色々とあったようだけど、ベムは帰ってきた。
一言「ごめん」と謝るベムに、それぞれの反応で怒りをぶつけた後―――
日常が戻ってきた。
…きっと色々変わっているのだけれども…日常は戻ってきた。
しずくの跡
そして、夜が来て。
私の部屋を訪れたベムはぺこりと頭を下げた。
「迷惑かけてごめん」
「うん、心臓に悪かった。疲れたよ」
ベッドに腰掛けながら正直に答えると、ベムはもう一度「ごめん」と繰り返した。
その間、彼は扉の脇に立ったままだ。
「…入ってこないの? なんか、そこにじっと立っていられると締め出してるみたいで気がひけるんだけど」
「…マスター。異性をむやみに部屋に入れるのはどうかと思うよ」
「ああ…そうか、そうだね…君達に異性認識されてるとは思わなかった…」
真面目な顔で忠告する彼がおかしくてくっくっと笑う。
「…僕はいれてもなにもしないけど」
「メー君や風矢君もしないと思うんだけどなぁ…」
あー…想像しづらい。いや、無理。笑えてしょうがない。
だから、彼らはやっぱり家族だ。
誰が兄とか弟とか妹とか姉とか訊かれても困るけど、家族だ。
「……かもしれないけど。一般常識って知ってる?」
「んー…そこまで馬鹿にされるのは心外だなぁ…
そもそも異性の友達がいない、や、今はいるけど、恋人もいないし…部屋に招いたことなんてないよ」
「マスターの品性が疑われるのは嫌。だからそういうこと言わないで欲しい」
「なら、気をつけるよ。…じゃ、部屋に帰ったら?」
「まだ話がある。だからこのまま聞いて」
「…そ」
私はどうぞ、と笑って促す。
「かなた」
まず、改まったように名前を呼ばれて、
「あの契約、なしにする。」
静かに告げられた言葉に少なからず驚く。そしてそれ以上に嬉しい。
それは、きっと、
「…緋那にふらてても…最悪先立たれても、引導なんて渡さなくてもいいの?」
「うん」
「…嬉しいよ。肩の荷が下りたようだわ」
「自虐に走っても虚しかったし…心配されることが分かったから。そういうのは無し」
ぽつぽつと朴訥かつ饒舌に語る彼の顔は清々しく、心からの呟きがもれた。
「…それは…本当…肩の荷が落ちたな…」
ああ、これが雨降って地固まるって奴なんだなぁ…としみじみと感動してしまう。
「それに」
ベムはなおも続ける。
廊下の壁に背を預けながら、とても穏やかな調子で。
「まずは自分を大事に―――愛することにしたよ。緋那に愛してもらえような、僕になりたいから」
その言葉が耳に入った瞬間、自分の目が大きく開いていくのが分かった。
それは、私は諦めてしまったことだ。
自信がないから諦めてしまったことだ。
自分すら好きになれない自分がどうして他人に愛される?
そうやって斜に構えて、放棄してしまったことだ。
そんな私はこれから、変われるか分からないけど……
今、魂の一部をもって契約した彼が、そんな結論に至ったことが喜ばしくて誇らしい。
否、私にとっては、その結論を聞けただけで十分だ。
ああ、本当に、十分だ。
「…君は…今でも十分素敵。私の自慢の五分の一だよ、ベム君」
「ありがと」
どうなるかは分からない。どうすれば幸せなのかということも曖昧で、彼女が彼を受け入れるかなんて、分からないけれど。
ただ今は二人、幸いを祈った。
―――そして、夜が明けて。それを二、三繰り返したある朝。
「緋那」
「…なんだ」
主の留守中に掃除を終わらせようと箒片手の緋那は、背後から名前を呼ばれた。
振り向いた視線の先のベムはにこりと笑って、黒い筒状のものを大きく振りかぶる。
すると、その先端に桃色の花が咲き零れる。
ひらひらと花びらが舞う様は、日の光に映えて美しく、愛らしい。
「あげる。採りたてだよ」
突然差し出された色とりどりの花に、緋那は瞳を大きく見開く。
「お前……」
小さく呟きながら、その左手で手品で現れた花束を受け取る緋那。
そして、箒をもった右手を、軽く振り下ろす。
「痛い。なんでたたくの」
「なんで? こっち台詞だ。
人がせっかく掃除したというのに散らかすなっ」
「…う…」
箒が直撃した頭を抑えつつうめくベム。
緋那はそんな様をちらりと一瞥してから、彼から視線をはずし、
「…けど、折角だから飾るよ。花瓶…今ちょうどいいのがないから、…コップになるけど」
「……なら、今度は陶芸を覚える。そして花瓶を贈るよ」
「…お前、どこまで行くんだ」
新たな決意を固めるベムに、困ったような顔をする緋那。
「いけるとこまで」
彼は淡々と当然のようにそう答えて、無言で笑った。
「……あれだけ見てると、もうくっついちゃったみたいだねぇ……」
退屈ーと呟き、二匹から少し離れた食卓で頬杖をつく磨智。
「それ、緋那に言うなよ。殺される」
「先日、他でもない貴方がそう言ったのに、死んでないじゃないですか」
「人の冗談にいちいちつっこむな。細けぇ奴だな」
向かい合っていつものようにくだらない言い争いをするメーと風矢。
そんな二匹を見ることもなく、磨智はひそかにため息をつく。
「………ベム君の馬鹿」
小さな小さな呟きは、空気を震わせ誰に届くこともなく消える。
すねた様な言葉を紡いだその唇もまた小さく震えていることも、彼女だけが知ることだった。