新月は体調が悪い。
 しかたないじゃないか。光龍だから。
 誰にとも無くいいわけして、ごろりとベッドで寝返りをうつ。
 ちょっとした動作がいちいち億劫だ。気持ち悪い。食慾もない。やる気もない。
「あー…」
 漏れだした声もそんな感じで、我ながらだらけている。
 気持ちが悪い。
 体の中でなにかが暴れている気がする。逆に、どっかにいってしまっている気がする。
 ともかく気持ちが悪いんだ、ともかく。
 だから、重くなる瞼をもちあげておくのが億劫で、ゆっくりと落とす。
 真黒に染まった視界に、意識が落ちていった。

落ちる露

 月のとどかぬ夜。
 つまりは新月。
 幻想の生き物は勿論、人だって影響を受けている日。光竜や闇竜の影響は、他の竜より深刻らしい。人である身には、よくわからない感覚だ。この辺りは、人がいっぱいいるから月がなくとも明るいし。
 けどまあ、うちには光龍がひとりいるわけで。
 そのひとりは、どちらかというとテンションが低くなる方だ。テンションが低い、というか。妙にぼーっとして、動作が鈍い。
 節電モードなんじゃない? とは今隣で鶏肉に衣をまぶしてる磨智の弁である。
「…だってメー君はあんなんでも光龍だからね。
 天候の影響、もうこれ以上無く受けるよ」
 あんなんってなんだろう。と思うけど。なんとなくわかる気がして思わず笑う。しかし。
「ずっと、思ってたけど。メー君は太陽光細工みたいなヤツだね」
「うんまあ……光龍だもんね」
 搭載されてるね。ソーラーパネル。同じく笑いながらいう彼女は、新月でも別にたいして変化はない。同じ龍なのに。と言ってみたけれど。『大地の恩恵だよね』らしい。
 龍にも色々あるよねえ、本当に。
 その感覚が知識でしかわからないことは、実はほんの少し寂しい。本気で寂しいなら人間じゃないものに転職できる町にいるのだから、すればいいって話なのかもしれないけれども。今の関係も好きなんだろう、たぶん。
 熱くした油に、衣を落としてみる。
 じゅわじゅわといい感じなのを確かめて、お肉をつっこむ。今日は唐揚げだ。安い胸肉でも美味しい、優秀な唐揚げ。皆のアイドルだ。
「どうせ食べれないだろうけど、とっておいてはあげようか」
 皆のアイドルで、ついでに彼もわりと大好きな一品だ。
「そうだねえ、から揚げはあつあつが一番おいしいんだけどね」
「回復した頃冷めてたら、甘酢あんかけにでもアレンジしてあげるよ」
「よい奥さんだね」
「えへん。」
 わざとらしい声と共に、磨智は胸を張る。
 なんというか、こう。そういう細かなところにめろんめろんなんだろーなー。あの節電モードは。
 生温かい気持ちになりつつ、浮きあがって来た唐揚げを掬う。うむ。良い色です。ちょっと焦げた感じだけど。ま、まあいいか。
 なんてやっているうちに、玄関の方から響く声が一つ。足音は、二つ。
「ただいま」
 リビングに入って来た緋那は、なにか膨らんだ買い物袋を提げていた。
 後ろにお約束のようにいるベム君が何も言わぬうちに、彼女はぐるりと部屋を見渡し、
「メーもやっぱりへばってるんだな」
「新月だからねえ」
「今日は客足も悪かった」
「やっぱり、それも新月ですもの」
 しみじみと呟く緋那に、磨智が返す。
 確かに、緋那が家を出ていく時に持っていた大鍋は、露店を出している間に中身を売ることはできなかったらしく、少し残ったまま帰ってきている。いつもより売れ残りが多い。
 だからまあ、まあ、そういうものなのだろう。人外の住人が珍しくない町だから。
 そういうことで、人ではないのもいるし、竜もたくさんいるし。
 みんななにかしら出不精になっていたりするのかもしれない。いや、知らないけど。
「ああ。だからあいつのことも心配になってな。
 ほらこれ、ジュース」
「あ、おいしそう」
「口辺りがいいものは食えるだろう」
「後でもってきなよ、さっき見たら寝てたけど」
「そうか。…磨智」
 手を洗っていた彼女をそう呼んで、緋那はオレンジ色の液体で満たされた瓶を手渡す。柑橘系っぽい爽やかな香りがする。
「自分で持っていかないの?」
「もっていきたくないのか?」
「…まあ、持っていきたいけど。
 なんかそういうふうに言われると照れるね」
「そうか」
 なにやらほのぼのしいやり取りをする声を聞きながら、唐揚げを全部皿にあける。
 本日の夕餉はこれに人参のいためもの。あと拾いもののパン。余ったと言うのなら、緋那お手製のキノコのコンソメスープ。
 少し冷めてしまったそれを温め直しながら、ちらりと上を見て、寝ているであろう幸せ者の反応を思ったりしてみたりもした。



 気持ちが悪い。
 今見た夢が、ひたすらに気持ち悪い。
 額に汗がにじんだのが分かるけど、拭う気もおきない。ただ、ぼうっと天井を見つめる。
 見慣れた屋根が、ひたすら遠く見える。けれど、白くはないから。白くはないから、なんとなく安心した。
 白かった。
 肉体を得る前の世界は、龍屋にすらたどり着いていなかった時、世界は、ひたすらに白しかなかった。物が見えないわけではない。ただ、最初は、色もあったのかもしれないけれど。気付いたら、なにもかもが白く褪せていた。
 最初に。本当の意味で最初に見た色は、もう忘れた。
 記憶の、いや。俺の中では、最初に得た色は、人工の蒼と、生来の薄い緑。
 それから、次々に増えて言って。
 とても大切な色を、みつけて。
 今、とても幸せ、なのに。

 ―――夢を見た。
 白い世界に取り残される夢を見た。
 
 …あんまり、力をふるう機会には、恵まれていないけど。
 俺はこれ以上なく『精神世界』に傾いている生き物だと、久々に思い出す。思い知る。
 心のありようで身体までいじれていたのだから、当たり前なのに。
 久々に実感した事実に、ぼんやりと思う。
 月なんてなくとも良い。気持ちが悪くとも夢見が悪くとも、どうでもいい。
 けど、あの夢が現実になったら……

 ふらり、と寝台を降りて、歩き出す。
 剥きだしの床に、ぽつりと一つ汗でも落ちたような音がした。


 皆で手を合わせて夕食をとっていると、リビングのドアが開いた。
 ご飯は外(という名の小町さんの傍)で食べてくると言っていた風矢が、帰って来たのかしらなんて思ったのだけど、そこにいるのは、銀髪の龍。やけに顔色の悪いメー。
「起きれたの?」
 尋ねれば、コクリと頷かれる。
 起きるは起きれるが、本調子ではないらしい。今回は随分と重症のようだ。
「…ご飯、食べれる?」
 問いを続ければ、隣に座っていた磨智は席を立って、彼の分の汁物用の器を出し始める。少しでも食べておけというアレなのかもしれない。
 そんな彼女に、メーは無言でてくてくと歩みよる。
 妙に虚ろな眼差しで、広くもない部屋を歩いて、そうして。
「…磨智」
 小さく、彼女の名前を呼んで。
「え、なに?」
 振り向いた彼女に、手を伸ばして。
「……磨智」
 がばりと抱きついた。
「………」
「………」
「緋那、そこのパン取ってほしい」
「え、あ……ああ。ああ。バターはいるか?」
「スープで食べるから。平気」
 なんとなく言葉を失う私と、ぱくぱくと口を開け閉めする磨智。
 平常心というよりは、固まった緋那を気遣ったっぽいベムと、反射のようにパンを差し出す緋那。
 四者四様な反応にも、彼は構わない。
 ぎゅーっと抱きついて、細い肩に額を押し付けて。  ともかくぎゅーっとしているその姿は、なんといえばいいのか。
 ―――あ、ありのまま今おこったことを話すぜ! なにいってんのかわからねーだろーが……なんて思い浮かんでくるほど、らしくない。
「…メ、メー君…?」
 抱きつかれている彼女も動揺っぷリは同じらしく、なんだかぷるぷるしている。顔なんて林檎さんのようです。
「………お前が」
 抱きしめて、顔を上げないまま、メーが言う。
「いなくなる夢見た…………」
 掠れた声は聞きづらい。なのに聞こえてしまったのは、妙な沈黙がリビングに広がっている所為だ。
 体調が悪いと夢見も悪いとでもいうのだろうか。一体何を見たとでも言いたげな反応…って、見たのは悪夢なのか。
 それが怖くてこうなった。と。
 それが怖いとこうなる、と………
「メー君…」
 困ったような、照れたような。どこかぎくしゃくした声は、抱き疲れた磨智から。
 うん、と答える彼の声は、それはもう安心したかのような色合いが強い、柔らかいもの。
 …ああ、こういうのは、柔らかい、とは、言わないか。
 その正しい表現を思い出した私は、キノコのスープにスプーンを伸ばす。少し煮詰まって塩気は強いけど、くにっとした触感と豊かなキノコの香りがぐっと。さすが緋那。こんな美味しいものを冷めないうちに食べないわけにはいかない。うん。
「…あの。いい、の?」
 柔らかいと言うよりは甘いその声色に、とことん戸惑ったような問いかけにも、彼はうんと呟く。
 …まだ寝ぼけているんだろうか。
「………いや、君がいいなら、私はいいけどね……?」
 なんだか似たようなこと思ってそうな口調で、磨智はぽんぽんと彼の背中をたたく。
 ぽんぽんと、あやすように。数度それを繰り返してから、彼女は軽く息をつく。
「もう一回、聞くよ。メー君。
 身内だけとはいえ、公衆の面前でがばっと抱きついたりして、平気? 私は良いけど、この状態で鼻血吹かれたら嫌」
「……」
 じっくりとかみしめるように言われ、メーはびくんと身体を震わせた。
 そうして、顔をあげて。ゆっくりと周りを見回して。
 びしりと音を立てて固まって、口を開け閉めして。
 倒れた。
「…予想された反応だね」
「予想できるのはどうかと思うが」
「メーらしくていいんじゃないの。どうでも」
 呆れたように、感心したように、刺があるように。
 滲んだ感情は異なれど、私達の心はわりと一つだ。
 この無自覚にべた甘いヘタレにマトモに付き合ってるのは、疲れるなあ。
 その疲れを楽しさに変えられるのなんて、愛情がなきゃ無理だ。私は彼を愛していると言えば愛しているのだろうが、種類があまりに違う。つくづく、無理だ。
「……メーくーん!? なんで君の寝た床がじゅーじゅーいってんのー!? どんだけ照れ…あっつ! あっつ!」
 なにやら声を上げる磨智に構わず、私達はフォークを進める。
「ああもうだから聞いたのに!」
 薄情と言うなかれ。だってあまりにあんまりだし。
 なにより、唐揚げはあつあつが一番おいしいのである。うん。

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