皇帝
カタリ、カタリ。キーボードを打つ音に合わせて、僅かに目の奥が痛んだ。休むか。
席を立つ共に窓から見える外は今日も随分と暑そうだが、この部屋は冷房により適温だ。それでも、古い家具が多いこの家はどうにも湿っぽい気がする。風通しも悪いのかもしれない。―――何とも象徴的な話である。
象徴的で、どうでもいい話だ。
冷やしたコーヒーをグラスに注いで、仕事用ではない椅子に腰かける。
体重を預ければ徐々に沈んでいく心地よさも、香りが爽やかな飲み物も。この風通しが悪く、古臭い家がもたらした富だ。だから、それがどういった経緯で築かれたのかなどどうでも良い。
コクリ、とコーヒーを一口。
美味しいとは思わない。冷えているので心地よい。香りもよい。それだけだ。
それだけだが、それに慣れた体に『それ以外』を試す気はならない。
我が親ながら、なにもそこまでそろえずともと呆れるほどに、なにもかもが高級品と古い品で囲まれた環境で育った。今更他のところなど、面倒で仕方ない。
いやまったく、面倒だ。
家を出て3年目の弟がなにをしているか、なぜ俺が調べなければならないのか。俺は調べないが。外部に調べさせるだけだが。それも十分に、面倒だ。
本来この家を継ぐはずだった弟が医者の道を降り、美大に進み、ついでのように家を出たのが3年前。
今更なぜこのタイミングで―――と問うてみた。
俺は今、あれこれを正式に継いでいるわけでもない。アレを再び後継にしたいのは分かるが。急に正気などあったのか。珍しい。そう思ったから。
両親は「弟は今は勝手にしているがそのうち泣いて戻ってくる」というストーリーを疑っていなかったはずなのだが。たかが3年で目が覚めるとは思わなかった。マトモな感性でアドバイスを告げ―――かつ、それを受け入れさせるものなどが近くに現れたなら、退場願いたい。
ただでさえなにかと面倒な両親なのだ。今のまま愚鈍な方が、俺が楽をできる。
いや、しかし。問うた結果、それは杞憂だったわけだが。
両親はいつも通りだった。
『アレによくない相が出たから 手元に引き戻さねばならない』
あの二人がアレで医学の使徒なのだから、なかなか愉快な話だ。
そう、愉快。
様々な感覚が遠い俺だが、それを愉快だと思えるので、この家に残っているのかもしれない。
物心ついた頃から、周辺の親族はなにかしら嘘と繕いの匂いにまみれていた。
その中で、我が両親は―――少し愚鈍な方だったと見える。
一族総出で信じているおかしな宗教に、どうやら少し他より深く傾倒している。
<<赤子のうちにカードを引かせて、あたりが出たら後継者>>
本家に莫大な富をもたらした男の強運になぞらえるように、いまだにそんなことを実行している上、今も占いだ。いやまったく、面白い。あの裁判長と検事と弁護士と学者には負けるが。
なんにせよ、そんな理由で俺は今探偵とやらに弟の身辺調査を依頼してみた。
結果が出ない場合は、出るまで回すか。
一応電話をかけてみたが、案の定つながりはしなかった。
つまりこちらから身を隠す意思があるようなので、それなりに気を配ってはいるのだろう。いざとなれば通っている大学に問い詰めるだけだが。
…理由もないのに、番号は変えまい。面倒だ。
アレは、その程度は俺と同じ性分を有していた覚えがある。
これが勘違いですぐに見つかるなら、それが一番楽なのだが。
……いや。見つかればしばらく連れ戻せとやかましいだろうから、少し面倒、か。
父が傾倒している一族の占い師。そろそろあの占い師も買っておくべきかな。適当に『弟は連れ戻さな方が吉』とでも言わせれば、おとなしくなるだろうから。
我が家の金は今は俺のものではないが。なにしろスペアとはいえ有能な長男なので、管理は任せてもらっている。こちらにつけと上乗せするのは簡単だ。確認もしまい。あの両親が自分で何かをしている姿、見たことがないからな。
半分ほどに減ったコーヒーを再び口にする。
よく考えれば、そちらの方が楽だな。あの気持ちの悪い男の近況など聞きたくない気もする。…面白そうといえば面白そうだから、聞いてもいいが。本当に気持ち悪いからな。アレは。
アレ―――弟の残した作品を思い出すと、今も何とも言えず気持ちが悪い。
肌が泡立つという感覚を初めて実感できた。俺にも家族の情とやらがあったのあろう。自分と似た顔した男が、幼女の一生分の未来予想図スケッチブックいっぱいに描いて―――次のページでそれを丁寧に解体し。あるいはすりつぶし。あるいは燃やし。そこまでは良い。どうでもよい。
ただな。その幼女とは、20年近く前に死んだ弟の初恋とやらの相手であり。スケッチブックには性欲を処理した後があった。
ごみは捨てろ。家を出るなら、なおさらだ。
……もしかしたらあれは弟なりに両親の追っ手を撒く手段だと考えるのが妥当だが。あれは精神を疑う。芸術の才も中々のものなのか、実に気持ちが悪かったから。
だとしたら、たまに純だというべきか。
弟がいなくなった後の部屋に、両親が足を踏み入れたことなどないというのに。
「……だから家を出たんだろうからな、アレは」
コーヒーを飲み干して、我が家の顧問占い師と連絡をとるべくパソコンに向かう。
アレの考えることは、俺には興味がない。
もしも戻る気があるのなら、その後に心地よい位置を受け取る、あるいは奪い取る手段を探せばいいだけだ。
戻る気がないのなら、一刻も早くのたれ死ねとも思うが。同じくらい、満足していても興味がはない。
物心ついたころから、大概のことはこなせた。
笑って居れば勝手に善人として評価をされ、勝手に周りが指示に従うようになった。
両親ほどではないが、俺も自ら動くことなど面倒で、やりたくない。人を使った方が楽だ。この家の細々とした管理も、医師としての仕事も。
だから、任せるところは他者に任せ、より効率的な手段があるならそれを採用する。
五感は鈍い。機能障害ではなく、どうにも我がことのように感じない。嗅覚はそれなりだし、味の良し足は分かるが。
幸運だの不幸だの、誇りだの名誉だの――――周囲がよく口にするが、興味はない。
ただ、心地よい環境を求める感性はキチンと育った。
それを作るのに役立つ権力は、あって邪魔になるものではない。
邪魔にならないから、適当に求める。
人生とはそんなものであるだろう。程度の差こそあれ。
―――ああ、いや。
そういうのを度外視する馬鹿を見るのが、最近思いのほか愉快だとも。思うけどな。
皇帝…支配と安定を担う権力の象徴。裏側は横暴と傲慢あるい未熟・無気力とも。周囲を置き去りに、一人椅子に座る孤独な者。
お兄さんが不肖の弟を探す心温まるストーリーですね。この後弟の現状(救世主と巫女)やってるのみたら「カエルの子が…カエル…」と若干笑う。
割と絵面通りのイメージ。正確に言うと皇帝ってガラでもないけれど。まあ、意味的にこれは彼だなあ、と。宗教にかぶれる親を利用して生きる寂しい俺様です。ちなみに彼の両親が進行しているのは神話的な手腕で富を築いた初代であって、神話生物とかじゃない。このラインの峰松さんちは、暗黒の祖先とかじゃない。2015買ったら作るかもなぁ。暗黒の祖先もちの峰松一族。本家はただのクズの予定だけれども。
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