女教皇
おいしいと評判のパンケーキ屋さんにやってきた。
正確に言うなら、おいしいと評判なので一度来たことがある店だ。その時は一人だったけれど、今回は二人。
隣で列に並ぶ妹は組んだ腕を指でトントンとたたいている。苛立つように。
ように、ではなく。進まない行列に苛立っているのだろう。
「光憲、そんな顔するわじゃないわよ」
「どんな顔よ」
「イライラした顔」
「イライラするのは自由だし。それが顔に出るのも自由でしょうよ」
「それもそうね」
「納得しないでよ」
さらにイライラした顔をされた。…素直な子。
「納得するより悪びれてよ。なにが悲しくてこの長い行列に並ばなきゃいけないのよ」
「そこにパンケーキがあるからよ」
「パンケーキなんてどこで食べても…とまではいわないけど。そこまで食べたいの?」
「ええ」
きっぱりと言い切って頷けば、妹ははあと息をつく。
「…物好き」
「美味しいでしょう」
「私。甘いのあまり好きじゃない」
「知ってる」
「なら誘わなきゃいいでしょ」
「おいしいものを独り占めするのはよいものだけど。布教するのも楽しいわよね」
「友達を誘えばいいでしょ」
「あなたと食べに行きたかったのよ」
再び言い切った。
妹は微妙な顔になる。そんな顔をされても困る。というか、こちらも照れるからやめてくれないだろうか。
「…それに、あなた。いつも忙しいでしょ。たまにはのんびりと行列に並びなさい」
「どんなのんびりの仕方よ。時間がもったいない」
「あなたののんびりはサバゲ―・スノボ・サーフィン・山登りでしょ。オールシーズン隙がないったらない。身体痛めるわよ。
それに、こういうところだと煙草吸わないしね」
「……うるさいわねぇ」
「図星なのね」
「…一時期よりは減ってる」
それもそうなのだろうけれども。煙草の匂い、しないものね。
けれど同時に、信用できない言葉でもある。この子、私に会う時そういう対策ばっちりしてきているようだから。
「…解剖医的に鼻が利かなくなるようなことするってどうなのよ」
「うぐ」
とうとう呻いた。
健康うんぬんを言っても聞き流すけれども、昔からそれだけは聞く。
…べろんべろんに酔った時に聞いたけれども。煙草を吸い始めた理由、確か「好きな相手に話しかける口実」だし。喫煙室にいきたい的な意味で。もうやめればいいようなものだ。
「……甘い物が人体に影響を及ばさないなんてことはないんだからあんたこそひかえろ…」
「話をそらさない」
「…、本当に減らしてるわよ! むしろ最近は禁煙成功してる! ああもう、うるさいチビね本当に!」
厳しい形相でこちらを見下してくる。この子は背が高いから、物理的に。
どうしてこう、同じ姉妹でここまで身長差がついたのか。成長期にほぼ同じ生活をしたというのに。不思議。
「……まあ、そうね。せっかくの休日にイライラさせて、悪かったわ。この後あなたの好きなものおごったげるから、許しなさいよ」
「私のプライベートな時間が減るって話をしているのよ…」
「パンケーキ、半分あげるし」
「それはあんたが全部食べ切れないだけでしょうが…」
「イチゴもあげるわよ」
「それで喜んだのいつの話だと思ってるの?」
「…あら、それで喜んでたこと、覚えてるのね」
おねえ、イチゴちょーだい、後でチョコあげるからー。…なんて言ってた頃のことなんて、覚えていないものだとばかり。
純粋に意外で呟けば、煙草の話をしたときより渋い顔をされた。せっかく可愛い顔に生まれたというのに、勿体ない子だ。
「…私、あんた嫌い」
「あらあら、子供みたいなこと言わないの。もう」
「そういうところが嫌いなのよ…」
そうは言われてもね。本当嫌い、と繰り返す様は、やっぱり子供っぽい。甘えられているような気にしかならない。
「あなたと会うのなんて一年に2、3回なんだから。行列並ぶくらいでいいのよ。用事が終わるとすぐ帰るでしょう?」
「……姉妹でそうべたべたと会わなくてもいいでしょうが」
「疎遠になることもないでしょ。たまにはあなたの顔を見ないと、私は寂しいわ」
「なんでそう、恥ずかしいことをポンポン言えるの。脳みそにお花畑なの」
「私もなんでここまで言ってあげなきゃいけないのよ。あなたが黙って一緒に世間話でもしてくれれば、こんな恥ずかしいこと言わなくていいのよ?」
無言で目をそらす妹は、やっぱり深く息をつく。
返す言葉がないらしい。
…それでも行列を抜けないし、そもそも突然訊ねて来た私の誘いに乗る辺り、本当に律儀な子。
忙しいから会えないと断ってしまえばいいだけなのに、素直じゃない。
…とまでは、言わないでおこう。本格的に拗ねる可能性がある。
「ここ、パンケーキもだけど。ホットチョコレートが美味しかったわ。甘くないタイプなの」
「…ふぅん」
「果物屋さんも兼ねているから、上に乗っている果物、どれも美味しかったしね。ほら、好きでしょ? 今の時期なら、さっきの話じゃないけどイチゴかしらね」
「……そんなに必死に言われなくても、帰らないわよ」
「ご馳走してあげるから、好きなの食べなさいって話よ」
「……遠路はるばる訪ねてきた姉に、そんなことはさせない」
遠路はるばる訪ねてきた姉にその腹から絞り出すような嫌そうな声を向けるのはいいの?
浮かんだ言葉を飲み込んで、にっこりと笑っておく。
それはさすがに、野暮でしょう?
別に苛立たせたくて来たわけじゃない。放っておくと仕事と趣味に忙しいこの子に、くだらないことをして、ゆっくりと過ごさせるために来たのだし。
本当、この子。放っておくといつ聞いても忙しいのよね。楽しい息抜きは大事だけれども。貯金しろとまでは説教しないけど。どうにも心配だ。
たまには有意義とか、楽しいとか関係なく。どうでもいい時間を過ごすのって、大事だと思うのだけどね。無駄な時間を過ごすというのは、心とかそういうものにゆとりをもたらすと思うのだけど。ことに、この子はいつも気を張っているようなところがあるから。
だから、いつまで立っても心配なのよねえ。まったくくつろげなさそうな汚部屋に住んでいることも含めて。
「…そういえば、光憲、来月誕生日ね。ろうそく立ててもらいましょうか」
「それをやったらすぐさま帰る」
でも、いちいち律儀に返してくるものだから、ついからかいたくもなる。
長じるにつれ私よりよほど優秀になったはずの妹は、それでも今も可愛いままだ。
それがどうにも楽しくて、ついクスクスと笑う。
楽しいから笑っただけなのに、妹は露骨に舌打ちした。
こちらに聞かせるためのそれに、大して悪意は感じない。
けれど、またイライラし始めているのも分かったので、黙って手帳を開く。
帰りのバスまであと4時間。その時間はとても大切で、けれど、必ずしも言葉を交わしていなければなんて、そんなことはない。
隣にたって、のんびりと歩く。
今日はそれにちょうどいい、気持ちのいい晴れの日だから。
女教皇…光と闇の二元性の間に立つ女性。物事を俯瞰し、メッセージを伝えるもの。高度な学問の象徴とも。…同時に。背後に広がるものは理解しきれぬ高次元の知識、とも。
という内容にあんまり関係ない在りし日の海山姉妹。なんだかんだでめちゃくちゃ仲良し。
妹は自分と姉は似てない似てない言っているけど、根っこはすっごく似てる面倒見のよい姉妹。
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