恋人

 目を覚ますと、あまり見慣れていない天井。…恋人の家の天井だ。
 なんとなく暑いなあ、と目線を下にする。
 私の胸のあたりに腕をおいて、とても気持ちよさそうに寝ている恋人がいた。
 カーテンは開けっ放し。爽やかな風に揺れる前髪の、その下の整った眉は見慣れてもかっこいいと思う。うん。寝顔は可愛いとも思う。  けれど、諸々のことで汗をかいた後に、ちょっと暑苦しい接触だった。あと、重い。
 原稿開けほやほやの身にはすぎた負荷だ。成人男子の体重も。やたらと長いセックスも。こちとら二日間ほぼ徹夜だった。
 …別にそれでもいいって言ったのは私だから、文句は言わないけど。
 でも。重いし喉も乾いたので、ずるっとそこから抜けてみた。ちょっと痛そうな音がしたけど、彼は目を覚まさなかった。
 …なんだかなぁ。
 ベッドから降りて、それなりに勝手知ったる他人の家の水道の蛇口をひねる。自分が使うために用意したグラスに水を注いで、ごくりと一口。ぬるいけど、なんとなく喉にからむ苦さが遠くなる。
 ……やっぱり、なんだかなぁ。
 すっかり乱れた髪を撫でる。
 そういえば、今日、髪型ちょっと凝っていたんだけどな。すぐに乱れてしまったと、少し惜しくなる。
 一言も褒めてくれなかったなあ、とも思う。
 最近、ずっと。そんなことが気にかかる。
 うまく言葉にできないけど。落ち着かない気分だ。
 なんか、一度許したら最近こういうことばっかりするようになったなあ、というか。
 いや、でも。別に。嫌じゃない。嫌じゃないんだけど……だけど。
 カバンの方から短い電子音が響く。スマホだ。やっぱり起きない彼を横目に、メッセージを確認する。
 差出人は―――伊織だ。
 悪いことなんて何もして居なのに、なんとなく肩が跳ねる。

『明日 暇?』
『最近会ってないから ご飯でもどうかと思って』

 そりゃあ、会わないよ。
 だって、伊織。あんまり私を誘わないもの。私が誘ってばかりだもの。
 …恋人いる時に、伊織のことは誘えないよ。さすがに。

 ぐるぐると胸の中で何かが渦巻く。痛い。目が痛い。胸が痛い。…心が痛い。

 横で眠る恋人の手に、自分の手を重ねてみる。
 この人のことは嫌いじゃない。最初はそれだけだったけど、今は好きだ。少なくとも、肌を重ねるくらいには。
 そこに嘘なんてない。嘘なんてあるわけがない。なのにねえ、なんなんだろうね。

 なんでこんな短いメッセージ一つが、こんなにもうれしいの。

「…伊織の馬鹿」

 彼女いたくせに。
 私のこと、子ども扱いしてばっかりなのに。ただの手のかかる幼馴染としか思ってないくせに。
 自分だってたまに子供みたいなことでムキになるのに、カッコつけで。口がくるくる回るのに、肝心なことはだんまりで。いつも一人で頑張ってばかり。
 馬鹿みたいに気障で、たまにいじわるで。…そんな人なのに。

 パタン、とスマホのカバーを閉じて大きく息をつく。
 わざと大きくついたけど、傍の彼は起きなかった。
 ああ、ダメだ。この彼のこと、ちっとも嫌いじゃないけれど。彼が目覚めたらお別れしよう。

 だって、こんなに小さな誘いが、こんなにも嬉しい。

 伊織は髪型変えると気付いてくれたな、とか。頼ると嫌な顔をするけど、律儀に話を聞いてくれるな、とか。
 …伊織になら、疲れてるから今日は会いたくないとか言えるなあ、とか。
 そんなこともぐるぐる回って、小さい頃の思い出までも再生されて。

 叶わないと知っている初恋が、こんなにもキラキラしたままだ。

 お互い大人になった今、もう私が迷子になったところで。あの人は迎えに来てはくれないのに。…あの頃の気持ちだけが、変われない。
 腕で抱えた膝に額を押し付ける。
 まだ彼は起きない。けれど。
 明日のことを考えてにやけた顔さらすのは、さすがにマナー違反だと思うから。

禁断の実を食べる前の恋を楽しむ女。不誠実さと失恋との間でも揺れ動く。
 「伊織は私を子ども扱いしてばっかだしどうせ幼馴染どまりもだもん!だから恋人作って忘れる!」とかしてたころの友紀ちゃん。こんなことをしていた数か月あとが君おはですね。きっと。君おは後は腹くくってアプローチすると思いますよ、うん。
 彼女は伊織君と一緒にずっと子供のままでいたい気持ちもあるけどやっぱりずっと諦められない恋の相手です。インセインでもCoCでも。過去に恋人いたの、CoCのみの設定だけど。
 目次