顔を上げた。それでも塔を直視しないようにしている辺り、なんていうか。気持ちが分かる。珍しく。
「…ベム…もしかして…!
 お前が一目憚らず小町といちゃついたから追いつめられて…うまくいかない自分をはかなんで…!?」
「止めてください! 本当だったら胸が痛む! つーかそんな台詞貴方に言われる筋合いないですよこの126番地のバカップルの片割れ!」
「ちょ…いつ俺がお前ほど恥ずかしい台詞をはいた!?」
「存在自体が恥ずかしいんですよむしろあなたは!」
 しみじみとなんか失礼なこと言うメーに、思わず言い返す。少し現実逃避も、入っていないとは言わない。
 とんとんかんかん、がつん、ごっ。ごっ。ごっ。
 そんなことをしている間に、なんか乱れた釘の音がまた怖い。ぱらぱらと散る木片の屑が伝えるのは、金づちに込められた力の強さ。なんでそこまで力強いのかと、聞きたいけど聞きたくない。
 …まさか、本当にそれで腹を立てているのだろうか。……今更……?
「…ベム」
 このままよくわからない怖さに怯えても仕方ない。
 萎えそうな喉に活をいれて声をあげるも、返事は返ってこない。
 とんとんかんかん。
 返ってくるのは、規則的な音ばかり。そしてつみ立っていくのは不気味な塔ばかり。
 駄目だ、これが目立つようになったら…近所から文句つけられても言い返せないレベルだ…!
「ベム!」
 今度は、大声をあげてみた。
 なんか怖い塔にだけ向けられていた目が、こちらをとらえる。
 どんよりと、とらえた。
 …いつも目がきらきらしている方ではない彼の目は、今完璧に死んでいる。
 ………心底怖い。
「…なー。ベム、なんかしたん…だよな。それはいいけどこれ作るの止めようぜ…。俺、夢に見そう…」
 言うべき言葉をすっかり忘れた僕ではなく、メーが声を上げる。
 ベムは何も答えない。ただ己の作りだした塔をちらと見、ああ、と言わんばかりに頷いた。
 と、と、と。
 脚立を下ってくるベムは、地面に降り立つなり、一つ大きく頷いた。
「…そうだね。なんかこれ、不気味だね」
「本人もそう思ってたんですね…」
「今気づいた。片付けるよ」
 やけに素直にそういって、片付けにいる道具をとりにいこうとするベムは、それでもやっぱり暗かった。どんよりだ。
「…ベム」
 今度は、ごくごく普通の声で呼びかけた。
 振り向く動きは、どこか不自然だった。
 ぐりん、とからくり細工のようだった。
 ………なんで僕、これと友達なんだっけ。…じゃなくて。
「…なにあったんですか。一人で解決してくれるならそれでいいですけど。またこんなもん作られたら困ります。大ごとになる前になんか言え」
 無言でコクコク頷きまくるメーと僕とを見、ベムは僅かに首をかしげる。
「…なにかあった顔なの。僕」
「そりゃあもう」
「すっごく」
 思わず即座に返せば、ベムはさらに首をかしげる。どんよりじっとりとした眼差しというかオーラをただ漏らしたまま。
 ……だから、怖いって。
「…………そう」
 なんだか妙に怖いものになりはてた友人は、一度大きく頷く。
 そして、真顔を崩さずに唇だけを動かす。
「馬鹿って言われた」
「は?」
「緋那に。馬鹿って言われた」
「いつもご」
 あほなこといいそうなメーの鼻のあたりを叩いて黙らせ、先を待つ。
 けれど、返ってくる言葉は要領を得ない。同じことを、繰り返す。
「馬鹿っていわれた…」
 馬鹿って。馬鹿って…。とくりかえす姿は、確かにこの上なくばかっぽい。今更馬鹿と言われたくらいで落ち込むものだろうか。
「…何度も言われているでしょう、そんなこと」
 だから、思わずそう言ってしまった。
 ふ、とベムが笑う。背負っているどんよりとしたなにかが重さを増した気がした。
「…最近少し優しくなってたからもしかしたら少しは思いが通じたのかと思ったら馬鹿と言われた。なんか久々に本気で拒絶されてるっぽく馬鹿って言われた。いやもう本当すごく冷たい目で馬鹿って言われた…馬鹿って、言われた…」
 ………怖い。
 まじ怖い。本当に怖い。とり殺されそう。
「じゃ、お前に馬鹿って言ったから緋那落ち込んでるのかぁ?」
 大袈裟に鼻の辺りをさすりながら、メー。
 あっけらかんとした言葉に、ベムは今度は笑わなかった。
「落ち込んでいるの」
「落ち込んでる、つーか、なにか気にしてるだろ、あれ…」
「…別に。僕のことじゃ、ないかも」
「……いやそうかもだけど。だとしても、この塔を見たら多分気にするんじゃないか…?」
 どよどよと背負うなにかの暗さを強くして問いかけるベムに、メーは若干ひきつつ答えた。
「…僕は、気にしてほしくて作ったんじゃないよ」
「じゃあなんだよ、これ…」
「さあ? 気晴らしだったんだけど。ちょっとなに作ってるか分かってなかったから」
「それはそれでこわいですよ、ベム…」
 なんかぼけたことというより、大丈夫かと心配になるようなことを言われて、やっと我に返る。変な塔の毒気から抜ける。
「いいですか」
 強い語調でそう呼びかける。主に自分を鼓舞するために、そうした。
「なんかわけわからないけど、君は馬鹿と言われてショックだ。ここまではいいですね」
「そうだね」
「で、どうするんですか」
「どう、って」
 困ったことがあって、その後どうするか。
 当たり前のことを聞いたはずなのに、ベムは驚いたような顔をした。
 言いたくないのではなく、そこまで考えていなかったとすぐわかるくらい、驚いた顔。
 …まぬけ面だ。
「…賢くなれば、とか、いいませんよね?」
「……言わない」
 そんな意味じゃないことはもう分かっているよ、と。
 淡々とした声はいつも通りだけれど、いつもよりずっと精細がない。背中すすけてすけそうな勢いだ。龍は本来精神に依存する生き物なのだ、存外笑い話にもできない危惧だろう。…こいつの場合、特に。
「……でも、なんだろうね。ちょっとよっていっただけで今更馬鹿って」
 緋那さんの言葉一つで余裕で死にそうなベムなら、ありえる。
 こちらは真剣に心配しているけれど、どうにも本人はそれに気づいちゃいないようだった。どんよりとした暗さが薄くなった代わりに、存在感も薄くなってると言うか。…消えそうというか。
「おとなしくなればいいの? それとも、なんか、見逃した? …傷、つけた?」
 ……良かった。
 とりあえず、思ったよりはずっとまともだ。
 そこまで考えられているなら、とりあえずいつも通りのベムだ。
 …あれを作られた時は心の大事な何かがぴーんとどっかにいっちゃったんじゃないかと心配だったけど、いつも通りだ。
 溜息が出る。安堵と、少しだけ呆れで。
「……僕に聞いてどうするんですか。馬鹿野郎が」
「…………ああ…………」
 間の抜けた、気の抜けたような声は、たっぷりと間を置いて吐き出された。
 どことなくよれっとしていた背を伸ばして、ベムが呟く。
「…そういえば、そう、だね」
 かみしめるようなその声は、いつも通りというにはまだ危かったけれど。
 とりあえずあのぐらんぐらんの塔よりはずっとしっかりしていたので、僕はそうですよ、と返しておいた。
 …まあ、友人としては、そのまま送りだしてやりたい気持ちは山々なのだけれども。
「緋那さん探す前にこの塔始末していってくださいね」
「俺達はてつだわねーからな?」
「…そう。残念」
 嫌だよ、こんな見ているだけで不安になるものにこれ以上関わるの。
 たぶん、僕とメーの心はこの時ばかりは通じ合っていたような気がする。

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