その声は祈りに似る

 ざあ、と風が吹いている。
 さやさやと木々が鳴いている。

 かつて自室にしていた場所の窓の外から見える景色は変らない。二世代で暮らすには小さな家に、不釣り合いな大きな倉。
 そのわきにたつ、カエデの木。

 …祖父曰く。俺の曾祖父が愛したものだったらしい。

 そして。

「先日はありがとうございますというべきかしら。それとも、あなたの大事な人を巻き込んでごめんなさいというべきなのかしら。私は」
「別に気にしなくていいだろ。…年下の身内から金巻きあげるほど困っていない。君の過失なら勉強料にとったが。さけようもなかったようだからな」

 今は母が使っているらしいこの部屋のちゃぶだいを挟んで、なにやら羊羹を差し出してくるイトコの姿も、記憶の中とさして変わりない。
 …そもそも記憶の中で薄いが。
 それを後ろめたいとも思わない。
 この子とて、俺の記憶は薄かろう。
 なんなら、この羊羹の値段の方が記憶に色濃い。いつぞや周ちゃんにおごらされた。…バイトする暇もない勤勉な医学生には辛かろうに。律儀な子だ。

「…衛太郎君は私の過失がどうか確かめるために探してくれたの?」
「…え、俺そんなに性悪く見えているのか? 頼まれ…はしてないが。どうにも嫌な予感がしたから、こちらから関わった」 
「……。………冗談、というか。…嫌味、というか。こういうときはもう少し言い方が…。ないのね。あなた。…ああ、そうよ。別に分かっていた。飛竜君と朱鳥ちゃんは心配してくれたでしょう?」
「……八神帷君、もいれとけ」
「……心配、してたの?」

 つぶやいた顔は、悲し気に見える。
 もっと別の感情があるのかもしれない。
 なにしろ俺が刀の柄で殴られた時、この子は随分怒っていたから。
 …間違いなく、俺ではないもののために怒っていたのだろう。

「…心配じゃなきゃ関われないんじゃないか。俺は刀向けて脅したぞ。これ持って刺したり刺されたリする覚悟がないならとっとと帰れと」
「え、だから飛竜君私、いえ、おじいちゃんの刀持ってたの…?そう…脅したの…」
「……」

 別に君のものにしたきゃ君のものでいいが。祖父は欲しがってる孫に遺せた方が喜ぶぞ。いや、あれは実のところ祖父ではなく。曾祖父の弟のもので…うちの事務所のものだが。
 少し不機嫌な顔をする彼女に、訂正する気はない。と、いうよりは。

「…なあ、俺は察しとか交渉力が低いらしいんだ。聞きたいことはきちんと聞いてくれ。答えられるか分からんが」
「……八神君は、最初から、……犯人分かる前から、殺そうとしてたのかしら」
「すまない。知らない」
「少しは悩んでよ」
「自分で聞け。…少なくとも君に恋人ができたかもと聞いたと聞き彼らは祝福ムードだったからある程度の交流はあるだろう」
「ちょっと待って。なにがどうしてそうなったの?」
「いや、しかし。あの鹿島君あたりは微妙に懐疑的だったか…?あと君が天然だのなんだのと、割とぼろくそに」
「…、ああ。なんでその話題になったのか分からないけど、その光景は目に浮かぶわ…」

 ずっと堅かった表情が少し柔くなる。穏やかだ。
 その程度しか、俺はこの子のことを知らない。

「…俺はあの時仕事といったがな。別に彼らはこちらに依頼をしていたわけじゃない。そして、俺が彼らに頼んだわけでもない。彼らは彼らで君を心配していたんだろうし。俺は俺で勝手に君が心配だった。…最初は本当に、大したことないだろうと思っていたが。途中からは―――」

 最悪あの学生たちを置いて焼くなり銃弾ばらまいてもらうなりするつもりだった。近衛君ではないが、それこそいつものように。

「……本当に心配になったな。俺は色々あったし、あの子達、いや。君たちにも色々あったんだろう。鹿島君が言っていたな。友人がおかしなことにまきこまれたと。なら心配にもなるんじゃないのか。また友人がいなくなったら」

 『友人』の響きに彼女は笑う。
 どういう意味の笑顔なのかは知らない。

「…私は八神君を友達だと思っているわ。イトコを殴った男にそう思って、悪いけど」
「そうか」
「…大事な友人なの」
「それを俺に言われてもな。本人にいってあげたらどうだ」
「いうけど。…こういう時は黙って聞き流してくれない…?」

 なんだろう。この手の目線は覚えがある。
 センパイはホント、女心が分かってへんなぁ。とかどこかしらから聞こえる気がする。
 …イトコもバイトも女扱いするものではない。仕方ないだろう。うん。

「…まあ、いいわ。ともかくお礼をと思っただけだから…。他のお二人にも伝えておいてください。東京に行く暇は、中々ね」
「ああ、伝えておく。…そもそも、周ちゃんはうちのバイトだし、近衛君は俺が勝手に巻き込んだから、君が気にすることはないよ」
「……仕事のつもりはなかったとさっき聞いた気がするけど?」
「さすがにイトコの危機知らんふりで東京に帰るほどアレじゃないぞ、俺は」
「いえ、だから。あなたは身内への好意だし、あの二人はあなたへの好意で手伝ってくれたんじゃないの? そんな人達危ない目に合わせて、ごめんなさいという話よ」
「……ああ」

 三人分の羊羹をカバンにしまって、ようやく納得する。

「…いや、いいんだ。それも俺の責任、というか。…俺の約束と、弱気の話だ」

 仕事、というか。事件があり、彼女が傍にいるならおいていくことはしない。
 そういう約束を、昔した。
 銃が出てこようが。化け物が出てこようが。なにが出てこようが。今更例外などない。
 とはいえ、俺は今も自分を信じてなどいない。
 …だから彼もいた方が、心強いという話だ。
 いやまったく、今回も梅雨利君には申し訳ないことをした。三本とも彼に渡そうか。ダメだ「晴太の安全を羊羹三本で売れと?」みたいな視線が目に浮かぶ。胃が痛い。
 だが初手でともかく帰れいますぐ帰れと言ってもなんとなく巡り合ったんじゃないか。なにしろ近衛一味なそうだから。

「……衛太郎君は」
「?」
「…ゆるんだ顔、するようになったのね。私が知らなかっただけかもしれないけど」
「……笑っていたつもりだったけどな。この家でも」
「旭ちゃんに正座させられてるとことか、おじいちゃんに怒られてるところとか、最近は馬になっている姿の方が、印象深いから」
「…そっか」

 この子はそれなりにこの家に来ていたが、俺は習い事の多いガキだったし、外遊びも好きだった。だから会うのは季節の節目節目。親戚の集まりだ。俺はそういうの、嫌いだったからなぁ。
 そのたびに姉と祖父にたしなめられた。最近は、もっぱら甥と姪の子守だ。そりゃそうか。

「…色々、あったんだよ」

 君が彼の色々になればいい、とは別に言わない。言うまでもないだろう。
 女心が分からないし、色々と鈍感らしいが。
 その程度のことは、分かっているつもりだから。

次回葵美子さん特に何も言わないけど内心八神君にめっちゃ「人の話を聞かない…」「第一訳が分からない…」と大層ぶちぎれた気持ちで接します。口にするかどうかは、セッションの流れ次第。 きっとなにごともなかったようにはじまるでしょうからね!なによりおそらく次回は朱鳥さんが大変なことになるからね! ちなみに身を守るための過失ならともかく、明らか無力化されているものに刀を向けるってそれは傲慢じゃないの? あなたは神様にでもなるつもりなの? みたいな怒りですね。
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