手の平に、感触が残る。
救えなかった人の赤い色の熱。
私が斬ったものの、感触だけが。
どうしたらよかった? どうしたら救えた?
今もわからないまま、私はあの日を思い出す。
がたがたと震えはじめる無様な手に、終わらせる手段だけが残った、あの日のこと。
あの日のことが―――残ってる。
繰り言だけが響いてる
ある人を救えなかったあの日から、私は一時期例の探偵社を辞めた。やめたというか、休暇をとったというか。バイトだからしばらく休んでいるだけだというか。
しばらく別の町で暮らしてみた。
そこでもおかしなことに巻き込まれて、でも生きて帰ることができて。なんか、助けた子としばらく暮らしたりもした。
その子と暮らす日々は、幸せだったと思う。
違う、幸せだった。そう認めるのが、なんとなしに後ろめたかっただけ。
恩を返す、と言ってくれたあの子。
でも彼女には、私より一緒に暮らすべき人がいるだろう。というか刀教えてくださいとか言われてしまったし。そんなこと教えたくないし。そんなことを教わりたいのなら、一緒にはいられない。
……恩など、返してくれなくてよい。
『あなたは生きていてくれた。それだけで、いいんです。これからも、元気にまっとうにしてくれれば。それだけでいいの』
別れ際にあの子へと告げた言葉を思い出す。握りしめた手を思い出す。
あの子と暮らした数か月、私はその熱を感じる度に泣きたくなっていた。
そうして結局、例の探偵社に戻ってきた。
数か月たっても同僚は元気だったし、所長は所長だった。ツタヤの連帯料金を恐れ徹夜してた。本当所長マジ所長。
別にこの探偵社でバイトしていても、稼ぎはないに等しいのだけれども。
所長はともかく、他の二人が慕わしくて。戻ってきた。
戻ってきた矢先、また怪奇現象に巻き込まれたことは―――そろそろ笑える。
……笑う元気あるくらいには、私にとっての救いがあったあの出来事。
あの出来事の舞台にそっと足を運んで、玄関に座り込んでみる。
ここに先生がいるかは、知らない。
姿を消しているのかもしれないし、今はどこか外にいるのかも。
でも、どうしても。いい損ねたことを言わないと。
「正直翠ちゃんの件はまるで分からないんですけど―――……たぶん、先生が私を助けてくれたのは分かります」
あの時、玄関から出れなかったあの時。あるいは、明らかに翠ちゃんがこの家にきていないことに気づいた時。
ああ、たぶんあの子に、何かしらを裏切られたんだろうな、と思わなかったら嘘だ。
それでもいたずらかもしれないとも思っていたけど……あの時の傷が綺麗に治るのは、人間業じゃないし。
……別に、良かった。
あの子が人間じゃないことは、どうでもいい。本当に、どうでもいいの。あの心が人なら。それでいい。
それでも、たぶん、タイミングとか、先生のメモとか考えると……陥れられそうになっていたのかもしれないし。
「だから、ありがとうございます。先生」
答えはない。聞いているかは知らない。
どちらでもよいことだ。人も、化け物も、私にとって。
「お礼になるかは知りませんが、私の部屋ならいつでもきてほしいし、記憶ならいつでもお好きな時に見るなり煮るなりどうぞ」
ああ、むしろ。忘れさせてほしいかもしれない。だからここにいるのかもしれない。
ずっとずっと手の平にこびりつく、あの無力感を。
いや、ダメだな、それは。
そんなことまで望むのは、あまりにムシがいい。あまりに……すくえなかったあの人に、申し訳ない。
手の平を握りしめる。あの日からタコの増えた手の平。あの日と違う、赤くない手の平。
「……ホント、ロクなお礼もできませんが。先生のファンなのは本気でしたので、どうかお元気で」
何度も何度も蘇る後悔に蓋をして、言いたいことだけ言ってみる。
届いているかは知らないし、それこそどうでもいい。
ただ、ずっと、予感があるだけ。
私は多分、天寿を全うしないだろうなと、ぼんやりと薄暗い予感が、こびりついているだけ。
だから、今のうちにいっておこう。
先生。あなたを消さずに済んで、本当に救われた気持ちになったんです。私は。
ちらちらと彼女の探索人生が見えるけどネタバレはしていない。致命的なあれやこれやは。
先生がかわいかったのでいっそ一緒に住みたいくらいでした。というだけの話。
2017/01/19
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