諦めましょう、認めましょう。
諦めることを諦めて。悲しいのだと認めましょう。
心行く先
「―――と、いうことなんだ」
そう言って話を締め、大きく息をつく緋那。
ベムはじっと考え込むような顔をして、すくっと立ち上がった。
「もうすぐ、磨智は帰ってくるね」
「ん…ああ、そうだな」
緋那は唐突に話題を変えられ面喰ったような顔をする。
「いや、かなたのことだからどっかで死んでるかもしれない。蘇生に連れていくとしても…あと1時間あるかないか、か」
今、126番地に磨智はいない。
昼食を終え、主人の探索兼近所巡りに付き合っているからだ。そうでなければ、こんな話はできない。
当然―――
「僕がこの間貴女にあげた小箱。色々試行錯誤して作ったから。もう木、残ってない。ここにベンチを作るならもっと買い足さなきゃ」
当然、まだ話を続ける気なら、場所を変えた方がいい。
「…わかった。買い物ついでに付き合おう。
待ってろ、これ片付けるから」
お盆を片手に立ち上がる緋那を無言で見送って、ベムは小さく息をつく。
「…勿体ない」
小さな呟きは、まだ明るい空に吸い込まれ消える。
せっかく彼女を誘えたのに、心から楽しむことはできない。勿体ないにも程がある。
落胆しながら、ベムは庭の木を見つめる。
この楓の木を眺められるようにベンチを作ろう。出来上がる頃には、あの地龍が無事に笑っていればいい。紅葉にはまだまだ早いが、それは大した問題ではないに違いない。きっと緋那が隣に座って欲しいのは、彼女なのだろうから。
もう一度軽く息をついて、財布を取りに部屋に戻る。主人が軍資金をいれてくれたから、足りないということはないはずだ。
いつか、自分も隣に座れたらいい。
願う心を一時的に仕舞いこみ、緋那に訊ねるべきことを考える。
それは訊いてはいけないのだと思っていたこと。けれど、ずっと気にはなっていたことなのかもしれなかった。
「磨智はメーが好きなの?」
夕飯のための食材を買い、木材を買い込み、広場の一角の、少し目立たない位置のベンチに座って。
傍目にはベンチのモデルにでもしようとしているとでも思いそうな光景を作って話を始めたベムの第一声がそれだった。
真っ直ぐに、直球。彼に婉曲や変化球など似合わないが、こういう時はやはり言葉に詰まる。
けれど、今回に限って言えば、答えるのは難しくない。
「あいつに直接訊けば…『大好き』か『大っ嫌い』だろうな。
冗談交じりに、メーの前で思いっきりそう言うだろうさ」
苦笑した緋那に、ベムはさらに問いを重ねる。
「…誰かが二人きりで訊いたら?」
「少し悩んで、『どうでもいいよあんなの』…だ」
「…訊いたの?」
「これもお前が来る前の話だがな」
遠いところを見つめるような顔をする想い人を気遣いたい台詞を口にしたい衝動をぐっとこらえ、ベムは考える。
ここで『愛してる』だの『貴女がそんな顔する必要はない』なんて言ってみたとする。
真面目に話すつもりはないのか、と落胆されるに決まってる。冷たい表情までリアルに想像できる自分に彼は少しだけへこんだ。
けれど。
「それ、本音なのかな…」
ぽつり、と漏れた言葉は予想以上に憂いを含んで聞こえた。
―――仕方ないかもしれない。
磨智には最近妙にからまれ、邪険に扱われ、たまに敵意を向けられてはいる。先日、ベムが家出をし、緋那と帰ってきてからずっとだ。
最初は突き飛ばしたことを根に持っているのかと素直に謝ったが、なにも変わらなかった。妙な敵意は強まりこそすれ、止まる気配を見せない。
とはいえ、無視されるわけでも喧嘩を売られるわけでも嫌がらせをしてくるわけでもない。
ただ、彼女が緋那にこれまでにも増してべったりと仲良くなった。しかもそれを彼に見せつけているとしか思えない言動をするようになっただけだ。緋那さえいないところでは、今までと変わりない関係を築いている。
ベムの生活と人生観の大半は緋那で占められているので、その割合が少ないことも確かだが。
それでも、彼女の行動は一種の対抗意識から来るのだろうと結論付け、正面から受け止めることにした。たまに主人に八つ当たりしてたりするが、それは手近に彼女がいるときだけだ。
ということで、最近彼と彼女は一見仲が悪い。風矢にはすっかり犬猿ですねなどと呆れられてしまった。
それでも、心配なのは仕方ない。
ベムは別に彼女を嫌っているわけでない。目の前で泣きわめかれようものなら慰めるし、どれだけ邪魔をされても目ざわりだとまでは言ったことがないのだから。
召喚石内の龍を家族と呼ぶ緋那の価値観にすっかり影響されてしまっている自分を自覚し、なんとなく感慨深い想いに囚われる彼を我に返らせたのは、苦々しげな呟き。
「本音…かどうかは別として、嘘はついていないと思う。…好きと言うのは、違うのかもしれない。いや…あいつにとって違くなければいけないんだろう。
磨智は…リュコスだから」
「…なるほど」
磨智はリュコスで、メーはメイベルドーだから。
だから、好きとか嫌いとか考える前に、想像してしまう。意識することになる。
「…リュコスとメイベルドー。交配すればリュコルド。まあ、レアだよ。初心者にもお勧めの組み合わせってやつだな」
優れた子を残すのも龍とマスターの契約の一種だと言えば、それまで。龍の方にしても、強い子を求める本能は当たり前に持っている。
恋をして、愛をはぐくみ、その結果として子を成す。
それはきっと幸せなのだろう。だが、高望だと笑われてしまえばそれまでだ。
「…確か、僕以外は皆龍屋の出だったね。
種族で選んだと考えるのが妥当だ」
「ああ…だから、メーは一時期荒れたな。…磨智が来た頃」
龍の交配は命を失う行為。けれど、それが自身の自由にならないことを覚悟するのもまた、契約龍として必要なこと。
ましてや、メイベルドー。公然と知られる希少種の『種』となりうる彼は、当然覚悟しておくべきだった。
けれど。メーはそれに抗った。どれだけ文句を言っても最後には主人に忠実だった彼は、あの日無言で主人の前から姿を消した。
緋那は知っている。彼がどれだけ傷ついて塞ぎこんだのか。たった数日とはいえ、どれだけ苦しんだか。
その彼を見て、落ち込んで言葉さえ失った主人の姿も覚えている。
それでも、あの二人は良いのだ。その後、元に戻ったのだから。一体どんなやり取りがあったのかは知らない。けれど、当たり前のように以前の関係に戻っていた。
消せないなにかを背負ったのは、磨智の方だ。
緋那が、悲しげに部屋の隅に座る地龍の笑顔を初めて見たのは、自分が手を差し伸べた時。
あれから時は過ぎて、彼女はよく笑うようになった。本当に、よく笑うようになった。
けれど、あの時のことを忘れたわけではない。
緋那に彼女の気持ちは分からない。だが、それだけは言いきることができた。
「…けど、マスターがそんな理由でメーを捨てれるようには見えない」
「私もそう思っていた。だから驚いたよ」
彼女がメーのことを大切にしているのは、少し見ているだけで分かる。
かなたとメーは彼女がここに住み始めてすぐに出逢った。腐ったグベバの実に二人で仲良くあたって寝込んだ、そんな、苦楽を共にした仲という奴だ。
そうでなくとも、古参の龍と主人の関係が他のそれとは一線を画すことは珍しくはない。
「マスターはきっと代わりにと100のリュコルド連れてこられてもメーを選ぶ。1000のリュコドルアーガつれてこられようが、迷わない」
「そんなに連れてこられたら途方にくれると思うけどな。あいつ、経済力もないし」
「……例え話だよ」
「そうか。…分かってるんだが、想像したら暑苦しくて、つい」
確かに100も1000も龍が自宅に来たらまず困る。人口密度が高くて想像するだけで気持ち悪い。
かなたなら、うろたえた挙句頭抱えて泣き出しそうではある。
その様を想像すると、少しだけ笑えた。
微かな微かな笑みは、すぐに渋面の中に沈む。
「…メイベルドーじゃなきゃ、こんなにこじれることなかったかな?」
「…かなたはその辺甘く見てるけどな。種族は大きいよ。私はそう思ってる」
「ああ…甘く見てるか。分かる」
「風矢…アヌを連れてきた時はまた同じ轍を踏む気なのかと思ったが。
あれは、お前の負担を減らすためだったからまだいい…」
あの頃、前線に出ていたのはベムだ。
彼以外には、マトモに勝利を狙って戦える龍はいなかった。
これで龍王でもとってしまったら負担が大きすぎる、と急遽探してきたレベル9、それが風矢だ。
「『あと扇風機になるかなと思って』…だから。あれはひどい一言だったね」
「…あれにメーが大爆笑したから仲が悪くなったんだろうな」
「初めて会った時に眼つけられたって言ってたよ?」
顔を見合わせ首をかしげた2人は、本題からずれていることに気づき、どちらとからということもなく声音を真剣なものに改めた。
「…マスターが『そんなつもりで君を連れてきたんじゃない』って言って、信じるかな」
「…信じはするだろう。かなたはそれだけのことを態度で示している。まったく交配させる気配がない。
けど、それで磨智は変わるか?」
「…『今さらそんなこと言われても、なにになるのさ』…かな」
「ああ」
頷く緋那。
ふいと空を見上げるベム。彼は朱の瞳を細め、うんざりしたような顔をつくり、結局、と唇をゆがめた。
「メーが磨智をどう思ってるか、だよね。
分からなきゃ励ますことも慰めることもできない。…磨智自身もひっかてるんだろうね、そこ」
「嫌ってはいないだろうけどな」
「はっきりしないから辛くなる。嫌いじゃないと好きはイコールじゃない」
言いきってふと気づく。
傍らの緋那すら一瞬だけ意識から抜け落ちるほど、胸を満たす苦い想いに。
「…ああ、そうか。そうか、同じか…」
「…ベム?」
訝しげに名を呼ばれるまで、彼は呟いたことにさえ気付かない。
「…なんでもない」
我に返り、小さく首を振った。
なんでもなくなんてない。
誰にでも等しく優しい者は、きっと誰も愛していない。
誰とでも仲良くなれる者は、きっと誰かのために心を乱すことなどない。
誰もが好きだと語れる者は、きっと誰も愛していない。
仲間として優しいのでしょう。それ以上にはなれないのですか。
僕の想いを、肯定することも否定することもないなら、『いつか』を期待してもいいのですか。
それともすべて無駄なのですか。
「どうでもいいよ、あんなの、か…」
自らの唇で紡ぐと、その言葉はひどく悲しく響いた。
どれだけ想いを注いでも、肯定も否定もされない。曖昧な答えしか返りはしない。
ベムはそれでも『いつか』に賭けた。諦めきれずに愛を囁き続けた。
磨智は疲れて『いつか』を捨てた。諦めて、じゃれあう関係を選んだ。
ああ、そうだね。磨智。
きっと諦めたら楽になれたね。
本当に、諦められたなら。
君は苦しまずにすんだんだろう?
「……………」
彼と彼女の選んだ道、どちらが正しく、どちらが幸せなのかなど誰にも分らない。
けれど、彼には少しだけ分かる気がした。
磨智が諦めてからずっとなにを頼りにしてきたのか、少しだけ分かる気がした。
本当に欲しいものが手に入らないのならせめて心慰みに違うものを求めてもいいでしょう?
代償行為が空しいなんて誰にも言わせない。自分を騙せれば言われようがない。
私は君なんていらないの。君がいなくても他にいるんだから。それでいいんだから。
「緋那」
嫌にリアルな幻の声を振り切って、呼びかける。伏せていた顔を上げる。
「なんだ?」
彼女は、なんだか心配そうな顔でベムを見ていた。
いきなりふさぎこんだらしい彼を、心底心配していた。
―――好きなんだよなあ。
彼は心から彼女が好きだ。だから今、頼ってくれたことが嬉しい。たとえ磨智のためでも、本当に嬉しい。
―――ここで満足できるところが、君と僕の決定的な違いだね。
彼と彼女は少しだけ似ている。けれど、同一などでない。
だから、容赦なく彼女を斬ることにする。そうすることが彼の想い人から憂いを取り除く手段だと信じるから。
「少し離れればいい」
「はあ?」
「…僕は家から風矢とマスターを連れ出すから。貴女は誰か…誰かと出かけて。できるだけ長く」
「待て、話が見えない」
淡々と勝手なことを言い始める彼を緋那は制止する。
ベムは、慌てたような顔をする彼女を真っ直ぐに見詰めた。
「磨智が磨智であれたのはきっとあなたのお陰」
告げたのはきっと間違ってはいない推測。
主人は『リュコス』だから自分を選び愛しているかもしれない。光龍はいつか『リュコス』である自分を最初のように疎ましく思うかもしれない。
けれど目の前で訝しげな顔をさらす炎龍はそんなことはしないと信じた。『磨智』を愛すると信じた。
「そんな貴女が離れていくと感じたら、きっと彼女は傷つく。今それをやればきついはずだ。
傷ついた磨智の傍には貴女がいた。いなければ彼女はひとり落ち込むだろうか。
…風矢やかなたがすぐ傍にいるなら、そこに行くだろう。けど、メーしかいなかったら。向き合うしかない。
その前に僕ら以外を求めるんだと思うけど、きっとそこまでいったらメーの方が放っておけなくなる」
「…あいつが傷つくと分かって、私に無視をしろというのか」
この上なく悲しげな顔にベムは一瞬口を噤む。
それでも、言わなければと決めた言葉を紡ぐ。
「一方的に気持ち募らせるのは辛い。例えどんな感情でも。
腹を割って話合うのは必要。例えどれだけ傷ついても。
―――貴女が僕に教えてくれたことだよ」
これを言って嫌われるなら、仕方ないかと思う。
諦められるかは分からないけど、仕方ないと思った。
「…ともかく距離を置けということか」
静かな覚悟を知らぬまま、緋那はぽつりと呟いた。
「確かに、近すぎたのは私も同じ…か」
寂しげに笑って、じっと眼を閉じた。
一拍あとに現れた赤い瞳は、強い意志が宿っている。
「私だけ悪役は嫌だ。お前も最後まで付き合え」
「…いいの?」
「突然他の奴と出かけるより、自然だろう」
「そうだけど。
……僕が貴女と二人きりになりたさでこんな案を出したと思わないの?」
「………私はお前の恋心とやらを信用していなかった」
不安げな顔をするベムに、緋那は軽く鼻を鳴らした。
「けど、今、磨智を心配してるかどうかくらいは分かる。
下心で言ってるならぶっとばしてるぞ」
「……そう」
鼻先に脅すように拳を突き付ける緋那。
ベムは彼女の冷たく細められた双眸を見、そして口元を綻ばせた。
嬉しげなその表情を気にすることなく彼女は続ける。
「なるべく長い旅行がいいな。
1週間くらい家を明ければ、確実にメーと2人きりになる時もあるだろう」
「………え?」
あっさりとなんてこともないように告げられた一言に、ベムの顔は凍りつく。
「なに不思議そうな顔をしてるんだ。出かけるのだろう?」
「そう、だけど。その、泊るの?」
全身をひどく強張らせ、舌を縺れさせて、必至で問いかけるベム。
問いかけの形をとってはいるが、否定することを前提に―――いや、心から願うような表情だった。
「…たった1日ぽっち離れたくらいで磨智がそこまで弱ると思うのか? それなりに時間はいるだろう。
大体昨日の今日で家を空けたのでは『今日なにかありました』と白状するに等しい。それなりに準備期間を設けるのが良い」
対して、どこまでも当たり前のことを言う口調で緋那。
なぜそこまで動揺するんだとでも言いたげな、自然体の言葉だった。
「いやいやいやいやいや、緋那。緋那緋那緋那。いや、緋那、落ち着こう。緋那」
「…今のお前に言われたくない」
そっちこそ落ち着け、冷たくそう言いきる緋那の顔は、本当にいつも通りだ。
いつも通り、なのだけど…
ベムとしては色々思うことがあるわけで。
「泊るの? 僕と? 2人きりで?」
「…まさか同じ部屋を希望したりしないだろうな」
「できない」
即答するベム。
そんな一生分の幸福を前借で使い切ってなおかつ借金みたいなマネはできない。
浮かんだその言葉に己の一生分の幸福の軽さを感じ、じわりと視界が歪んだ。
けれど、今それどころではない。ここで泣いたら、余計なことを口走りそうだ。
「……その……いいの?」
「…あのな、ベム。お前、うろたえすぎだ。
一緒に旅行。つまりお前と色んなところを見る。それは、今やってることと大差ないだろう」
色々大変なことになっている彼にとって『一緒に旅行』が自分とは違う意味を持つものだとようやく気付いた緋那は、口調を改め、諭すように言った。
「…確かに、一緒に出かけたりはするけど」
買い出しとか荷物持ちとか勝手についてきたとかそういうことばかりで、遊楽目的なんて初めてだ。
そんな過去を思い出して顔を曇らせるベム。だが、緋那は我が意を得たりとばかりに頷いて続ける。
「お前と同じ宿で泊まる。だが部屋は別だ。
これも―――いつもとなにが違う?」
なにも変わらないじゃないか、きっぱりと言われて、ベムは鼻の奥がツンとした。
「確かに、元から、一つ屋根の下ではあるけどね…」
それでも旅行って、こう、違うんだけどな。
力なく呟いた彼の目の端にキラリとなにかが輝く。
どこまでも真顔で『いつもと変わらなさ』を主張する彼女は首を傾げた。
それは、心の奥底から不思議そうな仕草だった。
2人きりで過ごしたりしたら、色々期待してしまうではないか。
そんな彼の心が通じることは、まだまだ遠いことらしい。