戦車
「はい、ではそのように。ええ。明後日の14時に伺います。…では、失礼いたします」
電話を切って伸びをする。
花器を中心に扱うなじみの先生からの申し出は、実にありがたい。整理を手伝えば、以前値が張りそうだと目をつけていた品を譲ってくれるらしい。非売品だと聞いたが。さて。どういう心境の変化か。
…電話口の湿った声を聞く限り、それを聞くのも仕事のうちなのかもしれない。偏屈気味の、さみしいじーちゃんだったからなぁ。プライドが高くて、かっこいいじーちゃんでもあったが。
予定を書き込んだ後のボールペンをくるくると回して、ペン立てに戻す。変わりにパソコンを開いて、顧客帳の更新に戻る。そういえば、花器。あの花器が似あいそうな、キレーな旅館で働いてるい御曹司がいたな。花器をしばらく愛でたら、声をかけてみるか。なんともいえないとろりとした光沢が見事な、美人の花器なんだよな。脇に美人でも立ってほしいところだけど。あの旅館ならさぞや映える。受け取るのがむさい男でも仕方ない。
そもそも楽しむのかよ、とつっこまれることがあるが、逆に言いたい。自分が愛せないものを売ってもぺらいだろ、セールストークが。俺は自力で鑑定とかもできないから、熱意だけが取り柄だ。人生は一度きり。好きなものに囲まれて生活したいと思って何が悪い。花のことは分からないけど、頼もう。いかにも季節の花が似合いそうな、本当に綺麗な器なんだ。
…まあ、このノリで独立したのは我ながらどうかしていると思うが。というか、俺もさすがにこの年で独立する気なんざなかったが。
店を構えたきっかけが自然と頭に浮かぶ。アレも今くらいの時期だった。陶芸家を諦め、就職した先の店長をその、…水をぶっかけちまったんだよなぁ。つい。副店長へのパワハラがあまりに目に余ったものだから。つい。カッとなって。ああ、でもブン殴らなかったところは我ながら偉いと思っている。水かけて次の瞬間蹴られるわ殴られるわだったのに、やりかえさなかったところも偉いと思う。あれ? こうして考えると、俺結構えらくね? …正当法でスムーズに解決しなかった時点出偉くはねえか。社会人的な意味で。
まあ、もっとうまいやりようはいくらでもあったが。いいじゃないか。結局こうして今はうまくやっているのだし。
こうして店を構えられたのは自力じゃなくて、顔を一回り大きくした俺を見てギョっとした兄貴の尽力だが。んな店辞めろ金出してやる。とかいってくれた兄貴のお蔭だったけど。いやあ、兄が可愛い女の子なら家族でも惚れてしまったかもしれない。冗談だけど。
ともかく、幼少期から俺を(兄弟喧嘩的な意味で)ゲシゲシ蹴ったり殴ったりした人だが、あんなに心配してくれるなんて。あの時は感動した。優しい兄が気持ち悪くて、もしや余命僅かなのかと疑ったら失礼だとやっぱり殴られたことも含めて。え、兄貴、俺をめっちゃ愛してね?というあれだ。
カチリ、カチリ。現在は残念なことに客のいない店内に、キーボードを打つ音が響く。
寂しいし、これが続いては終わりだが。こうして一人で色々と整理している時間も嫌いじゃない。あんなことがあったなあ、こんなことがあったなあ。そんな風に思い返すにはちょうどいい時間だ。
自分で言うのもなんだが、落ち着きがない自分にはこんな時間があった方がよいだろう。
営業時間内にずーっとペラペラしゃべってたんじゃ、さすがに疲れるし。いや。別に客が来る=喋り倒すってわけでもないけど。
そうだ、特に喋らない客といえば。最近見てないな。あの、小説家の。横顔が綺麗な。穐山さん。
たまにふらっと色々と小奇麗なものを見に来る。美人。美人のを差し引いても可愛らしい人だ。穏やかに言葉を選ぶ様がすごくきれい。まあ、その辺りはどうでもよいとして。最近見てないのはあれだなあ。締め切りとかで根詰めてるのかな。心配だ。心配したところで連絡できるような仲でもないので、余計に気になるというか。思い出すと気になるというか。ほっそいんだよなあ。でもいつだったか結構重い壺をヒョイっと持ってたか。
なんにせよ、元気にしてるといいなあ。で、また来てくれるといいな。店に人がいるのは良い。女の子ならなおさらだ。客は神で、女性は神。野郎は紙だ。
グルグルグルグル。気づくとやっぱり色々なことが頭を駆け巡る。
紙といえば、最近ポスターを見たな、と。高校時代の友人が浮かぶ。割といい会場で試合をしていたのだ。親友の一人が、レスラーとして。最近会ってねぇけど、めっちゃ元気っぽくて安心した。というか、かっけえよなあ。やっぱり試合とかで成功っていうのはかっこいい。俺はしたくないし、あいつのマスクのセンスは最悪だが。なんでエビなんだ。お前の面より、あのマスクのセンスがやべえとつっこんでつっこんで突っ込みまくりたいところだ。無駄だけどさ。
そもそも、試合の日、仕事のアポ入ってたしなあ。後で連絡は入れておこうかな。おめでとう、頑張れよ、って。気持ち悪いとか言われそうで、それはそれで楽しい。じゃれているようなものだから楽しい。皆で応援行けたらよかったが。芸能人も探偵も会社勤めも忙しかろう。中々集まれねえなぁ。次会う時は焼き鳥って約束はしてるけど。
―――と。
カラン、と来客を告げるベルの音が響き、思考は終わる。
にっこり笑って目線をやれば、ああ、あれは新規の客だわ。
まさしく値踏みするように店を見回す、なんか金持ってそうな中年男性。営業スマイスに好奇心を混ぜて、立ち上がって声を上げる。あくまで店の内容にふさわしい程度の音量で、ゆっくりと。
いらっしゃいませ。お探しのものがなければお声がけください。
ここにない品でも誠心誠意、探させていただきます。
戦車…中崎達樹。困難に立ち向かう若い男の姿で現される。勝利や行動力の象徴。逆位置の場合は暴走・不注意・自分勝手・好戦的・劣勢と実にぴったりな感じ。目の前に立ちふさがるものに色々と挑み、勝ち、最後に負けた男。
店でもグルグルと色々考えて、常に落ち着きない男でしたと言う話。
穏やかな好奇心の奴隷で、基本亭にいいやつで厚かましい。報酬は周囲の笑顔と恥ずかしげもなく言える。事実彼は周囲が楽しそうなら幸せだし。それを帰してくれるような相手を選んで友人関係を結びました。色々例外はあっただろうけれど。テンション高くてペース配分がど下手という欠点が致命的ですが、バランスは…うん。よかったんじゃないかな。
目次